目覚め

 満腹になるまで昼食を食らい、たっぷりの水を飲み込んだココノアは冷たいシャワーを浴びてからベッドの端に座った。

 ウーヴァは食事の後、早速レクトーナに手伝いを頼まれて高い身長と有り余る力を利用しているようだ。唯一ある空き室の模様替えをするようで、今まさにレクトーナの指示に従って家具を動かしているはずだ。

 あのきっちりした性格は適任かもしれない、とココノアは目を閉じる。窓を開けているが今日は風が弱く、部屋の温度は高い。

「ジェードにいるとこっちの暑さが嫌になりそうだ」

「冬には寒さが嫌になるって言うよ、俺のココ」

「そういう意味ではジェードはすごく過ごしやすいよ。――さあて、さっさと寝てこの暑さから逃げようかな」

 ココノアが目を開くと、先程まで隣に座っていたはずのツィーネが正面にいた。彼の透明な瞳を見上げる。

 水中都市ジェードを覆う水晶が海や太陽を吸い込んで、光をきらりきらりと降らせるように、彼の瞳の中に入れ込めたらそこは光が踊る空間なのだろうかと考えて目を細める。

 目をくり抜いて光をかざせば美しいのはきっとツィーネのほうだ。この赤い瞳も悪くはないが、きっとそれは透かして見てもどろりとした血の色になるのだろう。透かして煌めく宝石とは程遠い。

 それはきっと彼が精霊で、僕が人間だからだ。

 そんな分かりきったことを改めて確認し、ココノアは穏やかに温度もなく微笑む。

「君のクアルツって夏はしっとりと冷たくて」

 ツィーネが頬に触れる。

「冬はほんのりと温かくて、本当に土に埋まってるみたいだ」

 生きたまま土葬されるような、とは言葉にせずココノアは僅かに眉を寄せた。

 体内にクアルツが注がれ、代償に生命力が吸い取られていく。じわりじわりとやってくるけだるさに身を任せて目を閉じると、背中をツィーネが支えた。

「息苦しさも、全部……」

 ベッドに横にさせられ、ココノアは意識が固いベッドマットに沈んでいくのを感じる。ツィーネが何も言ってこないことを不思議に思う力もなく、苦しげに息を吐く。

「……ぜんぶ、君が、……ぼくを――」

 ココノアが大きく口を開いた。必死に息をしながら、沈んでいく。体は弛緩するというのに、芯の部分が強張っているかのように。

「そうだよ、俺のココ」

 ツィーネはそのまま意識も沈めたココノアの胸に手を置く。自分にはない体温がそこにあり、自分にはない心臓が脈打っていた。

 何の抵抗もなく苦しみに溺れてくれるココノアを見下ろし、ツィーネは両手を彼女の頭の横に突いて顔を近づける。

「そうだよ。この苦しさは、俺が君を――」

 最後の言葉は口には出さなかったが、彼女の唇には押し付けた。



「あっはっはっ! ウーヴァは細かいねえ!」

 レクトーナが豪快に笑うと、ウーヴァはきっちりキッチンと平行に並んだ机に満足した顔で振り返った。

「だって、こっちのほうが綺麗だ」

「そりゃあそうさ。ただ、あたいもダイダもそこまで細かい性格じゃあないからね。あんたがやってくれると助かるよ」

 模様替えも掃除もきっちり丁寧にこなすウーヴァの評価はぐんと上がったようだ。

「ただ、もうちょっと加減を覚えてくれないと時間がかかっちまうよ。今日はいいけれどね」

 レクトーナは汚れた雑巾をバケツにひっかけ持ち上げる。

 それをすかさず、ウーヴァが受け取った。にんまりと誇らしげな彼の表情は母親の手伝いをする小さな男の子のようだ。

「レクトちゃん、俺持てるよ」

 レクトーナは面食らって大きな目をさらに大きくしたが、すぐに目を細めてぱしんと彼の腕を叩いた。

「ははは! レクトちゃんだなんて可愛い呼び方してくれる子がいるなんてねえ! おばさんびっくりしちまったよ。ほうら、おいで。ダイダが休憩のおやつを作って待ってるはずだからね」

「レクトちゃんって呼ばねえほうがいい? 変だった?」

 バケツの代わりに大きな箒をウーヴァからひったくった彼女はけらけらと笑いながら、掃除中だからと一つにまとめていた髪をばさりと下ろした。茶色のうねる髪が彼女の背中を広がる。

「少なくともレクトちゃんって呼ばれる年じゃあないね」

「でも、セジャちゃんが女の子はって呼ぶんだって」

「あっはっはっ! あの子もやるねえ。あたいは姐ちゃんあたりが限界だよ。いや、姐ちゃんどころかどっちかっていうとあんたの母ちゃんって年だからね」

 一階の洗濯場にある水道の近くへバケツと雑巾を置くように指差し、彼女がウーヴァに手を洗うように言った。

「後はあたいがしておくからね。あんたはキッチンに行ってダイダに終わったって言ってきな」

 ウーヴァは少しだけ考えた後、首かしげた。

「姐ちゃんもすぐくる?」

 レクトーナはにししと歯を見せて笑った。

「まったくあんたは可愛いねえ。すぐに行くよ。ダイダにきんと冷えたジュースを用意するよう言っておいておくれ」

 今度は呼び方に何か言われることもなく、ウーヴァはぱっと表情を明るくして「分かった」と出ていく。

 レクトーナは眉尻をさげ、ふんすと息を吐いた。

「……母ちゃんや父ちゃんのことは覚えてるんだろうかね。向こうで心配してるんじゃあないか、こっちだって心配だよ」

 そう言って視線を上げた。その先にはココノアの部屋があるはずだ。そこで眠る彼女にそうっと語りかける。

「ココ、しんどくなったらすぐに言うんだよ。あんた一人が抱え込むような話じゃあないんだからね」



 ココノアが目を覚ます。

 酷く歪む視界を閉ざそうと右手で両目を覆う。

 体の中を侵すように蠢くクアルツに息苦しさを覚えながら、いつまでたっても慣れない重たさに眉を寄せる。

 一体今回はどれだけ眠ったんだろう、と深く息を吸い込んで。

「……ツィーネ?」

 狭いベッドの上。

「おはよう、ココ」

 隣には精霊ツィーネが寝そべっていることに気付き、腕をおろして顔を向けた。彼は重さが殆ど無い状態なのか、シーツに薄い皺を作ってはいるものの固いベッドマットをこれっぽっちも沈ませていない。

「……ずっとそこにいたのかな」

 長い髪が顔にココノアの顔にかかっていて、ツィーネはそれを細い指先でかきあげた。

「隣で寝てほしいって言ったのはココだよ」

 優しい微笑みが返ってきて、ココノアは重たい体で寝返りを打つ。体を横向きにしてツィーネと向かい合う。

『覚えていてくれたんだね』

『俺のココのお願いだからね』

 そうっと心を交わしたココノアが目を閉じる。

「もう一眠りするよ。すごく体が重いんだ。体中に重りが入ってるみたいだ」

「好きにしていいって言ったのもココだよ」

 ココノアが口の端を持ち上げて笑った。

「言ったよ。――おやすみ、ツィーネ」

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