第十六話 戦い終えて

 砦に帰還した解放軍の兵士達を迎えたのは、控えていた兵士達からの熱い拍手の嵐であった。帰還した順は、北門を守備していたオーラフの部隊、東門から出撃した騎馬部隊、ヴルフの部隊、そして最後にグローリアの部隊の順であった。

 戦い終わった兵士達はその拍手の中を通り、仲間に手を振ったり、頭を下げたりと皆が笑顔を向けて自らの休む場所へと足を進める。


 砦を無事に守り切った事で、この日は気持ちよく眠る事が出来るだろう。だが、ある程度の兵士の中に、憎い敵を殺した現実に押しつぶされそうになり、眠れぬ日々を過ごす者達が出てくる事は予想できる。


 その行進の最中、部隊を率いていた数人の兵士長や隊長は、この砦の責任者アレクシス=ブールデ伯爵に呼ばれ、その行進から抜け出て指揮所まで連れていかれた。




 砦の中央広場では、戦いに参加した兵士達が各々の桶に水を汲み、体を拭いたり武器を手入れしている光景が見られた。砦で大勢をとどめておける場所は中央広場くらいしかなく、他の場所は狭かったり他の兵士が待機していたりと都合がつかないので仕方がないのだ。

 そこには、大量の返り血を浴び、外套を真っ赤に染めてたエゼルバルドの姿も当然の様に混ざって、身に着けていた鎧や籠手、脚甲などをすべて外し、浴びた返り血を念入りに拭っていた。

 エゼルバルドが身に付けていた防具一式はルカンヌ共和国のノルエガの鍛冶師ダニエルが作成したヒュドラ装備である。普通の鍛冶師では作るだけが目的であったが、ダニエルの仕事は、血に染まる事を考慮し、血を拭き易かったり、血を弾くなどの処理がされており、エゼルバルドの手入れは簡単に終わった。だが、服にこびり付いた血糊はさすがに処理しきれず、桶に張った水にじゃぶじゃぶと漬けて洗うしかなかった。


「よぉ、大活躍だったじゃないか!」


 濡れた服を絞っていると、後ろから良く知る声が聞こえてきた。


「マルセロか。お前も活躍したんじゃないのか?」


 エゼルバルドが振り向くと、話して打ち解けたマルセロの姿があった。同じグローリアの隊に所属していたので、この場にいるのであればかなりの活躍を見せたのではないかとエゼルバルドは思ったのだ。


「敵に切り込んで無事に出てきたお前ほどじゃないけどな。一応、敵の一人に止めは差したよ」


 槍で敵を突く仕草を見せながらマルセロは笑って見せるが、その手は微かに震えていたのをエゼルバルドは見逃さなかった。


「まぁ、無事で何よりでだ。セルゲイも無事だったのかい?」


 マルセロを紹介してくれたセルゲイの話しを振ると、笑顔が途端に曇り、背ける様にして話し出した。


「セルゲイは敵の攻撃を受けて傷を負って、今は寝ているよ」

「そうか、傷を負ったのか。でも、生きて帰ってきたんだろ、初陣で生き残れたんだから暗い顔をするな」


 回復魔法を使える人の数はあまりにも少ない。アドネ領軍でもそうだが、二十人の魔術師がいても一人使えれば良い方なのだ。エゼルバルドもスイールも使えるが、ヒルダクラスの回復魔法を使える熟練者はほんとに数が少ない。戦場で怪我を負って生きて帰ってこれるだけでも奇跡に近いのだ。


「そうだな、生きて帰ってきたんだから暗い顔をしてちゃいけないな。それより、俺達はこれからどうなっちゃうんだろうな」

「どうなっちゃうって、何を心配しているんだ?領主を倒すんだろ」


 替えの服を着ながら、マルセロに妙な疑問を持つのだなと考える。言葉の通り悪政を敷く領主をその座から引きずり下ろす為に解放軍を立ち上げ、慣れぬ戦いに身を投じているはずで何を心配しているのだろうかと。


「そうさ、俺達はあの領主を倒すために立ち上がっているんだ。だがな、この砦に立て籠もるとしてもだぞ、北門の扉が壊されてるのを見れば不安になるぞ」


 出陣時は東門を出て、帰還時は北門を通ってきた。アドネ領軍を追い返して湧き立ち、自信に満ちた表情を浮かべていた時に見た、焼け崩れた門の扉が脳裏から離れず下手をすれば皆があの様になってしまうのではないかと思ったらしい。

 守備隊を門の前面に出せば抵抗する事は不可能でないし、思い切って岩などで塞いでしまうのも手である。エゼルバルドがその事を安心する様にと告げる。


「大丈夫だよ、扉が無ければまた作れば良いだけだし、一隊を出して守備出来ると思う。最後の手段は岩とかで門を塞いでしまう事だけど、どれを取るかは伯爵の腹積もりできまるだろうね」

