家族の空気

「な、なあ、ちょっと。ウーヴァ、聞いてもいいか」

 テティンに声をかけられたウーヴァは緑の目をぱちくりさせてから頷いた。

「ココとどういう――」

「どういう関係でもないってさっき言ったはずなんだけどなあ」

 兄の背中を強く叩いたココノアがウーヴァを見上げて「ウーヴァ、おいで。案内するよ」とサイズの大きな長靴を持ち上げてみせた。

「……テテ兄、変なこと吹き込まないでよ」

 そして、ココノアは赤い目を細める。わざとらしく頬を膨らませて首をかしげると、母と同じ色をした髪がばさりと揺れた。

「本当にウーヴァはなんでもかんでも覚えるんだから」



 ココノアは自身も長靴を履き、畜舎の中を回っていく。ウーヴァが知らない動物がいれば説明し、触り方も教えていく。とはいえ、山羊がたくさんに、馬が少し、鶏が騒がしいくらい――と種類自体は多くない。

 ウーヴァも動物を恐れることもなく、ニグニオのお古の長靴を履いて動き回っている。鶏を抱えた時に羽ばたかれたのにはかなり驚いていたが、それでも臆することもなく奥にあった卵を拾い上げて「見つけた!」と大喜びしていた。

 馬のいる畜舎ではニグニオが掃除をしている最中だったのでほんの少しだけ手伝いをしたが、今日のところは触れ合う程度だ。ぐるりと敷地内を散歩するようにウーヴァを連れ歩いたココノアは最後の締めにと緩い丘の上まで登ってきていた。

「ココちゃんの家、動物たくさんいるんだな」

「君が動物を苦手にしなくてよかった。明日からは家の手伝いもしてもらおうかな。餌をやったり、さっきみたいに掃除をしたり」

 ココノアがふっさりとした草の上に座り込んだ。ウーヴァも隣に腰を降ろし、心地よい風に吹かれる。

「……いや、君に掃除を任せたら終わらない気がする」

「なんで?」

「だって、あんなところの――」

 と話し続けようとしたココノアが口を閉じる。そういえば畜舎のような煩雑な場所は嫌がる可能性も考えていたのだが、ウーヴァはその心配も無駄に終わって平然としている。彼の変なスイッチが押されない分には喜ばしいことなのだが、彼の中にある世界観がますます掴めない。

 ココノアが数瞬、思考を硬直させた後、一つ頷く。

『うん、とりあえず分からないから触れないでおこう』

「――まあ、いろいろしてもらおうかな。……それにこっちに帰ってきたのは君を連れていきたいところがあるからなんだ。そっちを終わらせないとね」

「連れて行きてえとこ?」

 ウーヴァの興味が移ったことを確認し、ココノアは手を後ろについて顎を上げた。青に赤みが届き始めた空をぐるりと通りすぎ、逆さまの視線で丘を下る。その先に広がるのは鬱蒼とした森だ。

「僕とツィーネが出会った場所」

『懐かしいね、俺のココ。あの時から変わらず、たまらなく好きだよ』

 姿の見えないツィーネに向けて口角を僅かにあげ、ココノアはそのまま草の布団に倒れ込んだ。

 空が遠くに見える。

『あの時とは違って僕はもう大人だ。動ける範囲も広くなったし、繋がりも作った』

『流石だね、俺のココ』

 ココノアは頬に触れる草にくすぐったさを感じながら青い空を見上げる。夏の一番暑い時期はすぎたが、それでも日差しはまだまだ力強い。

「ココちゃんとツィーネが出会った場所?」

「そう。あの森の奥の更に奥。――懐かしいなあ。僕が足を滑らせて」

『小さな崖を落ちてきた小さなココを俺が助けたんだったね』

「ツィーネに助けられて。それから暇さえあればツィーネに会いに行くようになって」

『そして、契約をしたんだよ、俺のココ』

 ツィーネが合いの手のように言葉を挟んでくるので、自分が口にしている内容とこんがらがって口をつぐんだ。

「ココちゃんとツィーネが出会ったの、いつ?」

「もう十年以上前だ。僕が九つの時だったから」

 ばさりとウーヴァが隣で倒れた音がした。がさがさと草がこすれる音に心地よさを感じ、ココノアは目を閉じる。草の青臭さと土のしっとりした匂いが混ざっていて肺を満たしていく。

