商売日和

「ココちゃん、ココちゃん」

「はい。どうしたのかな」

 自室で仕事の用意をしていたココノアがウーヴァを見上げた。

 ココノアは宿スミレで初めて一人の夜を越すウーヴァを少し心配していたのだが、結果的にそれは杞憂に終わった。朝食前に部屋へ行くとすでに着替えをすませていたし、顔も洗って準備万端だったからだ。日常生活を送ることに戸惑いもないようで、彼は洗濯機の使い方も教えれば一発で覚えたし、海の道でのように瞳に凶暴さを宿らせることもなかった。

「あれ、直していい?」

「……後でならね」

 ウーヴァはココノアの部屋にある壁掛け時計が傾いていることに気付いてそわそわしている。あれをきっかけに部屋中の片付けをされてはかなわないと彼女はすぐさま別の作業を彼に頼んで他のことに目を向けさせた。

「――ココ。四輪車を借りられたよ。鍵も、ほら」

 開けっ放しの扉から姿を現したのはツィーネで、その手には小さな鍵。

「ツィーネ、ありがとう。――よし、ウーヴァ。詰め終わったらへ出るよ」

「しょうのまち?」

 バッグのファスナーを締めたウーヴァが鍵を受け取ったココノアを見上げた。

 ココノアの隣はツィーネがすでに陣取っていて、ぴったりとへばりついている。

「商の町。僕が作ったアクセサリーや小物を売ってるんだ。僕の本業。ほら、持って」

 そう言ったココノアは最低限を詰めた小さな工具箱を持ちあげて笑う。それをウーヴァに差し出すと、彼は慌てて立ち上がって大事そうに受け取った。

「荷物持ちをしてもらうために君を外に出したんだ。たくさん持ってもらうよ」

 そういう彼女も重そうなバッグを肩にかける。

 ウーヴァはそうしている間もずっと彼女にくっついているツィーネを不思議そうに見た後、くいっと彼の腕を引いた。

「急に引っ張らないでおくれよ」

「なんで、お前はココちゃんにべたべたしてんの? 女の子、気安く触っちゃ駄目って、セジャちゃんが言ってた」

 ココノアは背中のツィーネの気配がぴりりと冷たくなったのを感じ、いらぬことを教えたセジャを恨んで額に手をおいた。



「お、ココ君おはよう。商売日よりだね」

 ココノアたちが階段で鉢合わせたのはセジャだ。

「おはよう。セジャ、ウーヴァに変なことを教えないでくれないかな。僕は女の子扱いをされたくて彼を連れ出したわけじゃないよ」

 目覚めの一発目から始まったココノアの小言に、セジャは目をぱちくりしてから「ああ、あれね」と手をぱちんと合わせた。

「だって、犬みたいにココ君に飛びつくものだからさ。昨日、ココちゃん呼びを教えた時に言ってあったんだけど……そんなに効果あった?」

 セジャのからかう視線を受け、ココノアは苦笑いで首を傾げた。

「確かにスキンシップは落ち着いた」

 ココノアの顔を遠慮なしに触りまくったり、それこそ犬のように引っ付きまわっていたウーヴァだったが、今では手を繋いできたり、側で寝こける程度に収まっている。

「ならいいじゃない。外でもあれじゃあ大変だったでしょ」

「女の子にベタつくな、なんて教え方をするから、ツィーネはどうして僕に引っ付いてるんだって言い出して大変だったんだ。ツィーネは自分が特別だって説明するし、ウーヴァはそれを理解出来ないし」

 朝から疲れた顔をしてみせたココノアの後ろではウーヴァが彼女の揺れる毛束を面白そうに眺めていたし、その隣のツィーネは彼が手を伸ばさないか監視しているようだった。

「あっはは! やっぱり面白いねー。もてもてで気分がいいでしょ」

「全然嬉しくないよ」

「でも、ま、進歩でしょ。いつまでも犬みたいなじゃれ方されると怪我しそうだったしさ」

 これは果たして進歩なのか、とココノアが微妙な気分になっているうちに階段は一階に繋がった。

「犬でも可愛いけどね。それじゃ、また」

「あはは。それじゃあね、気をつけて」

 そこから食堂の方へ向かうセジャとは反対に、ココノアは共同の洗濯場の扉をくぐった。その奥にはもう一つ扉があって、宿泊者共有の倉庫へと繋がっているのだ。

 倉庫には幾つも戸棚があり、それぞれの部屋番号のプレートが引っかかっている。

 ココノアは自分のスペースに入ったものを引っ張り出してはウーヴァに差し出した。

「ウーヴァ。持てるだけ持ってくれるかな。これを四輪車に運ぶんだ」

「よんりんしゃ」

「君を後ろに乗せたのはタイヤが二つの二輪車。今日はタイヤが四つの四輪車」

 説明をしながらもココノアは両肩にバッグをぶらさげた。ツィーネも同様に荷物を持ち、ウーヴァもかなりの量を抱え込んだ。

「重くない?」

「重くねえよ」

「落とさないでおくれよ、俺のココが作ったものなんだから」

 精霊であるツィーネは見ているこちらに重さを感じさせない持ち方をするが、ウーヴァもそれに見劣りしないくらい荷物を持てるようだった。大量の荷物を抱えた彼はどこか得意げな顔をしている。

 二人の半分の重さもない量を持ち上げていたココノアは「僕がひ弱に見える」静かに笑った。



 宿スミレで共有している晶力式四輪車の中に荷物を詰め込んだココノアたちがやってきたのは商の町と呼ばれる地区だった。商売をする者たちが大勢集まって出来ていて、様々な店が並び、露天がひしめき合い、どの日にやってきても賑やかな場所である。

 少し奥まったところにある空き地に四輪車を停め、三人とも宿でのようにまた荷物を持って歩きだす。

「ココちゃん、ココちゃん」

「はい?」

「どこ行くんだ?」

「僕が許可を取ってある場所。道端に店を開くんだよ」

 早朝だが店の準備をする者たちで通りはすでに賑やかだ。ココノアは何度も朝の挨拶を交わしながら、いつもの場所に辿り着く。

「おはようさん。今日は遅かったね」

「おはよう。後ろの二人が朝から揉めるものだから」

 隣の露天商の相手をしながら、ココノアは荷物を端に置いて用意を始める。

「へえ。そっちの兄さんは見ない顔だね」

「ウーヴァだよ。今日から僕の手伝いをさせるんだ。よろしくしてやって。――ウーヴァ! お隣さんのビディアに挨拶して」

 簡単に二人を引き合わせ、ココノアは自分のスペースに分厚い麻で織った布を広げた。

 ツィーネとウーヴァに商品を並べるのを手伝ってもらいながら、周囲に合わせた賑やかさをがやがやと生んでいく。

 ウーヴァはあっという間に並べられたココノアが作った商品を見て目を輝かせた。そして、ココノアは彼を後ろの方に動かしてから、ツィーネを一番客の目を引くところへ座らせた。自分はその彼の背中にもたれかかってあぐらをかく。

「ウーヴァ。おいで」

 どこに座ればいいのかと戸惑いを浮かべていたウーヴァを手招きし、ココノアはその彼の右手を取って指の太さを見た。

「記念に一つ、指輪を作ってあげるよ。どの指がいい?」

 ウーヴァは指を触られながら、目をきらきらさせて頷いた。

「俺、ここ。ここがいい」

「あはは。それだったら指輪じゃなくて腕輪だ。いいよ、ウーヴァ。どの色で作って欲しい?」

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