「エゼルが言うなら安心だな」


 血糊を拭き取った鎧等、装備を身に着けながら話すエゼルバルドに安心した顔を向けるマルセロ。彼が言うなら大丈夫だろうと、やっと一息吐くのであった。


「エゼルバルド殿ですね、伯爵がお呼びです」


 鎧を身に着け、ブロードソードや両手剣、ナイフを通してあるバッグ等を装備し終わった時に後ろから声を掛けられた。

 一兵卒との肩書で参加しているエゼルバルドに、伯爵からの突然の呼び出しだと聞き、思わずマルセロと顔を見合わせてしまった。いったい何の用があるのかと不思議であったが、呼び出しには応じざるを得ないと返事をする。


「伯爵が?何の用で」

「面白そうだな、俺もついて行くぜ」


 呼んだ男の後を、二人は首を傾げながら付いて行くのであった。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 エゼルバルドが伯爵からの呼び出しを受ける少し前、戦いに出ていた部隊が戻り、指揮官達がアレクシス=ブールデ伯爵に呼ばれ、指揮所に集まっていた。

 当然ながら側近のオーラフ等と共に、ヴルフとグローリアの二人もその場に呼ばれていた。


「この度の戦い、ご苦労であった。兵士達の被害は少なくは無いが、追い返せた事は喜ばしい事である」


 それからしばらく、ねぎらいの言葉と称する話が数分続くのであるが、オーラフはともかく、その他の者達はあまりの下らなさに辟易していた。

 命懸けで戦う兵士を率いて敵に襲い掛かり、一人でも多くの兵士を帰還させようと頑張った結果がくだらない話をグダグダと聞かされる結果だったと考えるとそう思うのも納得がいくだろう。


 ヴルフがちらりと横目で見れば嬉しそうな顔をしているのは、オーラフただ一人であった。辟易した顔を見せているにもかかわらず、ねぎらいの言葉を掛けている伯爵は自分に酔っているのか終わる気配を見せないでいる。


 北の門は兵士が詰めて守っているとは言え、今後、どうするのかを早めに判断して命令をして欲しいのだと、疎まれる覚悟でヴルフが声をあげる。


「申し訳ないが!!」


 自らの言葉に酔っていた伯爵は、突然声を上げたヴルフを睨みつけて、言葉を飲み込んだ。伯爵としてはこのまま話を続けたいと考えていたが、ヴルフの大声は部屋の外まで聞こえてしまったはずで、このままで終わらせてはならぬと伯爵は反応する。


「お主、何故我の言葉の邪魔をする。下らない理由であったのなら、ただでは済まんぞ」


 この解放軍を率いる先導者としての意地もあり、顔を紅潮させながら腰にぶら下げている剣に手を伸ばしつつヴルフに向かう。ヴルフ自身は、伯爵の振るう剣などに切られる程、腕は鈍ってもいないし、戦場帰りと言えども一戦はするだけの体力は残っている。

 だが、何とかしなければならぬ事が山積みのこの時に、下らない話で時間を浪費して、従っている兵士達を危険にさらしたくなかった。


「話なら後で幾らでもできよう。じゃが、破られた北の門はどうするおつもりじゃ?今、指揮官として行うべきはそこを如何するか、ではないのか?扉を直すなり、門を塞ぐなり、命令を下すべきじゃろう」


 門が開いていれば、守る兵士の数も必要で野戦に投入出来る人員の数も少なくなる、それに門が開いていれば対処する兵士の精神もすり減るのは明白であろう。

 だが、この伯爵はオーラフの部隊が門の前に出て敵の一兵も通さなかった事を上げ、そんな必要はないと言い放った。交代で守ればそれで足りるのだ、と。


 伯爵の発言を聞いて、オーラフ以外の者達は皆、一様に驚いた。その発言で一番に反応したのは壁の上で守備隊を指揮していた男だ。


「発言をお許しください。私は【スタニック】と申します。先の戦いで北門の上で防衛の指揮をしていました。我等が解放軍はアドネ領軍を追い返しましたが、城門から出て戦ったオーラフ殿の隊だけの活躍だけでなく、後に姿を現した東からの攻撃があったからこそです。それだけではありません、彼女の隊が敵の一隊を引き寄せたからこそ跳ね返せたとも言えます」


