ふたりきり

 一泊することになったことよりも、こちらの方がツィーネは怒るんじゃないだろうかとココノアは目の前の現実に頭を抱えたくなった。

 聴取を終え、セジャとの夕食も終えた後、――セジャは文句を言いながらミドリの研究所へ戻った――ココノアとウーヴァはさっさと今夜宿泊予定の小さな宿に来ていた。少々耳の遠い老夫婦がやっていて、価格も安い必要最低限の設備があるだけの宿だ。

「うん。ベッドが二つある部屋でよかった」

 どうにか前向きにとらえたココノアは溜息を一つつき、部屋に入って右手のベッドに腰を下ろした。

 夕食前、男女二人それぞれ人部屋ずつ借りたい、そう予約の電話をかけたはずだったが、老夫婦を二部屋用意してほしいというところを聞き漏らしたらしく、二部屋が一部屋に化けてしまったのだ。しかも他の部屋は改修中だとか、長期利用客がいるだとかでどうしようない。

「ココちゃん、かっぷるってなんだっけ」

「……さあ、なんだったかな」

 老夫婦は男女二人という情報だけはしっかりと耳に入れたらしく、宿に来た二人を見て「こんなところでカップルで旅行なんて珍しいわねえ」「羨ましいわねえ」と勝手に話を進めた。「仕事仲間です」といった訂正も受け付けてくれない彼らには疲れた笑顔を向けるしかなかった。

 こういう時こそ男に間違われればいいのに、と多いながらもココノアは清潔そうなベッドを手でぐいぐいと押して溜息をひとつ。部屋の問題もそうだが、先程からツィーネが喧しい。今相手にすれば面倒くさくなるのが分かっているので聞こえないふりである。その聞こえないふりもツィーネには伝わっているだろうが。

「今日は疲れたな……。ウーヴァ。君は寝る間に風呂に入る? それとも朝起きて?」

「寝る前に入ってた」

「分かった。それなら先に入っていいよ。着替えがないから楽な格好にはなれないけど、君は上くらい裸で寝たって僕は気にしないから、好きにして」

 僕はつなぎのままだけど、とココノアはもう一つ溜息。

「ココちゃんは?」

「僕は君の後に入るよ。湯船はなかったけど、まあ、汗くらいはしっかり流しておいで」

 ウーヴァがすんなり「分かった」とシャワールームへ移動したのを見送り、ココノアはばたりとベッドに倒れ込んだ。

『ココ! どういうことか説明しておくれよ! 俺のココ!』

 ウーヴァとの会話という逃げ道がなくなった途端、ツィーネの怒った声が心にがんがんと響いてきた。無視するのも限界だと感じ、ココノアは目を閉じる。

『近くの宿はここしかないんだよ。元よりこの辺りは観光地じゃないんだし……』

『あんなやつと二人きりなんて、嫌だ! 俺は、嫌だよ!』

『ツィーネ。駄々をこねたって変わらないよ』

 ぎしぎしと心が軋んで、ココノアは眉をひそめた。

 意識の端っこでウーヴァがシャワーを浴びて「ひゃあっ冷たい!」と悲鳴をあげているのが聞こえる。

『……お湯の出し方が分からないってオチだったら笑うんだけどなあ』

『俺のココ! 俺と話してるのに、どうしてあいつの話しなんかをするんだろうね!』

 うっかりウーヴァのことがそのままツィーネに伝わってしまい、ココノアは居ない精霊に向けて慌てて手を振った。そして、それが無意味だとすぐに気付いて手を下ろす。

『出し方が分からないんだじゃなくてお湯自体が出ない、とかなら僕も冷たいめにあうから嫌だと思っただけだよ。ツィーネ。そんなに怒らないで』

 深呼吸を繰り返す。

 このままツィーネに引っ張られて興奮してしまえば、またウーヴァに嫌な顔を見せるはめになる。

『何をそんなに心配してるのかな。僕の一番は君であることに変わりはないし、そっちに戻れば同じ部屋でずっと一緒にいるのは君だ。ウーヴァはそこに割り込めない』

 寝返りをうち、シャワールームへ背を向けた。ウーヴァはまだ出てこないだろうと踏んで、枕を引き寄せて頭の下に入れる。

『……俺は、俺のココの心配はしてないよ』

『じゃあ何を?』

 ココノアが目を開けた。隣りにある空っぽのベッドが目に入る。ウーヴァに持たせてあったボディバッグがぽつんと置かれているだけだ。

『あいつが、俺のココに、何かしないかって――心配なんだよ』

 随分と人間らしい嫉妬だ、とココノアは口元を歪める。

 ココノアは彼を男というよりは大型犬のペットのように思っているし、彼も特に彼女を女として意識している様子はない。精々セジャに吹き込まれた程度だ。

『何もないよ、たぶん。何かあっても、僕ならなんとか出来る』

 とはいえ、ここはクアルツを使えない水中都市ジェードである。力づくで押さえられれば手も足も出ないだろう。

 ツィーネはそんな気楽なココノアがもどかしいのか、複雑な気持ちを心に沸かせていく。言葉にはなっていないが、彼の嫌な気持ちは彼女にしっかりと伝わっていた。

 ココノアはどうすれば彼が落ち着いてくれるかと考えながら再び目を閉じる。

『君って人間じゃないのに、人間みたいに心配してくれるなんて面白いなあ』

『俺のココ。今はそういう話しじゃあないよ。――あいつのものなんかにならないでおくれよ、俺のココ。俺は人間のことなんて分からないし、どうでもいいけれど……男と女っていうのは雰囲気次第で仲良くなったり体を合わせることがあることくらい、知っているよ』

 昔、セジャに吹き込まれた知識である。

 ココノアと部屋で二人きりになる男を――性別はあまり関係ない精霊とはいえ、一応男性型であるツィーネを――セジャが面白がってからかったのだ。

 それだけ一緒にいたら好き合ったり、付き合ったりしないのか、と。

「セジャは本当に余計なことばっかり教える……」

 思わず口に出して呟きながらココノアが静かに笑う。

『で、僕がそういうことをしたことある?』

 元よりココノアを独占したがるツィーネだ。

 ココノアは今までも同性異性関係なく、極端に距離を縮めないようにしてきていた。ある程度の距離を保ち、精霊が一番だと常に証明するように。しかし、セジャからの知識を得た彼はそれ以上にココノアに近づく男を特に嫌がるようになった。

『突然そんなことになるわけないよ。キスだってしたことないのに』

『俺のココがしたいなら俺がしてあげるよ。唇を合わせればいいだけだからね』

『そういうことじゃない。そもそも君は精霊だし……』

 じゃあ、精霊ではなく相手が人間なら?

 そう考えてみても、ウーヴァとそういった関係になる未来は全く見えてこないし想像も出来ず、ココノアは苦笑して目を開けた。

「うわっ!」

「わ!」

 いつの間にか風呂から出ていたウーヴァがココノアを覗き込んでいた。

 ココノアは文字通り飛び起き「ど、どうかした? そんな近くで」と首を傾げた。ウーヴァもココノアがそんなに勢いよく飛び起きるとは思っておらず、驚いて後ろへ下がっている。

「コ、ココちゃんが寝てたから……起こすか、起こさねえか考えてただけ……」

 ココノアは驚きすぎて真っ白になった思考から復帰して、普段通り穏やかに笑った。

「うとうとしてたみたいだ。――僕もシャワーを浴びてくるけど、君は先に寝ていて」

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