痛み

「ココ君!」

 煙を上げる四輪車の元へココノアが戻ってくると、少し離れたところにはセジャとウーヴァが並んでいた。ウーヴァが押さえていた男は警察隊の制服を来た男女に挟まれて肩を落としている。

 四輪車のすぐ近くには青い塗装がされた車が止まっていて煙に向かって放水していた。

「ごめん。二人も逃した」

「一人捕まえれば十分だよ。彼がいろいろ喋ってくれるだろうし、無茶しなくたっていいのに! あいつが振り回した液体、どこにも被ってないよね?」

 セジャが心配を装備して突撃してくるので、ココノアは両手を上げて彼女を制しながら「大丈夫だよ」と笑顔を傾けた。ばさりと前髪が揺れ、彼女の頬の傷が姿を見せた。

「ココ君、そのほっぺどうしたの」

「え? ああ、これ? さっき瓶がかすって――痛っ」

 自分で頬に触れたココノアがびくりと震えて手を離した。傷が出来た違和感はずっとあったが、今はそれ以上にぴりぴりと肌を刺す痛みがある。気付いてしまったせいで余計に痛みが増す。

「瓶ってさっきのじゃ! ココ君、しゃがんで! ちゃんと見せて!」

 セジャに手を引かれ、ココノアが膝を曲げた前髪が邪魔にならないように分けて耳の後ろへ引っ掛ける。

「うわ……かなり腫れてきてるね。――ウー君、お水貰ってきて。飲料水だよ。後でお金は払いますって言って」

「い、いんりょーすい?」

「飲める水! 早く! 走って!」

 腕をぺちんと叩かれたウーヴァが大慌てで先程の喫茶店に駆けていく。

 ココノアは気付いてしまった頬の傷に顔を歪めていた。

「そんなに酷い? そんなに大げさに切れた感じじゃなかったと思うんだけど」

「薬品の入った瓶で切ったんでしょ! 普通の切り傷と一緒にしないで。耳や目に違和感は? ――瓶を見たけど、たぶんアカで研究されてるものだと思う。詳しくは知らないけど」

 ココノアはぴりぴりと刺激が続くのが気になりながら、長期戦になりそうだと悟って膝を突いた。立っているセジャを見上げるように顔を上げる。

「耳も目も平気だよ。――髪、邪魔なら結び直そうか」

「違和感があったら即言って。髪は結び直して、ウー君が持ってくる水の半分は飲んで、半分は傷口にかけてもらって。……私はちょっとアカにも連絡してくるよ。それの開発してる人、検討がつく」



 ウーヴァに水をかけられ、ココノアは痛みに思わず声をもらした。

 長い前髪も後ろでまとめてしまったため、彼女の腫れた顔もよく見える。傷は爪の先ほどの幅だが、腫れはそれの何倍もの範囲に広がってしまっていた。

「ココちゃん、大丈夫? 痛え?」

「痛いけど大丈夫だよ。――そんなに酷い顔になってる?」

 ココノアが苦い笑みを浮かべると、ウーヴァは自身の左頬を押さえた。

「ここ、ぷくーってしてる……」

 ウーヴァは鏡のように左を押さえたが、実際にココノアが晴れているのは右頬である。彼女は「帰るまでに収まるといいんだけど」と小さく呻き、ここにいない精霊の顔を思い浮かべた。

『そんなに酷いのかな、俺のココ』

『僕は僕の顔が見えないから分からないけど、周りの反応を見る限りよくはないみたいだよ』

 言葉で伝えただけでは特に機嫌が悪くなった様子もないツィーネだが、この傷を実際に見た後に彼がどういう反応をするのかはあまり考えたくない。

 ツィーネの中で、ココノアを水中都市ジェードへ時々連れて行ってしまうセジャの評価はあまり良くない。今回のことで悪化しなければいいけれど、とココノアは小さなため息を付いた。

 若干憂鬱になりながらウーヴァと話していると、白衣の女がぱたぱたと近づいてくる。後ろで髪を一つに丸めた彼女は小さく会釈をした後、ココノアの正面に膝を突いた。

「ココノアさんですね。私は医務課のシューナです。セジャ博士から要請を受けてきました。――ああ、腫れていますね。少し触ります。痛いでしょうが我慢してください」

「いてて」

「我慢です」

 シューナが薄手の手袋をして頬に触れると、ぴりぴりとした痛みがずきずきに変化した気がした。ココノアは奥歯に力を込めながら、心配そうにこちらを覗き込むウーヴァへひらりと手を振った。その際に指先がかすったウーヴァの大きな手をぎゅっと握る。

「ココちゃん、大丈夫?」

「大丈夫ですよ。――ココノアさん、消毒液をかけます。染みますが我慢してください」

「……我慢ばっかりだなあ。いててて!」

「我慢です」

 ココノアが痛みで手に力を込めると、ウーヴァもそれを受けて力をこめる。

 そして、ウーヴァはそんなココノアではなく少し離れたところを見ていた。

「――なんだ、あれ」

 彼の視界に入っているのは路地の隙間から覗く男の顔と、その男がこちらに向けている筒のようなものだった。

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