利用価値

 結構な額を一括で支払ったココノアがウーヴァのいる扉の鍵を開けた。

 前回会ってから手続きを終える教までの決して短くはない何日か、ココノアは一度も面会に行かなかった。すっかり忘れられてるんじゃないだろうか、とココノアは僅かに心配しながら扉をゆっくりと開く。

「ここのあ!」

 途端、飼い主を待っていた大型犬のように飛びつかれ、ココノアは「ふぁ」と間抜けな声を出した。ココノアの細い体ではウーヴァの大きく重たい体を受け止めることが出来ず、それこそ大型犬に飛びつかれた子供のように廊下へすっ転んだ。

「ここのあ、綺麗。やっぱり、お人形さんみたい」

「人形ほど整った顔でもないけどね」

 ウーヴァの太い腕にすっぽりと収まったまま、ココノアは顔を横に向けた。少し離れたところに治安部隊の男が立っていて、「ずっとココノアココノアってうるさかったんだぞ」と苦笑いを浮かべている。

 ココノアはなんどかウーヴァから抜け出し、立ち上がって肩をすくめた。

「なんでまたこんなのの保証人になったんだよ。知り合いでもなんでもねえんだろう」

「何かの縁かと思って。それに、ちょうど荷物持ちもほしかったんだ」

 口元を緩めたココノアが顔を傾けると、ばさりと茶色の髪が揺れた。

「高え荷物持ちだな……。よく分からねえ理屈で銃を取り出した野郎だぜ、大丈夫か」

「あれから問題もないし、許可も出たんなら別に気にしないよ。人に向けて発砲したわけでもないしね。僕だって剣を抜いていたんだから大目に見るよ」

 ココノアがちょこちょこと首を動かす度に髪が揺れ、ウーヴァはどうもそれが気になるようだった。触るか触るまいかと指先を悩ませていた彼は、ふとココノアのつむじを見下ろした。

「なんで? 俺、お前に――」

「ちょっと静かにしていて。後で聞いてあげるよ」

 ウーヴァが続きを言ってしまう前に、ココノアは振り返って彼の唇に人差し指を押し当てた。大人しく黙ったウーヴァに「いい子だ」と褒めてから地上に向けて歩き出す。

「……まったく物好きだな。剣を抜いた相手を金払ってまでして引き取るなんて」

「あはは。上手く仕込めば僕の練習相手になるかもしれないし」

「お前、まだ強くなるつもりかよ」

「僕に頭打ちなんてないからね」

 けらけらと笑ったココノアが最後に必要な書類を受け取って、ついてくるウーヴァを振り返って見上げた。

「ウーヴァ。まだ手続きがあるんだ。もう少し大人しくしていて。それが終わったらいっぱいお喋りしよう」



 ココノアがウーヴァを連れて外に出ると、それを待ち構えていたようにツィーネがクリスタル化して姿を現した。そして、そのまま無言でウーヴァからココノアを引き離す。

「せいれいさまだ」

「人間に様付けされて喜ぶような馬鹿な精霊と一緒にしないでおくれよ。ツィーネでいい」

「つぃーね?」

 ウーヴァがココノアにすっかり懐いてしまったのが気に食わないのか、ツィーネはむすっとした顔でココノアを背中に回す。

 そのココノアは二人のやりとりに興味が無いのか、晶力式二輪車の方へ向かう。チェーンを外し、ツィーネを見た。

「ツィーネ。二輪車には三人も乗れないよ」

「……俺のココがそういうのなら」

 せっかく姿を現したツィーネだったが、彼はふてくされた声を残して再び姿を消した。

 見ていたウーヴァが驚いた様子でツィーネが立っていたところを手でかき混ぜている。ツィーネが精霊であることは理解していても、クリスタル化だとかそういった現象は分かっていないらしい。

「なあ! 消えた! なんで!」

「ツィーネは精霊だからね。ウーヴァ、おいで。後ろにまたがって」

 ココノアが手招きすると、ウーヴァが不思議な顔で目を瞬かせた。

「うしろ? なんで?」

「君の持ち物に運転許可証なんてなかったし――そもそも君が持っていた身分証は処分されて、新しく発行してもらったものだから――運転できないよ」

「でも、これ知ってる。運転出来る」

「運転するには許可証が必要なんだよ。いいから、今は後ろ」

 先に二輪車にまたがったココノアがウーヴァをもう一度手招いた。

 ウーヴァはよく分かっていない様子だったが、運転方法が分かるというだけあって乗ったことがあったようで、足をかける場所も迷わなかった。安定感を求めるようにココノアの腰にゆるりと手を回した。

 ココノアは一言「いい子だ」とだけ褒めてから水晶に触れ、地面を蹴ってアクセルを回した。あまり安心安全とは言えない荒い運転だが、ウーヴァは特に驚くこともなくココノアの背中にぺたりとひっついた。

「俺、ここのあに銃を撃った」

 記憶力が悪いわけでないらしいとココノアは思いながら、少しだけスピードを落とした。

「うん。君は僕に銃を向けて引き金を引いた。だけど、そのことはツィーネに報告しないよう伝えてあったんだ。あの一発は空への威嚇射撃ってことになってる。後ろにいたおじさんも混乱していてあの状況を正確に覚えていなかったしね」

「なんで?」

 ココノアは慣れた道を走り抜けながら、風に負けないよう声を張る。

「人に向けて発砲したとなると、こんなに簡単に外へ出られないからだよ。君が厳重注意で終わるように、比較的外に出やすくなすようにしたんだ」

 予定ではリアルガーへ強制送還になった彼を向こうで待ち受けて声をかけようと思っていたんだけど、とココノアは眉をひそめた。リアルガーが彼を受け取ろうとしない理由はまだ分からない。

 ウーヴァはそんなココノアの胸中など知らず、風に遊ばれている後ろ髪に頬を押し当てて腕に力をこめる。

「……なんで、俺を外にだしてくれたんだ」

 ココノアがぎゅっとブレーキをかけた。ぐっと背中に体重がのしかかってきたが、すぐに軽くなる。

 腰をひねり、ウーヴァと目を合わせて微笑む。

「君が僕を気に入って、僕が君を気に入った。荷物持ちもほしかったし、――あとは、少しお願いがあるんだ」

「おねがい?」

 ウーヴァが吸い込まれるようにココノアの赤目に手を伸ばす。

 ココノアは瞳を瞼の裏に隠し、柔らかい頬で口角を緩やかに引っ張り上げた。

「……それはまた今度。もう少し仲良くなってからにしよう、ウェンヴァー」

 瞼にそうっと触れていたウーヴァが、その人差し指をココノアの唇に押し当てた。

 ココノアが目を開くと、真っ直ぐな深緑の瞳に自身が映っていた。

「その名前は特別。簡単に呼ばねえで」

 真剣な視線と声。

 ココノアは満足気に目を細め、首を傾げた。

『その記憶が食われていないなら十分だ』

『そうだね、俺のココ。十分に使えるよ』

「ウーヴァ。ごめん、気をつけるよ」

 そして、ココノアは再び正面を向き、二輪車を走らせ始めた。

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