第7話 TくんとS先生
結局、私は中学受験をせず、幼稚園・小学校と同じように地元の中学校に進学しましたが、1年生の時、不登校になってしまいました。
私は中学校でも支援学級に入っていたのですが、支援学級で過ごすのは「国語と数学の授業だけ」で、他の授業は「通常学級」で受けるという事になっていました。
私の通っていた中学校は生徒数が多く、35人のクラスが7クラス、3学年分ありました。
なぜそれで不登校になるのかというと、実は私、人目や人ごみで疲れてしまうんです。
そんな人が自分以外に人が34人もいるクラスに入ってしまうと、どうなるかは分かりますよね。
当時の私は休み時間も席から1歩も動かず、言われた事をしたり、本を読んだりする以外はただ座っているだけの「生きた人形」で、ほとんど誰とも話したりしませんでした。
友達はいなくても卒業して高校に行く事は出来ますが、それよりも「勉強が遅れる」事の方が問題です。
私は母に本屋で国語・理科・社会の問題集を買ってもらい、学校や家でそれをただひたすらに解いていました。
数学と英語は小学6年生の時から通っていた塾で教わっていたため、どうにかなりました。
2年生からは教科担任がつき、支援学級の方で教えていただけたので、2~3年生の勉強はできますが、今でも中1の数学は得意ではありません。
支援学級には私の1年上にKという男の先輩がいましたが、私はその人が好きではありませんでした。
Kはいわゆる「不良」に近い存在で、私はそういった人が苦手だったからです。
私は冬に支援学級の教室で勉強している時、Kに教室の冷房をつけられた事があります。
確かその日は、気温が下がり、寒い日でした。
カーディガンを着ていたので大して寒くはありませんでしたが、今でも忘れられません。
私の中学校では支援学級だけ、年に何回か小学校から体験入学の小学生が来る日がありました。
1年生の冬、ある小学校から体験の男子が来ました。その子がタイトルに書いた「Tくん」です。
会ってすぐに、私とTくんは打ち解けられました。初めて会ったとは思えないくらいに。
私はすぐに進級し、Tくんは支援学級の私がいたクラスに入って来ました。
2年生になってから卒業するまでの丸2年、
Tくんはずっと私と仲良くしてくれました。
S先生も、本当によく私の事を考えてくださいました。
1学期と2学期に1回ずつ行事を企画してくださったうえ、皆が楽しめる行程を私たち生徒に聞いて考えてくださいました。
しかも、今年も2学期に行事を計画していて、卒業したにも関わらず「来て」と言ってくださいました。
卒業する時に泣いたほど楽しい2年間でした。
TくんとS先生には感謝してもしきれません。
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