触れない
ミドリの研究所へ到着したココノアはアオの研究所への移動経路を考えていた。
セジャは書類の提出や報告会があると言って席を外しており、彼女が開放されるまではココノアとウーヴァは来客用で待ちぼうけだ。研究所内もある程度は歩いていいと許可は得ているが、とりあえず先にしなければならないのは仕事の不安点を減らすことである。
「ココちゃん、ココちゃん」
「はい」
ココノアは机の上に水中都市ジェードの地図を広げ、その上に脳内情報を重ねていた。荒れているとセジャがいっていた場所、事件が起きたとニュースになった場所や日時、目的地とその周辺に、持っていく荷物の大きさ、道の広さ――。
様々な要素を組み合わせて脳内の地図に経路の線を引いている最中のココノアは、ウーヴァの呼びかけに返事をしたもののその続きは何も聞いていなかった。
しばらく一人で喋り続けたウーヴァはふと口を閉ざし、何度か瞬きをする。
「……ココちゃん?」
「はい」
再び生返事。
ウーヴァが少し黙る。
「……あれ」
と、ココノアがようやく地図から顔を上げ、隣に顔を向けた。
「もしかして僕に声かけた?」
「……かけた。ココちゃん、返事もしてたのに」
ウーヴァの拗ねた声に、ココノアは誤魔化すようにはにかんだ。
「ごめんよ。ちょっと考え事をしてたんだ。それで? どうかした?」
ある程度考えをまとめ終わったココノアがテーブルに腰掛けた。行儀は悪いが、咎める者はここにいない。
「研究所の中、セジャちゃんが歩いてもいいってセジャちゃんが言ってた。ココちゃんに案内してもらえって」
「ああ、うん。そうだった」
ココノアはようやくセジャから「案内してやってよね」と言われていたのを思い出す。一人で待っている時はこの部屋で自分の仕事――商品作り――をしていることが多いが、ウーヴァはそうもいかない。今日も製作中の小物を幾つか持ってきているが、ウーヴァの暇も潰してやらなくてはならない。
「悪かったよ。どうしても集中するとあんまり周りが見えなくて。聞こえてないと思ったら肩でも叩いてごらん。ちゃんと反応するから」
無視されたことが寂しかったのか、ウーヴァは拗ねた表情のままで首をかしげる。
「肩は、触ってもいいところ?」
「……別に、僕に触っちゃいけない部分なんてないよ。それとも僕は触るだけで壊れそうなほど脆く見えるのかな」
ココノアが笑いながらウエストポーチを机の上に起き、鍵を手にとって部屋を出ていく。ウーヴァは後につきながら、長い金髪をがさがさとかき混ぜた。
「女の子はあんまり触っちゃ駄目だって」
「それを吹き込んだのはセジャ? でも、僕はあまり気にしないよ。そりゃあ変なところを変に触られたら怒るだろうけど――」
「変って?」
鍵をかけたココノアの動きがぴたりと止まった。そこまで言う必要はなかったのでは、と気づくが時すでに遅し。ウーヴァは「変ってどこ? どうやって触ったら駄目?」と純粋な目でココノアを見下ろしている。
ココノアは少し黙り、ポケットの奥に鍵をつっこんで首を傾げた。
「……さあ。僕も分からないなあ」
「なんで? ココちゃんのことなのに、なんで分からねえの?」
静かな廊下を歩き出す。ウーヴァの質問タイムをどうやってかわすか考えながら、ココノアは反対側に頭を傾けた。
「君に変な触られ方をしたことがないから分からないのかもね。嫌な時は嫌だって言うから、気にしないでいいよ」
そう言いながらココノアがウーヴァの腰あたりをつついた。ウーヴァはくすぐったがって悲鳴とも言えない高い声を出す。彼の思わぬ反応に、ココノアは空気をたっぷり含んでわらった。くすぐるように指をもぞもぞと動かしてみせる。
「ウーヴァも触られたら嫌な時は言って。じゃなかったらまたくすぐるかもしれないよ」
「く、くすぐるって……なんだっけ?」
静かな廊下。
時折分厚いファイルや何かの箱やグラスを運んでいる研究員とすれ違うだけの、静かな廊下。
そんな静かな空間を、ウーヴァの悲鳴じみた笑い声が引き裂いた。
ウーヴァをくすぐり地獄から開放したココノアが向かったのは、展示品が置かれているホールだ。
「ココちゃん……くすぐっても笑わねえ……」
「何度やったって一緒だよ」
脇腹を触られても、ココノアはひくりとも笑わない。ウーヴァが何度かチャレンジするものの、反撃にあって終わりである。
ココノアがウーヴァへ指先を向けてこちょりと動かすと、彼は小さな悲鳴を上げて慌てて離れていく。
「ほら、それよりこれを見に来たんだよ。僕はそこの受付を済ませてくるから、好きに見ててごらん。触らないようにだけ気を付けて」
ウーヴァは脇腹を守るように自身を抱きながら広い空間を見渡した。ロープで囲って区切られた場所があり、そこには様々なものが置かれている。見慣れない物と中でふと目の前に何かを見つけて近づいていく。
「……洗濯機?」
宿スミレにも置いてあり、自分も使い方を教えてもらった洗濯機である。しかし、それとは違って中を回すはずの水晶が見当たらない。
「ウーヴァ! 緑色のボタンなら押していいって! 押してごらん!」
「緑は、ええと」
「葉っぱの色」
受付を終えたココノアが笑いながらウーヴァの隣にならんだ。そして、ロープの外から手を伸ばして緑色のボタンをかちりと押し込む。
ガゴ、と音を立てたそれがぐるりぐるちと中身を回した。水こそ入っていないが、水晶で動くものと大差ない。
「水晶ねえよ」
「クアルツを使わない機械っていうのがこれ」
「……ほんとに使ってねえの?」
「うん。不思議だね。――ウーヴァ。おいで。僕が一番好きなやつがこっちにあるんだ。階段が勝手に動くんだよ」
ココノアが指差した方向に歩き始め、ウーヴァもそれについていく。そして、揺れる彼女の手の甲をつつくようにして触れた。
「ウーヴァ?」
「手は、駄目?」
『駄目だよ、俺のココ』
ツィーネの声が聞こえたココノアはほんの少しだけ悩んでから、普段どおり笑って黙ったまま手を払った。
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