お姫様

 セジャはバンガスに試作品の話をたっぷりした後、ココノアとウーヴァがなかなか戻ってこないことに気付いた。研究内容について話し出すとつい時間を忘れてしまうのは研究者の性か、二人が揃って扉を開けて廊下へ顔を出す。

「ココ君、調子は――」

「しーっ」

 その廊下ではココノアとウーヴァが座り込んでいた。仲良く並んではいるが、ココノアは口を半開きの状態でウーヴァに寄りかかって眠っている。涎こそ垂れていないが、緩みきった間抜けな表情だ。

「ココちゃん、眠てえんだって」

「……だからってこんなところで寝ちゃうかな、普通」

 セジャが頭を振って大げさに呆れてみせ、ココノアの前にしゃがみこんだ。結ばれていない髪をちょいちょいと引っ張ってみるが、彼女はむにゃむにゃと口を動かすだけで目覚めない。摘んだ毛先を見ると、日焼けのせいか枝毛がちらほら。

「起こす?」

「起きるのかね、これは」

 笑ったセジャがココノアの頬を人差し指で雄が、彼女は「むぇ……」と謎の鳴き声を出して逃げるようにして顔をそむける。

「よっぽど眠たかったんだね。研究室にソファがあるし、中に運んだほうが……」

 バンガスの提案にセジャが頷いた。心優しき巨人を見上げ、次いで大型犬を見下ろす。ココノアを運ぶにはどちらが適任かと少し悩み、髪を高い位置で結んでいる大型犬と目を合わせた。

「ウー君、ココ君を運んでくれる? まったくもう、ココ君ってほんとどこでも寝ちゃうよねー」

「ココちゃん、そんなに寝るの」

 ウーヴァがココノアの背中と膝裏に手を入れ、ぐっと持ち上げた。重たそうな頭部がくたりと肩によりかかる。

「普段はそんなことないけど、眠たい時はびっくりするぐらいすーっと寝ちゃうんだよね。ま、どうせココ君のことだし、夜遅くまでせっせと商品作ってたんでしょ」

「ねぶそくだ」

「そうそう、寝不足。ウー君、覚えが早いねー」

 バンガスが研究室の扉を開け、ウーヴァがそちらに向かって歩き出す。

 抱き上げられても起きなかったココノアだが、流石に目を覚ました。

「んぇ……?」

「あ、ココちゃん、おはよ」

「……おはよう。ところで、僕……自分の体勢がいまいちよく分からないんだけ、ど……」

 目をぱちくりさせたココノアが随分近いウーヴァの顔から目を逸らし、はたと気付く。

「う、わあ。ちょっと待った。ウーヴァ、下ろして下ろして!」

「ココ君、この間もチー君にお姫様抱っこされてたよね」

「え、そうだっけ――っていいから、ウーヴァ下ろしてってば」

 ウーヴァがゆっくりとココノアを地面に立たせると、彼女は恥ずかしそうに眉間に皺を寄せて髪の毛をかき混ぜた。結ばれていない髪の毛がぐしゃぐしゃと絡む。

「この間、晩御飯の途中で寝ちゃったでしょ。その時にチー君がお姫様抱っこして部屋に連れ帰ってたよ」

「……ツィーネめ」

 この場にいない精霊に恨みを込めて呻く。

 衝撃的な目覚めだったからか眠気はすっかり吹き飛んだらしく、ココノアはすっきりした顔になって一つ息をつく。状況はともかく起こしてくれた三人には簡単に礼を言い、そのままセジャと話し始める。

 ウーヴァはちょうど隣にいるバンガスを見上げた。

「なあ、バンガス」

「え、僕? うん、どうしたの」

「お姫様って、なんだっけ」

 バンガスは唐突な質問に一瞬硬直した。

 その隙に、ココノアがばっと振り返って「知らなくていいよ!」と唇を尖らせ、セジャはげらげらと笑いながら「今度、お姫様が出てくる絵本を持っていってあげるよ」と笑った。



「え、嘘」

 ココノアからぽろりとこぼれ落ちた言葉に、セジャは困ったように頬をかいて「嘘じゃないんだよね、これが」と唇を歪めた。

 髪留めを新たに編んでいたココノアが手を止め、セジャを見る。

「泊まり? 本当に?」

「ごめん! ほんっとうにごめん! これから昼間の分の聴取があるんだけどさ、その後、研究室に戻って詳細も報告しなくちゃいけなくって。――たぶん、アマルガムだと思うし」

 ぼそりと呟いたセジャが両手を合わせて頭を下げる。

「本当にごめん! いろいろしてたら、門が閉まる時間になると思う。明日の朝には出られるようしてもらうから……」

 ココノアは曖昧に頷きながら「まあ、仕方ないよ」とウーヴァを見上げた。ウーヴァは事態を飲み込めていないのか、普段通り深緑の瞳をパチクリさせている。

「ウーヴァ。帰るのは明日。今日はジェードに泊まっていくよ」

「ココ君一人なら私の家に泊めるんだけど……」

 セジャはアメシストの宿スミレのように、水中都市ジェードジェードにも一部屋借りている。研究室にこもる場合の睡眠や着替えを目的にしているだけの部屋なため狭く、ウーヴァがいると三人がぎゅうぎゅう詰めになってしまう。

「宿の場所さえ教えてくれれば、僕もウーヴァも適当にするから気にしないで」

「ああ、うん。それくらいは任せてよ。……ああ、チー君怒るだろうなー」

「何百年も生きる精霊にしたら、一日も二日も大差ないよ、たぶん」

「ココ君は呑気だね! 絶対にねちねち言われるよ……っていうか、ココ君にも影響出るでしょ。ごめんね、本当に」

 嫉妬深い精霊を思い出してセジャが再び謝り始めるので、ココノアは笑ってそれを制した。

「僕はツィーネのことなら大概慣れっこだし、気にすることないよ」

 ココノアは苦笑しながら再び手元に意識を戻す。髪留めを編みながら、状況をツィーネに知らせるために言葉を心へ落としていく。

『――と、いうことで、帰りは明日になりそうだよ』

『例え俺が精霊でも一日と二日だと大差あるよ、俺のココ』

 想定内の文句が帰ってきて、ココノアは僅かに口元を緩めた。

『僕に文句を言うのはいいけど、セジャにはあまり言わないでやってよ。セジャのせいじゃないんだから』

『俺のココがそういうのなら。あと、俺がその約束を覚えていたらね』

 心に浮かび上がった拗ねた声に、ココノアは小さく声を出して笑ってしまい、慌ててその口元を隠した。

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