協力者

「その髪型、斬新だね」とはセジャの評価で、ココノアは「僕だから何しても似合うんだよ」と力なく笑った。

 ウーヴァに結ばれた髪はぐしゃぐしゃだ。彼は綺麗にまとめられないことが気に食わないようだったが、いつまでも奮闘されるわけにもいかず、途中で切り上げさせたのだ。

 髪を梳いてやり直そうかとも思ったのだが、面倒臭さが勝った彼女はぼさついた髪を揺らしながら医務室を後にした。頬の腫れは落ち着き、傷も特に問題を起こしているわけでもないらしい。今日一日様子を見て問題がなければアメシストに戻ってもいいと診断結果が出ていた。

 四輪車が煙を吹くような液体だったのでいったいどんな危ない薬だったのかと思っていたが、入ってはいけないところに液体が入っての煙だったそうで、劇薬と呼ぶようなものではなかったらしい。アカの研究室で先日盗まれた被害があった薬品だそうで、アカの研究所からきた職員もこんなことに使うものじゃないと憤慨していた。

 危険度でいえば、彼らが最後に放った街路樹と四輪車を燃え上がらせたものの方が危なかったらしく、あの弾に当たらずに済んだのは大変幸運だったらしい。当たっていた時の想像は、それらの残骸を見ればしたくもなくなる。

 ココノアはミドリの研究所の中庭に設置されたベンチで横になりながら、自身の幸運と午後からの予定に考えを巡らせていた。

 水晶の天井を見上げるが、太陽のきらめきは届いてこない。昼間だというのに明かりが灯っていて、気分も上がらない。ただ、そんな薄暗い暗い天井も目を閉じれば関係ない、と彼女は一つ息をついてから目を閉じて腹の上で指を組んだ。

 昨日の出来事を整理するように落ち着いて数を数えていると、人の気配を感じた。ぱちりと片目だけを開けると、セジャが自分を覗き込んでいた。

「おっと、お祈りの時間だった?」

「僕がそんなに熱心なアロズ教の信者だと思ってるなら、君の観察眼なんて大したことないよ」

 セジャをからかい返しながら、ココノアは両目をあけて体を起こした。その隣にセジャが腰を下ろす。

「そもそも熱心に信仰してる人間がに乗り気になるはずないでしょ。その時点で君は立派な罰当たりな不届き者だよ」

 けらけらと笑ったセジャがポケットから封筒を取り出し、ココノアに手渡した。

「明日、戻るのはウー君と二人だけでも大丈夫? 今回のこともあるし、私はもう少しこっちでやることをやって戻るよ。さっきバン君から連絡があって、モッチェリカがトラブってるみたいなんだよね」

「分かった。他に計画の変更は?」

「ないよ。――ないからこそ、そっちはよろしく頼んだからね」

 セジャが笑いながら封筒を指差す。可愛らしい柄の封筒に入った中身を見透かすように、ココノアは目を細めて頷く。

「僕に頼んでおけば何も問題ないよ」

「あはは、相変わらずだね。――ただ、無理はしない程度にね。必要ならもう少しこっちで休んでからでもいいしさ」

「ツィーネが拗ねた面倒くささと比べたら、早く戻る方がずっとましだよ」

『面倒くさくて悪かったね、俺のココ』

「僕もツィーネがいないと調子が出ないしね」

 ココノアが即座にご機嫌取りの台詞をいれると、ツィーネは会話の邪魔をすることをやめた。彼女が地上に戻ってくる日が確定して、機嫌が良いらしい。

「ココ君がそういうならいいんだけどさ。――また連絡はするよ」

 セジャの声に心配が混ざる。昨夜、ココノアが寝付けなかったことを随分と気にしているようだ。事件のショックがあって当然だと、心のケアもすべきだとココノアを熱心に説得したのだが、彼女は全く取り合わなかった。

 そのココノアは呑気にあくびをして背もたれに体重を預け、両手を上げて伸びをする。

「必要ならいつでも。――今回の、アマルガムだった?」

「さあ、まだ口を割ってないみたいだからね。四輪車の中も結構燃えちゃったし、確固たる証拠はまだだね。おおよそ黒だろうけどさ」

 アマルガムとは最近水中都市ジェードやアメシストに出現している、科学とクアルツの融合に反対する者たちの呼称だ。「本人たちが混ざり物を名乗るなんて洒落がきいてる」とはセジャ談だが、冗談みたいに笑い飛ばせるのは名前だけで被害はちまちまと多い。

