心ここにあらず
「ツィーネ。離してくれないかなあ」
背中にツィーネを貼り付けたココノアはセジャから頼まれた荷物の準備をしていた。
「俺のココ。早く戻ってきておくれよ」
「今日は遅くなるって何度も説明してるんだけどなあ……」
飽きもせずいつでもココノアの側にいるツィーネからすると、たとえ一日であっても彼女がジェードへ行ってしまうのは寂しいらしい。こうやって駄々をこねることは度々ある。
精霊にしては言動に人間らしさが垣間見える彼らしいと言えば彼らしいのだが、こうやって地味な邪魔をされるのは鬱陶しい。
思ったことを口に出して甘えてくる彼は自分より人間らしいのでは、とココノアは自嘲気味に口を歪めて溜息をついた。そのまま考え込みそうになって、ココノアはすぐに取りやめる。あまり深く考えると心の響き、意図せずツィーネに思考が届いてしまうからだ。
『ま、どれだけ気を付けたって、ツィーネが聞こうと思えばどんな言葉だって聞こえるんだろうけどね』
『聞こえているよ、俺のココ。ジェードでも俺に声をかけておくれね』
ココノアは小さく頷いてから四輪車の荷台に詰め込まれた荷物の最終チェックを始めた。
「ココちゃん! ココちゃん、これ!」
「これがジェードに繋がってる海の階段」
アメシストとジェードを繋ぐのは海の階段と呼ばれる、地上と海底を結ぶ長い階段だ。水中都市ジェードの管理下にあるそれはアメシストの商の町と湾の町とのちょうど境に出入り口を設けている。扉だけがある小さな建屋を開けると、海底へと続く階段が続いているのだ。
ウーヴァは穴の底へ向かう海の階段に大変興奮したようで、ココノアの手を引っ張って一緒になって覗き込んでいる。
何度も通っているココノアからすれば面白いものは何もなく、彼女は適当に相槌を打ちながらウーヴァの横顔を見上げた。子供のように弾けた感情を素直に吐き出す様子を何も考えずにぼんやりと。
「――ちょっとココ君、ウー君! そのまま手ぶらで降りちゃわないでよ! 今日一番の大仕事がここなんだからさ! ほら、荷物持って、持って!」
すぐ近くに停まっている四輪車の横でセジャが大きく手を振っている。
ココノアが発した「はーい」とお気楽な返事を、ウーヴァの「今行く!」と元気いっぱいの声がかき消した。そのままウーヴァに手を引っ張られながら、ココノアは小さなあくびを一つ。そして、宿スミレを出た時点で姿を消していたツィーネを探すように視線を動かし、見えない姿に謝るように苦笑した。
「あー何度通ってもこの階段は疲れるよ……。――ウー君。ようこそ、水中都市ジェードへ」
荷物を抱えたココノアたち三人は幾つかの手続きを終え、長い階段の先にある分厚い水晶で加工された二重扉をくぐった。クアルツの出入りを極力なくすために扉は一枚ずつしか開かない徹底ぶりだ。
空気は地上に比べて遥かに冷たく、そして乾いていた。真夏の強力な太陽も、海と水晶に遮られては威力を発揮できずにいる。薄手のカーテンを通したような光が波打つように降り注いでいた。
視界に入る緑は地上よりも多く、どこを見ても街路樹が茂り、ちょっとした広場にも草花が敷き詰められている。
海底で閉鎖的な空間を忘れさせる、無色透明の透き通った空気だ。
「ウー君はいい反応してくれるねー」
空や町を忙しそうに見渡すウーヴァにセジャが笑い、羽織っていた暗緑色のローブのフードを背中に落とした。
「きれい……。なんで?」
「なんでだろうね。ウーヴァ、おいで。あんまり離れないで」
ココノアとセジャが歩き出し、ウーヴァは慌ててついていく。一番荷物を持たされているというのに彼の足取りは軽やかだ。
「ええと、科学ってクアルツと何が違うんだっけ?」
「あー、そうだなー。地上じゃあ火をつけるのに火のクアルツを使ったでしょ、焜炉みたいに。洗濯機は水のクアルツ、ココ君が乗ってる二輪なんかは風のクアルツ。……ウー君が持っていたっていう銃も火のクアルツが発火装置になっていたんじゃない? 覚えてないか」
ウーヴァは海へ落ちていった拳銃を思い出すが、仕組みまでは思い出せなかった。分解方法も組み立て手順もなんとなく手が動きそうだというのに、どこに何が組み込まれていたかは記憶にない。
曖昧な記憶の海に浸かったウーヴァが「うーん……」と唸ると、セジャはからからと笑って話を続けた。
「ジェードではそういうことにクアルツを使ってないんだ。最近は――そうだな、ちょっとしたものを燃やして力を取り出したり……あとは水路を作って水車を回して――」
「燃やす? す、すいしゃ?」
「……クアルツに代わる力を自然から作り出すんだよ。ジェードはそういった特別な技術に長けてるんだよね。地上がクアルツを操る技術に長けているように。研究所についたら実物も見せてあげるよ」
セジャの言葉にウーヴァが目を輝かせて「ほんと? 見せてくれんの?」と今にも飛び跳ねそうな笑顔を見せる。尻尾でもあれば大きく振っているに違いない。
ウーヴァは欠けた記憶を埋めるためにか、好奇心が強いところがある。研究者向きの性格かもしれないね、とセジャは思いながらも隣を歩くココノアを見上げた。彼女は話に興味がないのかぼんやりと前を見て歩いているだけだ。話も聞いていないに違いない。
「そういえば、ウー君って精霊の――クアルツの属性って分かってるんだっけ」
「属性、ええと、なんだっけ」
「ああ、言葉だけ覚えてるのか」
セジャは抱えた荷物を持ち直し、指を四本立てた。
「水、地、火、それから風。これが四大属性っていって、精霊が必ずどれか一つを持って生まれる大事な属性」
「ツィーネ、地の精霊だ」
「そうそう! チー君は地の属性。だから、ココ君も地のクアルツを操れる」
精霊はそれぞれに合った属性を操ることが出来て、と説明をしたあと指を畳んでもう一度荷物を揺らして荷物の位置を調整する。
「あと付加属性っていうのがあって、四大属性に加えて複数の属性を持つ精霊もいるんだけど……。草木を成長させる属性とか、珍しいのだと光に作用するものとか――いろいろあるんだよ。チー君は地属性だけの精霊だったよね、ココ君? ――ココ君!」
突然話を振られたココノアが驚いたように目を開いてセジャを見た。ぱちぱちと瞬きをした彼女が「はい?」と首を傾げると、後ろの髪がばさりと流れた。セジャの話を一切聞いていたなかったらしい。
「……チー君の話だよ。付加属性とかあったっけ、あの精霊」
「ないよ。それがどうかした?」
不思議そうなココノアに、セジャは「ウー君との話のついでに確認しただけ」と肩をすくめた。納得したココノアは柔らかく笑んで、再び正面を向く。
ココノアの関心がどこにあるのか全く分からないとセジャは小さく息をつく。
「普段から一体何を見てるんだか――」
息に混ぜた小さな声は、もうココノアの耳には届いていないようだった。彼女はぼんやりと――それでも道の安全なんかは確認しつつ――荷物を運んでいるだけである。
ココ君の方がよっぽど何かが欠けてるんじゃないかと心配だよ、とセジャはふんすと鼻を鳴らした。
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