第1話「近すぎる距離」

朝。いつもなら憂鬱なはずの学校も、今日は楽しみで仕方がなかった。

だってーー

「ひろー!おっはよー!」

スマホに夢中な、その無防備な背中に思いっきり飛びつく。

「!?!!」

驚くひろ。

ひろは休み時間など、だいたい一人でスマホをいじっている。そのせいかあまりわからないけど、話してみると結構表情豊かなのだ。

そしてそこがまた好きなんだ。

「……おはよう、そう」

「うん、おはよう」

にっこり笑顔で答える。ひろを見ていると自然と頬が緩んでしまうのだ。

そして俺は席についてからもずっとひろを見ていた。こっち向かないかな。

「っ……!」

と、ひろと目があった。テレパシー!?

しかしひろは、すぐに目を逸らしてしまう。その後もひろと目が合うことはなかった。

そして休み時間。俺はこれが中学の頃から結構嫌いだった。……て言っても、中学と今じゃ原因が違うんだけど。

ぼんやりひろを見ていると、トモダチが俺の机の周りに集まってくる。

この席になってからというもの、休み時間のたびにこの調子でひろが見えなくなってしまうのだ。それが今休み時間が嫌いな原因。わざわざ俺のところに集まらなくていいのに。

しかし「どいて」と言えないのは、俺の弱さなのだろう。嫌われるのが怖いから。

隣の男子に相槌を打ちながら、予鈴が早く鳴ってはくれないかと思う俺だった。

4時間目の授業が終わると俺はすぐに席を立った。その手には弁当。行き先はトイレ。目的はズバリひろを待ち伏せて一緒にご飯を食べることだ。

ひろはいつも、教室から出て廊下をずっと行った先の階段を下った先にあるトイレの前から2番目の個室で弁当を食べている。

この3ヶ月、ひろに見つからないようにこっそり調べ上げた。……決してストーカーではない。

個室でスタンバっているとやがて、トイレのドアの開く音がした。俺のいる個室に向かって歩いてくる。

「やほーひろ」

ひろが俺に気づかずに鍵をかけるのを待って、声をかけた。

驚きの後、なぜか哀れみの目を向けられた。

「わ、悪い。俺隣行くな」

やばい、ひろに逃げられる。

慌ててドアの前に立ち塞がる。

「一緒に食べよう、ひろ」

「一緒に?ここで?」

魔法の笑顔で頷く。

ひろは何かを悟ったような顔をし、やがて、

「そうが良いんなら……」

と答えた。

思わず出てしまった「やった」という心の声とガッツポーズを誤魔化すように、ドアにもたれかかる。

その間にひろは、便座に座りいそいそと弁当を出し始めた。俺も弁当を開ける。

食事中、会話はなかった。なんだか中学の頃を思い出す。

けれど好きな人と食べる弁当は、会話なんてなくても、場所なんてものも関係なく、とても美味しく感じた。

俺とひろがトイレで一緒に弁当を食べるようになってから約一週間が過ぎた。

ひろのことをもっと知りたいから一緒に弁当を食べよう、と思ったわけだけれど。

この一週間、まともな会話は何一つなかった。

だから俺は勇気を出した。思えばひろに出会ってから2度目の勇気を。

「ひろって髪サラサラだよね」

トイレ弁当初のちゃんとした会話。

ひろは戸惑ったように「そ、そうか?」と言った。

「うん。俺癖っ毛だからちょっと羨ましいかも」

俺はそう言い、自分の髪の毛を触る。固い感触。この硬さのせいか、毎朝寝癖がひどいのだ。

高校に入ってからはいろいろ勉強して、癖っ毛風ヘアとして落ち着いているけれど、中学の頃は極力目立ちたくなくて……だから寝癖を頑張って直していた。……それでも直りきらない日の方が多かったけど。

だからひろのサラサラな髪がとても羨ましかった。そして毎朝自分の髪を触るたびに考えていた。ひろの髪はどんな感触なんだろう、と……

「俺の髪、触ってみる?」

「え……?」

不意を突かれた。

例えるなら、絶対に掴めないと思っていたものがいとも容易く掴めてしまった時のような。

そして俺の手は、ひろの頭に伸びていた。

ひろが何か言っていたが聞こえなかった。聞こえないふりをした。

「ひろの髪、サラサラで気持ち良い」

実際に触ってみたひろの髪は、想像以上にサラサラだった。頬がどんどん緩んでいく。

こうやって撫でていると、中学の頃学校で飼っていたヤギを思い出す。

「良い加減やめろよ」

俺の手が振り払われる。少しやり過ぎただろうか。

そして立ち上がろうとしたひろだったが、慌ててしまったのだろう。前へつんのめり、俺の胸へと倒れこんできた。

「ごめ……」

慌てて離れようとするひろ。それを俺は遮った。

ひろのサラサラな髪が目の前に来る。

途端に、いろいろな感情が流れ込んできた。

憧憬、恋慕、情愛、情欲……

俺があの日憧れ、好きになったサラサラな黒髪と、前を向かせてくれたひろ。

ーーああ、俺やっぱりひろが好きだ。

「ちょ、苦しい……」

訴えるひろ。そんなひろの耳元で、気づくと俺は囁いていた。

「嫌なら殴ってでも抜け出してみなよ」

何言ってんだろう俺。思ってもみないことが自分の口からついて出たことに、少しばかり困惑する。

「じゃあ遠慮なく……」

ひろの拳が背中に落ちる。

「うぐっ!?」

結構な痛みに、体の力が抜けていった。

「ごめん……大丈夫か?」

その声が離れて聞こえることに、心が潰れそうになった。

”ひろに嫌われてしまった“

「いいよ、行きなよ」

我ながら覇気のない声だったと思う。

とてもじゃないけど、ひろの顔は見られなかった。

「じゃあ……」

パタン…と足音がドアの向こうに消える。

ひろに嫌われてしまった俺は、明日からどうしたらいいんだろう。

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