心配

「いらっしゃい……って、セジャ、どうしたの。顔色がなんだか……健康そうには見えないけど……」

 そう言って出迎えてくれたのはセジャ曰く「心優しき巨人」であるバンガスだった。

「健康だよ、一応ね。ちょっといろいろあって……。バン君、ちょっと電話貸して」

 バンガスは巨人と呼ばれるだけあってかなり身長が高かった。平均身長を越えるウーヴァよりも更に大きく、ウーヴァもぽかんと口を開けて彼を見上げている。目を引くような身長である自覚が彼にはあったが、ウーヴァがあまりにまじまじと見てくるので戸惑いが隠せない。ただでさえ下がっている眉尻をさらに下げて微笑む。

「ええと、ココノアさんこんにちは。そちらがウーヴァくん? 荷物なら、あそこに置いて――」

「怖いおじさん?」

 バンガスが場所を指し示すよりも、ココノアが彼にウーヴァを紹介するよりも早く、ウーヴァはバンガスを指差していた。ココノアはその指を握って降ろさせる。

「人を指差さない。……ウーヴァ。彼はバンガス。僕とセジャの友達だよ。――バンガス。こっちはウーヴァ。記憶が歯抜けで子供っぽいところもあるけど許してやって」

「お、おじさん……」

 ココノアが改めて紹介するが、バンガスはウーヴァの一言に気を取られている。

「ココノアさん……僕のこと、おじさんって……彼に……?」

「余計なことを教えるのは僕じゃなくてセジャだよ」

 確かにバンガスはここにいる四人の中では最も年上だ。しかし、おじさんと呼ぶほどの年ではない。

「う……。セジャは……ここじゃかなり若いメンバーだし……彼女から見れば、僕なんかおじさんの年なんだね……。六つも離れてるし……」

「そんなこと言ったら、ウーヴァとバンガスなんて八つも違うよ」

 バンガスの心にナイフを突き立てたココノアは、電話で先程の出来事を話しているセジャの背中を見た。まだもう少しかかりそうである。

 分かりやすく落ち込んだ顔をしていたバンガスも彼女の視線をなぞるようにしてセジャへ顔を向けた。

「……何かあったの。もしかして」

「うん。知らない四輪車と追いかけっこになったんだ」

 まるでにわか雨にあったと報告する軽さでココノアが先のことを説明すると、バンガスの表情はますます暗くなった。大きな体から溢れた不安が行き場をなくして彼の周囲で渦巻いている。

 注目を浴びているセジャは水中都市ジェードの治安を守っている警察隊への連絡を終え、ミドリの研究所にも電話をかけ、怒った口調で愚痴を吐きながら状況を説明していた。

 当事者よりもそわそわと不安な顔になってきたバンガスの意識を他へ移してやろうと、ココノアはウーヴァが持っている荷物を軽く叩いた。

「そうだ、バンガス。この荷物はどうしたらいいかな」

 バンガスはココノアの声を聞いて、不安の海に浸けていた顔をようやく上げた。わたわたと大きな動作で空いたスペースを示した後、彼自身が先導してすぐそばに立った。

「ご、ごめんね。ここに置いてくれる? 追われたって話をきいて、その、最近はアマルガムも活発だし……自分のことみたいに思ってしまって……」

「なんで? バンガスは追われてねえのに?」

 荷物を置いたウーヴァが首をかしげると、バンガスは「えっ」と声を詰まらせた。

「そう、だけど……ええと、なんていうか……」

「セジャのことが心配すぎて動揺したってことだよ」

「コ、ココノアさん……!」

 言葉を濁すバンガスの代わりにココノアが口を開くと、彼の顔は火がついたように真っ赤になった。しかし、ウーヴァは腑に落ちない様子で「心配しすぎたら自分のことになんの?」と眉頭を寄せている。

 ココノアは「どうだろうね」と笑った後、ひらりと身を翻して窓の方へ向いた。きらきらと光を揺らす、水晶に阻まれた空を見上げて窓枠に両手を突いた。

『そっちはいい天気かな、ツィーネ』

『少し雲が出てきたよ、俺のココ。雨かもしれないね』

 普段なら太陽を直接見ようものなら目が焼かれてしまうところだが、海底から見上げる太陽は居場所すらはっきりしない。

『雨か……。もし僕が戻る前に雨が降ったら洗濯物を入れておいてくれないかな。ついでにウーヴァの分も』

『……俺のココがそういうのなら』

 セジャの電話が終わり、彼女がバンガスにも詳しい話をし始める。

 ウーヴァは話し相手がいなくなって、ココノアの真後ろに立った。彼女の隣に割り込もうにも、窓の半分には木箱が積まれていて並ぶスペースがない。

『そんなにウーヴァのことが気に食わない?』

 ウーヴァはココノアに小さく声をかけたが、彼女は何も反応しなかった。ぼんやりと空を見上げたまま、僅かに口元を緩めて笑っている。彼は静かに彼女を背中から囲うように手を伸ばした。彼女の両手の横に手を突き、同じく空を見上げようと体を押し付けた。

『俺はココのことが心配なんだよ、あいつはやすやすと踏み込んでくるから。素材としてはいい状態だし、俺もそう思ってココに伝えたけれど……まさかこんな風に――』

 突然のことに驚いたココノアがツィーネの言葉を最後まで聞かずに首を回して振り仰いだ。

「ウーヴァ?」

「ココちゃん、何見てんの?」

「何って……向こうはいい天気だなって思ってただけだよ」

 窓とウーヴァでサンドイッチ状態になったココノアは背中を曲げるようにして彼を押す。すると、彼は構ってもらえて嬉しいのか、それを胸でぐっと押し返してきた。

「ウーヴァ。今は、ちょっと――」

「なんで? 空見てただけじゃねえの?」

 ココノアは唇の内側を噛む。が、すぐに唇を笑みの形にする。茶色の髪が傾いた。

「ぼんやりしたい時もあるんだよ」

『ほら。こうやって俺のココを奪う』

 サンドイッチの具になっているココノアが僅かな隙間で身を反転させ、両手でウーヴァの脇腹に手を伸ばした。

『君とこうやって話せることは秘密なんだし、多少は普段通り目をつぶってくれないかな』

 こちょりとココノアが指先を動かすと、ウーヴァは引きつった悲鳴をあげて飛び退いた。

 セジャとバンガスの顔が揃ってこちらを向くので、ココノアは笑って気にするなとでも言うように手を振る。

『普段通りならそうするけれど、俺のココは随分楽しそうだね』

 ウーヴァに追撃を仕掛けようとしたココノアの動きが止まる。もう一度強く唇を噛む。

『ツィーネ。違う。そうじゃないんだ』

『言い訳は必要ないよ、俺のココ。全部、聞いてるんだから』

 ぞくりとするものが心から這い上がってきて、ココノアは心臓を上から押さえつけた。膝が曲がり、背中が丸みを帯びる。

「……ココちゃん?」

 半歩下がっていたウーヴァが彼女の様子に気付いて、肩に手を乗せて覗き込み――、

 途端、ココノアは顔を上げてウーヴァを睨みつけた。手を振り払い、背筋をまっすぐに伸ばす。

「――俺に、触るな」

 ココノアから絞り出された冷たくて低い声に、ウーヴァは怯えたように後ろへ下がった。

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