神様
動く階段を見て興奮気味になったココノアとウーヴァは最初にあてがわれた部屋に戻ってきた。セジャはまだ戻っておらず、部屋はしんと冷たい。
「さて。楽しんだことだし、仕事もしようかな」
机に放りっぱなしの地図に手を突き、ココノアはウーヴァを手招いた。
「今いるのはミドリの研究所。この後向かうのがアオの研究所。ここだ」
ミドリの研究所は水中都市ジェードの出入り口に最も近い研究所であり、今日のように雑談混じりに歩くだけですぐに着く。しかし、アオの研究所は出入り口からちょうど反対側に位置するのだ。おおよそ楕円形をした水中都市ジェードは大きな土地を有しているわけではないが――水晶の大きさとしては規格外ではあれど――、端から端まで一直線を通したとしても少し距離がある。
「セジャが四輪車を出してくれるらしいから、君は後部座席で荷物と一緒に乗ってもらおうかな」
地上では晶力式二輪車と同じく、風のクアルツを利用した晶力式四輪車も多く走る。しかし、クアルツを使わない水中都市ジェードでは別の動力を使用した二輪車や四輪車が時折走っている。
ココノアも初めて見た時はセジャに仕組みを説明してもらったのだが、中で何かを燃やしているというアバウトなことしか覚えていなかった。
危険な乗り物だと思ったことばかりが頭に残っている。――爆発しそうだ、とまで思っていることは流石にセジャには黙ってある。
「後はセジャが戻ってくるのを待つだけの簡単な仕事だ」
そんな四輪車を使った段取りやルートを説明した後、ココノアはテーブルに腰掛けた。浮いた足をぶらりと揺らす。
「ウーヴァ。せっかくだし、ジェードに来た感想を聞こうかな」
「かんそー?」
「どう思ったのか、僕に話してごらんってこと」
ウーヴァはテーブルの上に置かれた地図を折りたたみながら――途中、折り目がずれてしまい、きっちり直す作業も加え――口を開いた。
「空、すっげえ綺麗だった。きらきらがいろんなところに映ってて、捕まえられそうだった」
「光を捕まえられそう、か。なかなか幻想的だね」
足を揺らしたココノアが両手をテーブルに突いて天井を見上げた。天井の光は白っぽく、地上にはない色の光だ。どういう仕組で明るいのかは分からない。
外を照らす太陽光も海と水晶を通したもので、地上では見られない穏やかな輝きだ。夏の強い日差しだというのに、ひんやりとしたものにすら感じられる。
「神様の機嫌が良くてよかった。機嫌の悪い日だと、ジェードはすごく暗くなって気分が滅入る」
「かみさまのきげん?」
「――ああ、ごめん。君はアロズ教じゃないか」
腕に体重を預けたまま、顔だけをウーヴァに向けた。地図を折った彼は行儀よく椅子に座っている。
「ええと、アロズ教とあいえ……アイエリエス教、違うんだっけ」
「うん。君は覚えてないだろうけど、たぶん、君は精霊を信仰するアイエリエス教だ。だけど、僕は子供の頃からずーっとアロズ教。毎日、空にいる神様に祈って、空からの恵みに感謝する」
説明しながらココノアが細い指を組み合わせ、瞼を下ろした。それもすぐにやめて、再び後ろに手を突く。
「そんな僕らは天気のことを神様の機嫌に例えることが一般的なんだ。晴れていたら神様はご機嫌で、雨だったら神様が泣いている、なんてね」
信心深いとはとても言えないココノアはあくびを噛み殺す。そういった言い回しは染み付いているものの、実際にそこに神がいると思っているかどうかは別問題である。
「神様、空にいるんだ?」
「っていうことになってる。時々神の使いも降りてくるわけだしね」
空には――空に浮かぶ大地には、神族が住まう天空都市ラズワードがある。
この丸い焼き菓子を齧ったような形をした大陸の中心には穴が空いている。すり鉢状に空いた穴は世界の中心と呼ばれ、各国の調査団が何度踏み入れようと居着いた動物はおろか植物も発見されていない。
そして、不毛の穴の真上には大地が空に浮かんでいる。ちょうど世界の中心にすっぽり収まりそうな、大きな円錐の大地――と言われているが、下から見るだけでは円錐の底面がどうなっているかは分からない――だ。その浮かぶ大地に――おそらくは底面に――天空都市ラズワードが存在しているのだ。
「つかい?」
「空にいる神様に従っていて、僕らに神様の言葉を届けてくれる精霊たちのこと」
天空都市ラズワードは神族が住まう場所とされ、ココノアたちアロズ教の信者が昼と夕方に空へ祈りを捧げるのはそこへ向けてだ。そこからは稀に精霊が降りてくる。「神のお告げ」と言葉を携えてくる精霊の存在はアロズ教においてかなり大きい。あの空に浮かぶ大地には神が住まうのだと強く信じ、従うに必要な存在だ。
「神様は地上で問題が起きると言葉を届けにくるんだ。精霊を通じてね。最近だと……ええと、アンバーとリアルガーで戦争が起こりそうになった時だったかな」
「リアルガー……俺がいた国?」
「たぶん、ね。なんにせよ君はそのあたりも覚えてないからなあ」
笑ったココノアが顔を傾けると、ウーヴァが鏡のようにそれを真似した。ただし、表情は対象的に曇っている。
「……戦争。嫌なやつだ」
「そうだね」
ココノアが指を組んで背中を丸めた。戦争という名の銃に弾を込め、引き金に指をかけるのは毎度毎度リアルガーだ。神の使いが何度それを止めたか、歴史の授業で習った回数も覚えていない。
「それを止めてくれるんだから、神様の使いはありがたいものだよ」
くつくつと低く笑ったココノアが顔を上げる。
「アロズ教は神様を信じてる。だから、神様の使いから受け取る言葉は神の言葉。大事に従う」
次いで、人差し指を立ててウーヴァを指差した。
「アイエリエス教は精霊を信じてる。だから、神様って存在は気に食わなくても精霊が持ってきた言葉は大事にする。――二つの宗教は相容れないけど、相容れないなりに上手く出来た構図だ」
ぱっと手のひらを広げたココノアが、それらを天井に向けた。テーブルから降り、自身の足で立つ。
「あの大きな浮かぶ大地には何がいるんだろうね? 精霊? 神様? あはは。何もいないのかもしれない」
彼女の口元が歪む。
「――神なんて、本当に存在するのかな。そして、それは僕らと何が違うんだろうね?」
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