 海に近い商の町の匂いも嫌いではないが、この塩気ではなく土や草の匂いの方が慣れ親しんだ時間が長い。体に染み込むように落ち着いていく。

「あっという間だったなあ」

 ココノアが薄目を開け。右手を広げて伸ばした。空の上、ここからでも天空都市ラズワードが見える。

『……神様、か』

 手のひらに被せた天空都市ラズワードを握りつぶし、ココノアはその拳を腹の上に置いた。



「明日も神様の機嫌がいいみたいだし、良かったわね」

 そう言ったアーリアがキッチンから持ってきた鍋をテーブルの真ん中にどんと置いた。

 テーブルには今朝絞ったばかりのミルクをふんだんに使ったスープに、そのミルクから作ったチーズ、鶏肉と交換で貰った固いパンと大皿で置かれたサラダがまとめて並んでいる。

 今までは宿スミレや外食などで食べることが殆どだったウーヴァは鍋のまま置かれたスープに目をぱちくりした。

「食べる分だけ自分の皿にとって食べる。ゆっくり食べてるとテテ兄に全部食べられるから気をつけて」

「なんだとう!」

「ココ、最初の一杯くらいとってあげなさい。突然そう言われても慣れないだろう」

 ココノアはニグニオに「はい」と返事をし、隣に座っているウーヴァにまずは指を組むように促した。

「ご飯前の習慣。恵みとなんとかかんとかに感謝してから食べるんだ」

 雑なココノアの説明にアーリアが溜息をついて口を開こうとしたが、彼女がお説教になる前にとテティンが「自然の恵みと、今日という命に感謝して。いただきまーす」とフライング気味で食前の言葉を放った。そして、それに引っ張られるようにそれぞれが「いただきます」と口にする。

 きょときょとと様子を眺めていたウーヴァが一拍遅れて「いただきます」と発するのに合わせ、ココノアはウーヴァの皿にスープをたっぷりと注いだ。

「もう。あなた、ちゃんと普段からいただきますしてないんじゃない? お祈りもちゃんとしてる?」

「してるよ、してる」

 隣のウーヴァが「なんで? してねえよ?」と口を開くので小突く。ユイジュやテティンはココノアのその様子にくつくつと笑っていたが、アーリアの表情は苦い。

 ココノアはそんな母の厳しい視線から逃げるようにウーヴァの前へスープ皿を置いた。

「はい、どうぞ。足りなかったら後は自分でとって食べて。サラダも食べないと母さんにも怒られるよ」

「そういうココは普段からしっかり野菜も食べてるの?」

「心配しなくても食べてるよ」

 自分の分のスープとサラダもとったココノアは次から次へと飛び出る母の心配を適当にあしらいながらパンの上にチーズを乗せて口いっぱいに頬張った。

「ならいいんだけどねえ。ウーヴァ君、ココって少し変わってるでしょ。迷惑かけてない?」

 アーリアの心配にココノアは咀嚼しながら眉間に皺を寄せたが、すぐにそれを解く。

「ココちゃん、変わってんの?」

「あらやだココちゃんだって! お父さん、聞いた? ココちゃんって」

 半ば無理やり飲み込んだココノアが「僕がちゃん付けで呼ばれるのってそんなにおかしい?」と苦笑いを浮かべる。

「それに、変わってるとか言ってないで、ウーヴァの面倒ちゃんと見てるんだから褒めてくれないかな。僕の店を手伝えるようになったし、お金の計算も教えたし」

「ココちゃんがやりかた教えてくれた!」

「あの勉強嫌いのココが?」

「ユユ兄みたいな複雑な計算が出来なくたって店のやりくりは出来るよ」

 にっこりと――少々兄に向けて強めの笑みだ――したココノアはそのまま自分の話ではなくウーヴァの話に流れを変え、会話だらけの賑やかな食卓を彩った。

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