舞う蝶

「ココちゃん、ココちゃん。ひらひら捕まえた」

「ひらひら?」

 ひったくり犯を捕まえた次の日、ココノアはウーヴァを晶力式二輪車の後ろへ乗せ、市街地から離れた空き地へとやってきていた。二輪車は適当な位置に放置され、荷物は木陰に置かれている。

 ツィーネも側にいるはずだが、クリスタル化していない彼はどこにいるのか分からない。特に話すこともないのか、ココノアの心に直接響く言葉もない。

 本来ならば精霊は不可視の存在であり、クリスタル化するためにも自身のクアルツを消費しなければならない。特にただの物体ではなく、人や動物など動くことが出来る姿を安定させるには大量のクアルツが必要になるのだ。

 そうして減ったクアルツは自身の属性にあったクアルツを自然から吸収すること――人間が食事を取るのと同じような感覚――で、回復させることが出来る。

 ツィーネも自然が多いこの場所で久しぶりにがっつりと食事を摂っているはずだ。

「ひらひら、ええと……虫の……」

「蝶?」

「ちょう?」

 ウーヴァが手の檻をあけると、指の隙間から真っ白な蝶が飛び立った。ゆらゆらと揺れて逃げていく小さな蝶を二人は目で追いかける。

「蝶だね。虫が気に入った?」

「分かんねえけど、捕まえた」

 いまいち噛み合わない会話だが、ウーヴァはそれでも好んで喋っているようだった。たどたどしくとも、覚えていることが細切れでも、彼は幾らでもココノアに喋りかけ、楽しそうにしている。

「僕は虫より動物の方が好きだな」

 大型犬とか、と口に出さず笑ったココノアは手を伸ばしてウーヴァの長い金髪をかき混ぜた。ウーヴァは尻尾でもあればぶんぶんと振りそうなほど、ご機嫌に目を細めている。

 少しぱさついている金髪を目一杯撫で回したココノアは彼の後ろに回って、髪を一つに束ねた。自分が使っているものと色違いの髪留めでぎゅっと一つに縛る。

「ココちゃんと一緒だ」

「髪が邪魔になりそうだからね」

 笑ったココノアが前髪をさらりと払い、ウーヴァから少し離れた。ウーヴァが近寄ってこようとするのを制し、その場で屈伸運動を何度か繰り返す。

「ウーヴァ。体術を習ったことは?」

「覚えてねえよ」

「そっか。だけど、海の道で僕の動きを見切ったんだし、全く動けないわけじゃない。――僕と一緒に用心棒が出来るぐらい動けるのか、見せてごらんよ」

 ウーヴァはココノアが言いたいことがよく分からなかったのか、頭の上に疑問符を並べている。ココノアは足を開いて筋を伸ばした後、緩い拳を作って腰を落とした。

「ウーヴァも構えて」

「なんで?」

「君がどれくらい強いのか確かめたいから」

 狼狽えるウーヴァを見ていたのか、ツィーネの笑い声が心の奥に湧いた。

 ココノアは邪魔くさい笑い声を聞かないよう目の前に集中して足に力をこめる。

 分からないのなら体験してしまえば早いとは昨日のツィーネの言葉だ。ココノアはあの時はそれに否定的な意見を持ったが、今は賛成の気分だった。ウーヴァめがけて地面を蹴る。

 一歩、二歩、と勢いよくココノアが迫り、ウーヴァは後ろへ下がった。彼女の間合いから逃げ、その逃げる間に深緑の瞳に鋭さが宿る。

 勢いを殺さないままココノアが突き出した拳はウーヴァをかすりもしなかった。

 彼女の拳をかわしたウーヴァは下がることをやめて前へ踏み込む。大きな一歩は間合いを一気に食らい、彼女の胸ぐらを掴んだ。

「――やる気になったかな」

 ウーヴァの手首を掴んだココノアが彼の右足の後ろへ自身の足を回し、そのまま自分側へ引いた。右足を強引に崩されたウーヴァの手を振りほどき、一旦距離を取る。

「ほら、ウーヴァ。僕を倒してごらんよ。勝てるものならね」

 ココノアが構えを解いて棒立ちになる。隙だらけの彼女は手のひらを上へ向け、揃えた指を曲げて手招いた。隙きの奥底にナイフのように尖った意識を隠し、ココノアはにっこりと首を傾げる。

 しかし、ウーヴァは再び人懐こい大型犬に戻ったようで瞳に不安を浮かべていた。

『……僕には手を上げたくないのかな』

『仕掛けられれば反射的に体は動くみたいだね』

 ツィーネの言葉にココノアが頷き、肩の力を抜いた。そのまま普段となんら変わらない様子でてくてくとウーヴァの真ん前まで移動する。背の高いウーヴァを見上げ、また首を傾げた。後ろで束ねた髪が揺れる。

「ココちゃんが怪我したら……俺、嫌だ……」

 ウーヴァは骨の太い硬そうな指を絡めて目を細める。意外と長い睫毛が弱々しく揺れていて、先程の狼を思わせる瞳は欠片もない。

 ココノアは少しの間黙考した後、目を細めて反対側に首を傾げた。

「僕に怪我をさせるかもしれないなんて、随分な自惚れ屋だ」

 笑ったまま、隙だらけの気配のまま、ココノアが膝を持ち上げた。

 ウーヴァがそれに気付いてココノアを見下ろす。

 目が合った瞬間、ココノアはウーヴァの腹に蹴りを埋め込んでいた。

「ウーヴァ。じゃあこうしようか。――これからも僕と一緒にいたいなら、力づくでふん縛って人形みたいにして隣に並べてごらんよ」

 よたったウーヴァが腹を押さえ、唾を飲み込む。

「痛かったかな。――ウーヴァ。僕と一緒にいたいなら、同じ痛みを与えてごらんよ」

『ココ!』

 ツィーネの警告が心に大きく響く。

「出来ないなら、さよならしようか」

『ココッ!』

 鳴り響く警鐘と同時、ココノアはしゃがみこんでいた。彼女のまとめた髪束がばさりとウーヴァの足をかすめる。

 ココノアは地面に手を突き、逃げる方向へ視線を動かした。しかし、それを遮るように足が滑り込んでくる。

「うん。やれば出来るってわけだ」

『ぼんやりしないでおくれよ、ココ!』

『分かってる』

 蹴り上がる足を避け、ココノアは肩で回って立ち上がった。振り返らずに横へステップを踏むと、彼女の首を後ろから掴もうとしていた手がそこを通り抜ける。

「おっと。今のは危なかった」

 左足を軸にココノアが体を反転させた。ウーヴァのぎらついた瞳が自身の赤い目を突き刺す。

『僕と一緒にいたいのは赤目の人形がほしいからか』

 ウーヴァの拳を見切り、腕を取る。ひねろうとしたが、振り払われる方が早い。

『何も分からないところに僕と出会って、雛鳥みたく刷り込みになったのか』

 距離を取りすぎて目の前の狼が犬へ戻ってしまうのも面倒で、ココノアは付かず離れずの場所でなんとか彼の攻撃を捌く。重い一撃が体をかする度に体温が下がっていく。

『――それとも』

 風が吹き、彼女の前髪が視界を僅かに塞いだ。視界はすぐにクリアになり、彼女は目を見開いた。

『――ココ!』

 ツィーネの声と同時、ココノアの腹にはウーヴァの蹴りが入っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る