 馬上よりも高い防壁の上から見ていたスタニックだからこそ出た意見であろう。地上目線では当然ながら敵味方の兵士が入り乱れて見渡せず、馬上からでも無理であった。

 そして、スタニックはさらに続ける。


「もし、オーラフ殿の隊と我等の門の上からの支援だけでは跳ね返す事は不可能で、今、こうして話しているのは、東からの攻撃があったからです」


 かなりオブラートに包んで話をしているが、言い換えれば東からの援軍が無ければ今頃は伯爵も冷たい骸になっていても不思議ではないと言い切ったのだ。その様に言われればさすがの伯爵も言葉を返せず悔しそうにしていた。


「とは言え、彼女の隊の働きは見事としか言いようがありません。敵左翼の勢いを削ぎ、その後、敵右翼をおびき出し、敵兵士の心理の奥底に恐怖を与えた攻撃には脱帽します。どの様にあの作戦を立てたのかを教えて頂きたいほどだ」


 伯爵の長い話から話題を変えて戦評に移行するなどしたくもなかったが、このまま伯爵と仲たがいをして解放軍が内部から崩壊する事だけは防ぎたいとスタニックは考えた結果、その様に発言していた。

 スタニックからしてその様に感じていたのだ。伯爵がアドネ領軍を追い返した報告の中にあった、一隊の動作に興味を抱いていたのはスタニックと同じであった。


「そう言えば、報告の中に一隊が別の動きをしたとあったな。お前の指揮する隊だったのか?」


 先程まで怒っていた感情は何処へ行ったのかと、伯爵の顔から血の色が引き、いつもの顔色に戻った所で彼女、--つまりはグローリアなのだが--、に目を向ける。伯爵も男であるがゆえに、グローリアを品定めでもするように下から目線を上げて行く。

 解放軍の先導者である伯爵だから我慢をしているが、舐める様に見て行くその目に嫌悪感を抱いた。本来であれば右の拳を握りしめ、男を殴り飛ばしていた事だろう。


「はい、私はアーラス神聖教国、教国騎士団所属グローリアです。縁あって、こちらの戦いに参加しております。先程、スタニック殿が申した隊とは私の隊で間違いありません」

「ほう、騎士団には優秀な戦略家が育っているのだな」


 なかなか良いものが手に入ったとアレクシス=ブールデ伯爵は考えたが、グローリアは否定する様に言葉を選びながら話を続けた。


「いえ、先の戦いの作戦はある者の提案を採用したまでで、私ではあそこまでの作戦を思いつく事は出来ませんでした。私の指揮する隊の功績は彼の作戦があったからとここで申しておきます」


 教国騎士団に所属する騎士が解放軍に参加し、打ち破る策を用いたと宣伝できればこれに越した事は無いとしていたが、彼女の策ではないとすれば一兵卒にそれだけの知恵者がいるのかと、驚くしかなかった。伯爵は解放軍は農民達の集まりで、自分の思う様になるだろうと高をくくっていた。


「エゼルか」

「ええ、そうよ。彼の頭がどうなっているか知りたい所だけどね」


 グローリアの述べている事を聞きながら、策を進言するなどしかいないとエゼルバルドの名前を出すと、それを肯定した。

 多少の修正はあったが、過去に大規模な作戦を提案したエゼルバルドを知っているヴルフがその名前を出すのは当たり前であった。


「そうか、奇抜な作戦を立てるものだな、アイツも」

「ええ、そうね」

「おい、お前達。我にわかるように説明しろ」


 二人でしかわからない無駄話と見えたのか、伯爵が怒り気味に声を上げる。ヴルフにまた矛先が向くとまた何をするかわからないと、グローリアはそれを話す事にした。


「私の部隊に、この地に一緒に来た者がいます。彼は剣の腕もかなり立ち、そこにいるオーラフ殿を打ち負かす程です。その彼が今回の作戦の立役者です」

「仕方なく言うが、ワシも一緒に来たのだ。彼の名はエゼルバルドと言う」


 そんな者が、参加しているなど聞いた事もないと伯爵は驚く。この場にいるオーラフは自らの剣が全く通じない相手に、さらにその様な能力も持たれているとショックを隠せないでいる。

 実はグローリアもエゼルバルドが作戦を立てた事に驚いていたのだ。だが、戦場にいたためにその驚きもすぐに違う考えで埋まり、それ以上は考える余裕が無かった。


「その何某が作戦を立てたというのだな。よし、そいつと会おう。ここに連れて参れ」


 伯爵以下、側近の中では大まかな作戦を立てる事は出来るが、戦術となると戦い慣れていない者ばかりで考える事が出来ないでいた。要するに長期的な戦略は立てる事は出来るが、砦を守る戦いや野戦での作戦は苦手としていたのだ。


 伯爵は藁をも掴む思いでエゼルバルドを呼ぶように指示を出し、使いの者が指揮所から飛び出て行くのであった。

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