「この間、僕がとっ捕まえた人もアマルガムのマークが入ったのを着ていたよ」

「最近多いねー、ほんと。こっちでも困ってるんだけどさ。そっちもまた進展があったら連絡するよ」

 ミドリの研究所は率先して科学とクアルツを混ぜ合わせたものを開発しているため、今回のように被害も特に多いらしい。ただ、今回はアカの研究所の薬品も手に入れていたり、証拠隠滅に車を焼いたりと今までとは比べ物にならない過激さだった。

 水中都市ジェードの恩恵を受けるアメシストでも、科学が混ざったものを壊されたり盗まれたりと最近話に聞くようになっている。

「報告を楽しみにしておくよ――って、そうだ、もう少ししたら一回田舎に帰るつもりだったんだ。緊急の連絡が受けられないかも」

「ああ、もうそんな時期だっけ。……電話は?」

 ココノアは肩をすくめて、穏やかに笑う。

「引いてない。伝言屋に頼んで」

 電話は水中都市ジェードで生まれた技術で、アメシストの商の町を中心に少しずつ広まってきている。しかし、他国や田舎では普及していないため、遠くへの連絡手段は基本的に手紙のやりとりだ。

 そして、緊急時など急ぎの連絡をする場合に利用するのが伝言屋である。伝言屋はココノアが乗る晶力式二輪車よりも遥かにスピードが出る高速二輪車に乗る許可を持つ者たちで、大きな包などは専門外だが、一言や手紙など軽くて簡単なものは彼らがあっという間に届けてくれるのだ。

「だよねー。便利なのに」

「便利と必要はまた別なんだよ。僕だってずっと田舎にいたら電話なんて縁がなかっただろうしね」

 田舎生まれ田舎育ちのココノアが草原の中にぽつんと建つ家を思い出す。

 広々とした土地にたっぷりの牧草、大きな畜舎に山羊や鶏。土と草の匂いに囲まれて倒れれば目の前に広がるのは空と空中都市ラズワードだけだ。建物で空が切り抜きのようになることもなく、空の機嫌だけを伺うことができる。

 海の潮っぽさも一切ないし、隣の家の騒音に悩むこともない。

『あそこに戻る頃なんだね、俺のココ。嬉しいよ』

 そして、そこはココノアとツィーネが出会った場所だ。

「ウー君も連れて帰るの?」

「力仕事が溢れかえってる家だからね。そのつもり」

『……あいつを連れて帰るのは嬉しくないよ、俺のココ』

 ツィーネの分かりやすい声に、ココノアは僅かに笑い、その口元を隠すように俯いた。

『目が届かないのも困るんだよ。我慢してくれないかな』

『……俺のココがそういうのなら』

 セジャは俯いたココノアとは正反対に、水晶の空を見上げる。

「ま、ウー君も一緒なら大丈夫かなー」

「何が?」

 ココノアがくるりと首を回してセジャを見ると、彼女はまだ上を向いたままだ。海は暗く、静かで、太陽のきらめきはない。

「ココ君のこと。――無理しないでよ。大事な協力者なんだからさ」

「その言い方だと、ツィーネなら僕に無理をさせるみたいだ」

「その通りだよ」

 セジャが立ち上がる。腰にぶら下げた懐中時計で時間を確認し、ぱちんと蓋を閉じた。

「ウー君はココ君のことを心配するけど、チー君はそうじゃないでしょ」

 ココノアは答えず、笑ったまま首を傾げる。誤魔化す笑みではなく「そうではない」と伝える強い笑みだった。

 ツィーネは僕の心配をしてくれるよ。

「チー君はあんたのことを何だと思ってるのか――私は時々心配なんだよ」

 その心配が適切であるかどうかはさておき、ね。

 セジャが懐中時計を揺らしたのをみて、ココノアも立ち上がった。

「よし、時間だ。帰りたいならやることやってもらうからね!」

 ココノアは肩と首を回してほぐすようにしてから「はい」とにっこりと首肯した。

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