第三章 変わる風向き

草原の家

 ジェードの件が一旦落ち着いてから、ココノアは長距離を走る大型の晶力式四輪車に乗り込んでいた。

 落ち着いたといっても捕まった一人がアカの研究所の元職員だと分かった程度の進展だ。ただ、散々ジェードの警察隊に説明を繰り返したココノアへ電話がかかってこなくなった頃、というだけである。

 それでもジェードからの連絡を気にせず出かけられるようになったココノアは気楽な心持ちで大型晶力式四輪車を降りた。

 道中で良く話した乗客に手を振って見送る。

「はー、遠かった」

「ココちゃんの家ってこの辺り?」

 ココノアと一緒に降りたウーヴァは前に抱えていたリュックを背中に戻し、周囲をきょろきょろと見渡す。しかし、道の両側は畑ばかりで家と思われるものは近くにない。

「いいや。この道をずーっと歩いていったところ。途中で馬車が来たら乗せてもらおうかな」

 田舎に相応しい空間をココノアが歩き出す。すると、ずっと姿を見せていなかったツィーネが光をまとって現れた。彼は進行方向の反対を水晶の瞳で見ている。

「ココ、向こうから馬車が来るよ」

 ツィーネの言葉にココノアとウーヴァが顔の向きを揃えた。

 それからほんの二呼吸ほど後、幌のついた馬車がこちらへやってくるのが見えてくる。そして、それから更にしばらくして、ココノアは馬車に乗る女が知り合いだと気付いて大きく手を振った。



 久々に顔を合わせたご近所さんとの会話を楽しんだココノアは停まった馬車から軽やかに降り立った。片腕には先程までは持っていなかった、野菜がぱんぱんに入った紙袋を抱えている。

 降りてもまだからころと言葉を交わす女は日焼けで出来た染みをほころばせていた。

「それじゃあ母ちゃんと父ちゃんによろしくね」

「うん、そっちもみんなによろしく。それに野菜もありがとう」

 ココノアは荷台の後ろにちょこんと座っていたウーヴァに「降りておいで」と声をかけつつ馬の首を撫でた。馬もココノアに慣れた様子でぶすぶすと鼻息をたてておとなしくしている。

「ええと、ありがと!」

 降りてきたウーヴァがココノアの隣に並ぶと、女はわずかに表情を固くした。しかし、それもすぐに笑みに紛れる。

「いいってことよ、このくらい。それじゃあね、ココ」

「ありがとう。助かったよ」

 女が軽く手を振って馬車を走らせ始めた。

 ココノアは少し先まで馬車が離れるまで見送り、一呼吸を挟んでからウーヴァを見上げた。

「さあ、ウーヴァ。いらっしゃい。ここが僕の家だ」

 そういった彼女が背中にしたのは、白い柵だ。白い柵の内側には広々とした土地に緑が茂り、緩やかな丘や建屋が見ている。

 ただ、見えている建屋は平べったいただの四角で――

「……家ってスミレみてえな形してるんじゃねえの?」

 ウーヴァが不思議そうに尋ねるので、ココノアはからからと笑って背中を向けた。

「家って言うと確かにそうなるか」

 外側から白い柵の内側へ手を伸ばし、勝手に閂を外す。

「塗りが甘い。テテ兄の仕事かな」

 白い柵にそんな評価をしたココノアは一歩を踏み込んだ。そして、ようやくウーヴァの疑問に答えを差し出した。

「ここは僕の家族が暮らす農場だ。君が思う家ももちろん建ってるよ、この扉からじゃ遠いけどね」

 ココノアに次いでツィーネも中に入り、ウーヴァはよく分かっていない顔のままそれに続いた。



 ココノアはウーヴァが思う家と呼ぶに相応しい建屋の前を素通りした。

「ココちゃん。これ、家じゃねえの?」

「家だよ。だけど、この時間だと空っぽなんだ」

 そういったココノアは迷わず近くの平べったい建屋に向かっていく。ウーヴァが畜舎特有の動物臭さに不思議な顔をしているのを面白く思いながら、ケコケコと鳥の鳴き声がうるさい扉を開けた。

