火傷

「ココ君! 大丈夫!?」

「セジャちゃん! 誰か、撃った! ココちゃんの下のやつが、ええと、撃たれて――!」

 ウーヴァに担がれて退避させられたココノアはセジャの声に反応も出来ず、彼に降ろされてそのまま崩れるように膝を折った。顔色が目に見えて悪く、先程まで自身がいた方向に釘付けになっている。

「撃たれた? どういうこと……ちょっと待って、ウー君。――ココ君! どういうこと!」

 セジャが彼女の肩を掴んだ。呆然としていた彼女がはっと目の前に焦点を合わせ、正面のセジャを見上げた。

「……セジャ」

「ココ君、大丈夫? 発砲音なんて聞こえなかったけど、撃たれたってウー君が――」

「吐きそう」

「え?」

 うぷ、と胃から迫り上がってきたものを押し込もうとココノアが両手で口を覆った。セジャの正面から逃げるように体を曲げ、耐えきれずにべちゃりと嘔吐する。

 ウーヴァが彼女の後ろにしゃがみ込み、何度も背中をさすった。

「うわ、大丈夫!? もしかしてさっきの傷が――早く医務室に――!」

「撃たれたやつ、死んだ。たくさん血が出て、ココちゃん、たぶんびっくりして」

 詰め込んだばかりの朝食を出してしまったココノアが後ろへ手を回してウーヴァの手首を掴んだ。苦い唾液を垂らしながら、視線だけをセジャに向ける。

「――だいたい、ウーヴァの言った通りだ、……ごめん。撃たれた、人は、たぶん、手遅れだと、思う……う、え」

 セジャがそれに応えて何か言っていたが、雑音のように聞き取れず、ココノアはまた背中を丸める。彼女が走ってどこかへ去るのだけが気配で感じられた。

「ココちゃん、ココちゃん。大丈夫、深呼吸して」

 ココノアはぎゅっと目を閉じ、ウーヴァの声に従って酸い息を体の奥へ送り込んでは吐き出す。脳裏にべったりと血が残っており、男を押さえるために触れていた手や足には生きた体温が残っているような気がした。男が触れていた場所以外の体温がどんどんと下がっていくような感覚に、ココノアは小さく身を震わせる。

『……コ……ココ? 俺のココ?』

『――……ツィーネ。……ごめん、ずっと呼んでた? ちょっと、今は、よく聞こえなくて……。人が、僕の、僕が掴んでいた人が、死んで。死んだんだ……撃たれて、血が――』

 思考も細かく震えるのを自覚する。言葉が上手くまとまらず、ツィーネの声を聞こうにも動揺の砂嵐が彼の声にかぶさっているようだった。

『俺のココが生きているなら、それでいいんだよ』

「ココちゃん、ココちゃん。セジャちゃんがお水持ってきてくれた」

 ぞっとするようなツィーネのひんやりとした声を浴びたところへ、ウーヴァの熱い体温のある声が聞こえて、ココノアはその温度差に火傷を負いながら顔を上げた。

 火傷の痕を残さないように冷やすのも忘れ、ココノアは汚れた手で構わずウーヴァの服を掴んだ。

「――君は、平気、なんだね」

「ココちゃんは、なんで平気じゃねえの?」

 ウーヴァの心底不思議そうな声に、ココノアはもう一度両手で口を押さえた。吐く物など何も残っておらず、胃液がちりちりと喉を焼いて上がってくる。

 火傷に触れられた痛みを、酸を、ぼだりと吐く。

『君とウーヴァがおかしいのか、僕がおかしいのか……分からなくなりそうだ』

 そして、水筒を受け取ったココノアは顔を上げ、ウーヴァの目が落ち着いた深緑になっているのをしっかりと確認してから目を閉じた。彼の胸に額を押し当てるようにして、体の力を抜く。



「……今日中に帰れる?」

「帰れると思う?」

「……思わない」

「正解。ココ君、落ち着いたなら君の話も聞きたいって。……大丈夫? 無理しなくたって、明日でも――」

 ココノアは医務室のベッドから起き上がり、額を押さえた。動揺からようやく抜け出し、疲れを滲ませた笑みを浮かべる。

「ツィーネがこれ以上怒らないうちに帰りたいし、出来ることは先にやってしまうよ。……ありがとう、服まで借りてきてもらって」

 セジャがココノアと身長の近い男性研究員――運悪く彼女ほど背の高い女性は近くにいなかったらしい――から服を借りてきていた。苦い溜息をつき、ぐしゃぐしゃになってしまった髪を一旦ほどく。

「それくらいなんてことないよ。本当に大丈夫?」

 ココノアは祖父の死に立ち会ったことがあった。

 死んだ体とお別れの挨拶として頬に口づけをしたし、燃え残りを土に埋めた際にだって男に混じってスコップを持った。おじいちゃんっ子だった兄が大泣きしているのを横目に、彼女は涙も流さず大好きな祖父と別れを告げたのだ。

 死も死体も初めてはなかったし、兄からはけろっとした様子に呆れられたくらいだったので、こうやって何かに巻き込まれたとしても動揺せずにいられるのだろうとずっと思っていたくらいだった。

「吐き気は? 酷いなら点滴を打つってシューナさんが言ってたけどどうする?」

「大丈夫。……それより、ウーヴァは?」

「ウー君なら平気そうだよ。外でモッチェリカと大人しく待ってる。……あんたが気絶した時は泣きそうになってたけど、……死体に対してはびっくりするくらい落ち着いてたね」

 ココノアは自身がまさかこんなに動揺することになるとは、と瞼を降ろす。視界は薄暗く、血の赤は見えない。

「……そう。記憶の問題かな」

「かもね。生死の概念は分かるみたいだけど……流石に問い詰めてはないよ」

 想像以上にショックを受けている自分に戸惑いながら、ココノアは髪を適当にまとめ直して目を開けた。

 自分はもっと図太いのだと思っていた、と固い唾液を喉に落とす。

「あ、そうそう。ウー君の聴取は先にしてもらったからね。いまいち話が通じないって警官が頭抱えてたけど、何があったかくらいは把握出来てるみたいだから」

 僅かに笑ったココノアはベッドから足を下ろしてスニーカーに足を突っ込んだ。立ち上がり、ぐっと背中を伸ばす。

「……本当に大丈夫?」

「大丈夫だよ。いつまでもベッドの上で寝てられるほど僕は病弱でもない」

 ココノアの髪がゆらゆらと揺れる。

 そのまま病室から出ていこうとする彼女の手を、セジャがぎゅっと掴んだ。

「ココ君」

「はい?」

 振り返ったココノアと、見上げるセジャの視線が絡み合う。

「無理しちゃ駄目だからね? それは体の問題だけじゃなくて……心もだよ」

 ちくりと痛む火傷を思い出し、ココノアは自分を誤魔化すように笑ってみせた。

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