触れる

「――俺に、触るな」

 ココノアのかすれた低い声にウーヴァが下がると、何事かと思ったセジャが目をぱちくりさせて二人に体を向けた。

 セジャには彼女が何を言ったかまでは聞こえていない様子で、ウーヴァの隣で一時停止をして彼を見上げる。目の前にいるココノアは再び胸を押さえて俯いていた。

 ウーヴァが顔を引きつらせているのを見、セジャは改めてココノアの方へ進む。

「ココ君、どうかした? 体調が悪いなら――」

 セジャが手を伸ばす。しかし、ウーヴァがその手を掴んで制した。

「だ、だって……ココちゃんが……」

 上手く説明出来ないウーヴァがぶんぶんと頭を振り、毛先が暴れる。

「ココ君の調子が悪いんでしょ? 必要なら医務室もあるし、手を離して――」

「大丈夫だよ」

 セジャがウーヴァの手を離させようとしていると、ココノアの普段通りの声が届いた。女性にしては低めの、澄んだ声だ。

「ココちゃん――」

「ウーヴァ。さっきはごめん。――セジャ。少し廊下にいるよ」

 少し困ったようにも見える笑みを浮かべながら、ココノアは顔を傾けた。後ろにまとめた茶色の髪がばさりと揺れる。

「それは構わないけど……。大丈夫? さっきのこともあるし――」

「大丈夫だよ」

 セジャとバンガスの心配を一刀両断し、ココノアはウーヴァの手を掴んだ。

「君もおいで。僕の暇つぶしになってくれるかな」

 ココノアが真っ赤な目を細めてウーヴァを見上げる。ウーヴァが小さく頷くだけの返事をすると、彼女はその手を強く引いて部屋から出て行ってしまった。

「――ココノアさん。さっきはかなりきつい表情をしていたね」

「え、そうだった? 見損ねたな……。ウー君が何か怒らせたのかもね。ココ君が怒るなんて滅多にないんだけど」

 バンガスは一瞬だけ目にした、ウーヴァを睨むココノアを思い出し、首をひねる。

「彼女、分かりにくいよね。何度会っても全然つかめない」



 研究室から出たココノアはウーヴァから手を離し、扉の反対側の壁に背中をつけてずるずるとしゃがみこんだ。視線を泳がせる彼を手招きし、隣に座らせる。

 今までならぴたりと隣に腰を下ろしてきた彼は半人分のスペースをあけていて、ココノアはその空っぽから逃げるように視線を扉にむけた。

「ごめんよ。あんなこと言うつもりじゃなかった、なんて言い訳しか出来ないんだけど」

「……俺がココちゃんに、触ったから」

「そうだけど……そうじゃない。ごめんよ。自分でも止められない時があるんだ」

 ココノアが苦い息をつき、そっと隣へ手を伸ばした。俯いているウーヴァの脇腹を人差し指でちょいとつつく。

「ひゃあっ! コ、ココちゃん!」

 不意のそれにウーヴァが体勢を崩す。

「あはは。ウーヴァ。ほら、仕返ししてごらんよ。怒らないから」

 ウーヴァが脇腹を抱えて守りながら、ココノアへ深い緑の瞳を向けた。そこに映るココノアは先程のように醜く歪んだ顔ではないし、声も冷たく作られたものではない。

 彼の探るような視線にココノアは苦笑して、ぺたりと廊下へ尻をつけた。ぐるりと体を回し、彼を正面にする。両手を広げ、彼に向けて伸ばした。

「ウーヴァ。僕が駄目だって言った時は絶対に駄目だ。離れてほしいって言った時は絶対にすぐ離れること。いいね」

『それじゃあずっと「駄目」と「離れろ」にしておいておくれよ、俺のココ』

『その時は君にも同じことを言ってあげるよ』

 からかうようなツィーネの声が聞こえ、ココノアは即座に心で言い返した。ツィーネの笑い声が心の奥からぷくぷくと湧いてきて、肩の力が抜ける。

「それ以外は好きにしていい。――だから、おいで。ウーヴァ。仲直りしよう」

 ウーヴァの無骨な指が、繊細なガラス細工にでも触れるように、そうっと彼女の指に指を合わせた。

「ココちゃん、ごめんな」

「さっきのは僕が悪かった。君が謝る必要はないよ。……だけど、もう忠告はした。次からはちゃんと従ってくれるかな」

 ココノアが細い指を動かし、ウーヴァの大きく厚い手に指を絡めた。ウーヴァは握り返さず、緩く指を曲げるだけに留めている。

「ココちゃんが嫌がったら、ちゃんとやめるよ。だから――」

「大丈夫。さよならなんてしないよ。いい子だね」

 ウーヴァの言葉を遮ったココノアは握った手を引っ張った。重たいウーヴァの体が傾いて頭が下がる。その下がった頭をわしゃわしゃと両手でかき混ぜた。

「わ、わっ」

「あはは。ウーヴァ。髪はこのまま伸ばす? 暑いし切りたいかな?」

 大人しく頭を差し出したままの姿がお座りをしている犬のようだと、ココノアがけらけらと笑う。

「切ったら、お揃い出来ねえよ」

「お揃い?」

 普段と分け目が逆になってしまったウーヴァが顔をあげる。そして、前へ流れた長い金髪を撫でた。

「この前、結んでくれた」

「……ああ。あれが気にいった?」

 先日、手合わせの際に彼の髪を結んだことを思い出す。

 ココノアは少し考えるように首を傾げた後、自身の髪をまとめていた紐をといた。量の多い髪がばさりと肩に落ちる。

「ウーヴァ。頭を上げてごらん」

 髪留めを口に咥え、ココノアは膝で立ってウーヴァの後ろへ回った。彼の長い金髪を手ぐしでまとめていく。

「俺だけだったらお揃いじゃねえ……」

「髪留めくらいすぐ編める」

 笑ったココノアがウーヴァの髪を根元でぎゅっと締めた。可愛くリボン結びをしてやったココノアは「はい、出来た」と満足気に頷き、彼の頭頂をぽんと叩いた。

「この髪留めはあげるよ。結びたいなら今度から自分で結んでごらん」

 ウーヴァは髪に触れながら、ココノアの方を向こうと腰を捻ろうとして――、

「ねえ、ウーヴァ」

 ココノアが背中にのしかかってきたので、動きを止めた。自分の肩から彼女の顔が出てきて、ウーヴァは首を傾けて距離を取る。

「――あんなことを言う僕でも」

 彼女の赤い目はウーヴァを見ることなく、ぼんやりと前を見つめている。

「君は僕と仲良くしたいのかな」

 そして、ウーヴァが答えようとするのを遮って、彼女は後ろから回した人差し指をそっと唇の前に立てた。

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