視れども見れず
ココノアはウーヴァとセジャが後ろで話していることに気付いていたが、その内容までは頭に入っていなかった。何か喋ってるようだ、程度の認識で歩いている。
『俺とばっかり喋っていて大丈夫? セジャに声をかけられたみたいだけれど』
つい先程セジャの問いかけに答えたことはツィーネにも伝わっていたらしい。ココノアは食い込む肩紐の位置を直す。
『大丈夫だよ。僕が話を聞いてないのはいつものことだ』
クアルツの塊である精霊ツィーネはジェードに一切立ち入れない。ココノアと離れるのを嫌がる彼が心だけでもと声をかけてくるのはいつものことである。
ココノアは僅かに笑って、それを抱えた荷物で隠した。ツィーネの言葉に反応してつい表情を変えてしまって周囲に訝しまれる経験もそこそこ多いが、なかなか治らない。
歩きながら水中都市ジェードの様子や仕事の予定など適当に話題を選んでいると、ふとツィーネの言葉に重みが増した。感じ取ったココノアの足が止まりかけ、リズムを狂わせた。
『――今日の帰りが遅くなる理由はまだ分からないのかな?』
彼女の帰りが遅いことが余程気にいらないらしい。ツィーネの声が心を蝕むように染み込んできて、彼の侵食から逃げるように意識をしっかりと現実に浮上させた。小さく息をついてからセジャを見る。
「セジャ。そういえば今日の最後の予定って? 決まってないって言ってたけどどうなったのかな」
ココノアの問にセジャが「ああそうだったそうだった」とわざとらしく両手を叩いた。いつの間にか彼女が両手で抱えていた荷物がなくなっていて、ウーヴァの荷物が増えている。
「いやあ、チー君が聞いたら反対すると思ってさ、隠したんだよね。状況によっては帰った後もチー君には内緒にしておいてよ」
セジャが人差し指を唇にあてた。
「どうして?」
ココノアの髪がばさりと揺れる。セジャの言葉を心で復唱しないよう気をつける。
「ウー君が持ってる試作品、ミドリじゃなくてアオまで持っていきたいんだよねー」
水中都市ジェードには研究所と呼ばれる施設が複数あり、そこでは様々な研究が行われている。その中でもミドリの研究所、アカの研究所、アオの研究所と色の名前を冠する三箇所はこの科学都市を代表する施設だ。
今向かっているのはセジャが属するミドリの研究所だ。クアルツと科学の融合に肯定的であり、最も大きな施設でもある。そして、アカの研究所はクアルツに頼らない研究を進めていて、アオの研究所では技術の一般化よりも探求を目的とした施設だ。
「アオに寄り道するくらい、ツィーネは反対しないと思うよ」
「ココ君とウー君を連れて行く理由が試作品の運搬ってだけじゃないとしても?」
ココノアの髪が反対側に揺れた。ウーヴァもそれを真似して首をかしげる。
「最近、ジェードの中が荒れててさ。ミドリの車が狙われることもあるから、二人には護衛もかねてもらいたいんだよね。――チー君、あんたがこっちで危ない橋を渡るのをすごく嫌がるでしょ。隠しててごめんね、ココ君がこっちに来られないって状況は避けたくってさ」
セジャが渋い顔をするので、ココノアは肩を上下させて笑う。
「その程度の仕事で行かせないなんて我儘言わないんじゃないかなあ」
「言うよ。最近のチー君の様子なら」
苦い薬を口いっぱいに含んだような顔をしたセジャが首を振り、荷物を持っているウーヴァの腰をぺちんと叩いた。
「ウー君が来てからここ何日か、あからさまに機嫌が悪いよ」
セジャは二日前のことを思い出す。食事中にもかかわらず眠りに落ちてしまったココノアだが、ツィーネが本気で彼女を宿から出すつもりがなければ、あの程度の疲労で済むはずがない。そして、そんな無茶苦茶な契約更新でさえ受け入れてしまうココノアへ非難の目を向ける。
「明らかにウー君に嫉妬してるでしょ。ウー君ばっかり構ってちゃ駄目なんじゃないの」
「別にウーヴァの相手ばかりしてるってわけじゃないよ」
からりと笑ったココノアが、手に持っていた荷物の一つをセジャに渡した。彼女だけ手が空っぽなのはずるい。
「僕はツィーネの相手が一番だし」
『嬉しいよ、俺のココ』
するりと割り込んできたツィーネの声に、ココノアがどきりとした。普段より深いところまで探っているツィーネを思い、空いた片手で一度だけ胸をさすった。
「ココちゃん、ココちゃん。俺は何番?」
「へ?」
ウーヴァのなんてことない一言にココノアの声が上ずった。隣のセジャは軽い荷物を抱えるようにしながらげらげらと笑っている。
「あっははは! ココ君も隅に置けないねー! ひー、面白な、あはは。ココ君は一体何股かけてるんだろうね?」
セジャがここぞとばかりに茶化すが、ウーヴァはよく分からずにきょとんとしている。
彼とは違って意味が分かるココノアはそろりと眉を寄せ、小さなセジャを通り越してウーヴァを見上げた。
「何番でもないよ。ウーヴァはウーヴァ。ツィーネが特別なだけ」
「なんで?」
「おっと、修羅場かな」
セジャが再びいらぬ茶々を入れる。
ココノアは肘で彼女をつついて黙らせて、前を向いた。
「ツィーネは子供の頃からずっと一緒なんだ。だけど、君とは出会って何日目? まだ特別にはなれないよ」
ウーヴァは宿スミレに来てからの日数を数え、小さく頷いた。
「じゃあ、ずっと一緒なら特別になれる?」
「ツィーネくらいずっと一緒なら、なれるかもね」
「ココ君もてもてだねー?」
「あはは。嬉しいよ」
心のこもらない声で笑ったココノアは見えてきた建物を顎でしゃくった。
「ウーヴァ。あそこがミドリの研究所」
『危ない仕事だと分かっていたら、君は僕をここへ送り出さなかった?』
この後に待ち構えているらしい仕事の段取りを考えながら、ツィーネに語りかける。荒れていると言っても水中都市ジェードは地上に比べて治安の良い場所だ。心配するほどではないはず、と踏んでいる。
『そんなことはしないけれど、嫉妬に狂う前には帰ってきておくれよ、俺のココ』
僅かに笑ったような声が心に湧き、ココノアは見えない相手に笑い返した。
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