「ただいまー」

 重く錆びた音で開いた扉に気付いたのは中にいた一人の男だった。飼料がたっぷりと入ったバケツを餌箱に入れようとしたままのポーズで固まっている。

「あ、テテ兄」

「ココ!?」

「ねえ、父さんと母さんは? 先にウーヴァを紹介しておこうと思うんだけど――」

 ココノアと大した年の差がなく見える男は彼女の言葉を最後まで聞かず、バケツを置いて――餌を待っていた鶏からは大ブーイングだ――悲鳴のような声で「母さああああん!」と叫んで奥へ走っていく。

 普段から騒がしい兄ではあるのだが、ここまで大騒ぎされる理由は分からない。ココノアは眉間を寄せてから、ウーヴァとツィーネを振り返った。

「……僕の顔、また腫れてる?」

 水中都市ジェードで負った傷はすっかり良くなっており、痕もほとんど目立たない。

「いつもどおりだよ、俺のココ」

「腫れてねえよ」

 二人の意見が同じことにココノアも納得しつつ首を傾げていると、奥から兄がわたわたと戻ってきた。

「母さん! ココが! ココが男連れて帰ってきた!」

「騒がしいわねえ。男って言ったって、あの子でしょう、いつもの精霊くん――って、あら」

 兄が手を引いてきたのはつなぎを着た茶髪の女だった。ココノアとそっくり同じ髪色をした彼女は、黒い目を大きくして首をかしげる。

「あんた、また別の精霊くん連れてきちゃったの」

「目え見ろって! こっち人間!」

「……手紙、読んでない? 向こうを出る前に出したのがあるんだけど――」

 おかしいな、とココノアが眉間に皺を寄せた時。

「お手紙でーす!」

 開いていた畜舎を覗いた郵便屋と振り返ったココノアの目があった。その手が揺らしている見慣れた封筒を見て、ココノアは「……今届いたみたいだ」と苦笑いを浮かべた。



「ちょっとした成り行きで僕が面倒をみてるウーヴァ。力仕事なら任せられるし、経験にもなると思って連れてきたよ」

 ココノアよりも到着が遅かった手紙は開かれることなく、ひっくり返ったバケツの上に置かれている。

 ウーヴァは道中で話を聞かされていた彼女の家族との対面に怯む様子もなく、しっぽがあれば振っていそうな気配で大きな目で並ぶ四人を見ていた。

 そんな彼を隣に、ココノアは作業中に集合をかけた家族に手のひらを向ける。

「えーっと、父さんのニグニオに、母さんのアーリア。こっちは一番上のユユ兄で、さっき大騒ぎしてたテテ兄」

「ユイジュです、どうも。こっちはテティン」

「大騒ぎなんかしてねえだろ!」

 妹が突然男を連れて帰ってきたことに驚いて大声を上げていたテティンに、ココノアは「してたよ」と言いたげな目で笑って頭をかたんと傾けた。

 不敵な笑みを浮かべるココノアとぐぬぬと渋い顔をしているテティンが睨み合ってる中、ウーヴァは「ええと、にぐにお、あーりあ、ゆいじゅ、ててぃん……」と指を折々名前の確認をしているので、アーリアはからからと笑ってそれを制した。

「そんな一気に覚えなくたって大丈夫よ。おばちゃんとおじちゃんで十分」

 突然の来客でも気にした様子が全くないアーリアの隣で、大柄のニグニオがほんの僅かに遅れて微笑んだ。

「……こっちにいる間は、ゆっくりなさい」

 ウーヴァを見た家族が嫌な顔をする様子もなく、とりあえずは顔合わせを成功させたココノアはふうと肩の力を抜いた。

「ということで、ウーヴァはどの部屋に泊めたらいい?」

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