本気じゃない

 ツィーネが人型にクリスタル化していても、精霊であることはすぐ分かる。

 人間にはない、透き通ったようなきらめく瞳はよく目立つからだ。

 店先に精霊が座っているところなどココノアの露店しかないため話題になる上に、整った顔立ちをしたツィーネは客――特に女性客――の受けが良い。

 今日も賑わいに混じって客の相手をしているツィーネを背に、ココノアは黙々と紐を編んでいた。その紐の先はウーヴァが摘んでいて、彼女が編みやすいように緩く引っ張っている。

「ココ」

 ココノアが新しい色の紐を口に咥え、どこから色を変えようかと考えていると背中から声がかかった。背中に体重をかけ、頭をツィーネの肩に乗せて視線を持ち上げる。

「はい?」

「まけてほしいって」

 値段交渉などは人間の価値観が分からないツィーネでは務まらない。ココノアはウーヴァに「そのまま持ってて」と待てをしてから膝をたてて反対を向いた。

「いらっしゃい。どれですか」

 ココノアがツィーネと場所を代わり、言葉数の少ない男を相手と交渉を始める。

 ウーヴァはココノアが首を傾げるたびに揺れる髪を目で追っていたが、ツィーネはそれを遮るように彼の目の前に座った。

「ツィーネも、これ、作るのか」

 ウーヴァが大事そうに持つ編みかけの腕輪を見て、ツィーネは頭を振った。

「俺はこんなものに興味がないよ」

 そう言いながらツィーネはぐっと手を握り、その手をゆっくりと開く。

 開かれた手のひらには、ウーヴァが持っているのと殆ど変わらない紐を編んだ腕輪があった。突然出現したそれにウーヴァは目を皿のようにまん丸にして「なんで!」と身を乗り出す。

「クアルツのクリスタル化だ、形を真似ているだけの。――と言ってもお前はよく分からないんだっけね」

 ふんと鼻で笑うようにしたツィーネが腕輪を手から落とすと、それは麻の布に落ちるまでに光となって霧散した。目の前で消えるそれにウーヴァがもう一度「なんで!?」と疑問符を頭の上に並べている。

 ツィーネは後ろのココノアがまだ男と話しているのを聞きながら、目を細めて手を伸ばした。

「俺が精霊だって言うのは分かるんだっけね」

「分かるよ。ツィーネは目が綺麗」

 ウーヴァは柔らかさや暖かさは人間の手と変わらない――だが、どことなく違うツィーネの感触を見下ろす。

「精霊はクアルツで出来てるんだよ」

「くあるつ?」

「不可視の力。精霊はクアルツが溜まる場所から生まれ、クアルツを使い果たすと無に帰す」

「む、むにき……?」

「消えてしまうんだよ。人間が心臓を止めるように、俺たちはこの世界から消えていく」

 ツィーネは体を前へ倒し、ウーヴァの心臓の真上にひたりと手を突いた。

「――お前にはたくさんのクアルツが入るだろうね。他の精霊でなくて俺と契約を結んでおくれよ、もしもクアルツが欲しくなった時は」

「けえやく?」

 噛み砕くこともなく一方的に話されたウーヴァが目をぱちくりさせる。ツィーネは手のひらに力を込めて、ぐっと押す。

「なんならお試しで少しだけ――」

「ツィーネ。勝手なことをしないでほしいな」

 と、ココノアの冷たい声が割って入った。ツィーネは浮かべていた笑みを消し、ウーヴァからも手を離した。

 客の相手を終えた彼女は商品と交換で受け取った貨幣を袋に突っ込み、膝立ちのまま振り返る。普段どおり笑んではいるが、赤い視線は血液の熱さからは遠い。

「ウーヴァ。覚えてないことは教えてあげるから、分からないまま飲み込まないようにね」

『分からないのなら体験してしまえば早いよ、俺のココ』

 ツィーネの持論が心に湧く。

 それに言い返そうとした時――

「ココノア!」

 呼ぶ声がした。

 彼女は反射的にそちらへ顔を向ける。

 賑わいの奥から、悲鳴や怒声といった不安なざわめきがかき分けて出てきた。

 状況を即座に理解したココノアは立ち上がり、商品をまたいで道へ飛び出した。

「そっちへ逃げたぞ! ひったくりだ!」

「分かった! ――ツィーネ。ウーヴァが出てこないよう見ていて」

「俺のココがそういうのなら」

 騒ぎにうろたえる客に、近くにいた露天商が声をかけて脇へ寄せる。

 ココノアは僅かに出来たスペースにたち、人をかき分けてやってくる青年を視界に捉えた。

 ひったくりだと呼ばれた彼の手には似合わない花の刺繍がされた華やかなバッグ。「どけ!」と声でも人を押しのけ、ココノアのことも突き飛ばして押し通ろうとして。

「僕の前を逃げ道にしたのは間違いだったんじゃないかな」

 ココノアは彼に足を引っ掛けた。

 大転倒した青年の手からバッグがすっ飛んでいき、近くの果物売りの女がそれを上手く受け止めた。周囲から「おお」と低い歓声があがったが、青年はそれどころではない。

 派手にころんだ青年は怒鳴りながら立ち上がり、バッグを諦めて逃げようとそのまま突き進もうとする。しかし、彼が着ている黄色の刺繍入りの暗緑色のローブはココノアに握られていた。

「僕からは逃げられないよ」

「う、うるせえ離せ!」

 太陽の熱か、焦りか。青年は額に大粒の汗を浮かべ、手汗を隠すように拳を握って振り上げる。

 ココノアはローブからは手を離さず、体を少し斜めにすることで突き出された拳を避けた。

「暴力確認。だから、これは正当防衛」

 ココノアが緩く相手の頬を叩く。

「大人しくすれば怪我はさせない」

 忠告が一つ。

 しかし、青年は彼女の余裕ぶった発言にカッとなった。雄叫びと共にめちゃくちゃに殴りかかるが、その腕はあっさりと彼女に掴まれてしまう。

 ココノアは掴んだ腕を青年の背中に回して捻り上げると、彼は痛みの声をこぼした。膝裏を蹴ってその場で跪かせる。暴れようとする青年の腕を押さえつけ「はい、終わり。諦めて」と終了宣言をし、近くの駐在所からじきにやってくるはずの治安部隊を探して視線を振ったところで――。

「わっ」

 少し力が緩んだところを狙われ、青年は彼女の軽い体重を押しのけて腕の下から逃れる。

 尻もちをついたココノアがきゅっと唇を締め、すぐに腰を上げた。そして、躓きながらも逃げようとする青年に飛びついた。

「僕からは逃げられないって言ったはずだ。誇張表現だと思ったのなら愚かだよ」

 一緒に青年と地面に転がると、野次馬と化した客や露天商から「おおお!」と声が上がる。

 ココノアは半分ほど残していた優しい気持ちを捨て、強引に青年を押さえにかかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る