企みは風に消える
ココノアはクアルツで拘束されているウーヴァへ手を伸ばした。長く伸び放題の金髪はぱさついていて、指で梳くと引っかかってウーヴァは「いてて」と目を閉じる。
「君を引き取ってくれる人は? 家族とか、友達とか」
「家族って、どういう意味だっけ。友達は、ええと、なんだっけ。覚えてねえ」
クアルツや契約といった単語も意味もひっくるめて記憶から消えたものもあれば、単語の意味だけ抜け落ちているものもあるらしい。
ウーヴァはココノアに頭を撫でられて気持ちがいいのか、頭を押し付けるようにして傾けた。
まるで人懐こい大型犬のようだとココノアは僅かに笑う。
「覚えてない、か。じゃあ、君は何を覚えてる?」
「何を覚えてるかなんて、覚えてねえよ」
ココノアはウーヴァから手を離し、心の中でツィーネを呼んだ。もっと撫でてほしそうに指先を見てくるウーヴァを覗き込みながらにっこりと笑って顔を傾ける。
「力には自信あるかな。まあ、僕の一撃をあんなふうに受け止めるくらいだし、体はしっかりしてるか」
「覚えてねえけど、俺は力持ちだと思うよ」
頼りない返答に、ココノアはからからと笑って顔だけで後ろを振り返った。
扉にもたれかかっていた治安部隊の男が「な、分からなねえだろ」と苦笑いするので、一つ大きく頷く。
『ツィーネ。予定通りにするよ』
そんなココノアの呟きに、ツィーネは目を細めた。
ココノアはウーヴァの額に手のひらをひたりと押し当て、不敵な笑みを浮かべる。
「僕が彼を引き取るよ。どうしたらいい?」
ココノアの台詞に、男が「はあ?」と声を上げた。
男の素っ頓狂な声を聞きながら、ツィーネはココノアの耳元でくつくつと笑う。
『俺のココがそういうのなら。残酷だね、俺のココ。そういうところがたまらなく好きだよ』
心に湧く声にココノアは返事をせず、口角を吊り上げるだけだった。
「君が望むなら僕と一緒においで。僕の手助けをしてくれないかな」
「お前と、一緒? それは、お前が、友達か家族ってこと?」
ココノアは顔を傾けた後、「君の好きなように思えばいいよ」と目を細めた。
治安部隊の男は手続きに必要な書類や手順の確認に言ったまままだ戻っていない。二人と一体だけの狭い部屋の中、ココノアは人差し指を唇に当てて距離を詰める。
壁に磔にされているウーヴァでも首を伸ばせばココノアに額をぶつけることが出来る距離。
「一緒にここを出たいなら名前を教えてくれるかな」
「俺はウーヴァ」
ココノアが反対側へ顔を傾けると、後頭部で縛られた茶色の髪がばさりと揺れる。
「違う」
ココノアの人差し指がウーヴァの唇に僅かに触れた。
「本当の名前。君がアイエリエス教なら、精霊から授かる本当の名前があるはずだ。ウーヴァは通名じゃないのかな」
人差し指を口の前に立てるジェスチャーが静かにするようにという意味であることは理解したのか、ウーヴァは声をひそめる。
「教えたら、お前のこと、触ってもいい? 俺の世界に、側に、いてくれんの?」
「ある程度はね」
「ウェンヴァー」
苦笑を交えてココノアが頷くと、ウーヴァは食い気味に口を開いた。
「俺はウェンヴァー。ウェンヴァー、だから、だから――」
「ありがとう、ウーヴァ。――ツィーネ。離してあげて」
ツィーネがウーヴァを縛っていたクアルツを解いた。前のめり気味だったウーヴァが坂道を転がり落ちるような勢いでココノアにかぶさった。
ココノアはされるがままにたくましい腕にぎゅうぎゅうと抱きしめられたが、ツィーネはウーヴァの首根っこを掴んで引き剥がす。
「俺のココにべたべた触らないでおくれよ、そんな汚い手で」
「ここ?」
今度はツィーネの腕の中に収まったココノアは、やはり特にこれといった抵抗もせずされるがままだ。
「僕はココノア。こっちはツィーネ。好きに呼んでくれていいよ」
ウーヴァの両手が優しくココノアの顔に触れた。固くなった皮膚がココノアの目の下をすいとなぞる。
「綺麗」
「そんなに僕の赤目が気に入ったのなら、眼窩からくり抜いてガラス瓶にでも入れて眺めてみる?」
ココノアの笑えない冗談にツィーネが「ココ!」と怒ったように名前を呼ぶ。そして、ウーヴァがごくんと唾を飲んだのを見て、彼は体を反転してココノアとウーヴァの間に体を挟んだ。
「ここのあ?」
「はい。――よろしく、ウーヴァ」
ツィーネの文句が枯れない湧き水の如く心の奥から湧いてくるが、ココノアは聞こえないふりをして肩越しにひらひらと手を振った。
必要な手続きの方法や金額などをざっくり説明され、ココノアは資料一式を受け取った。資料の入った麻のカバンを落とさないように晶力式二輪車の荷台へ縛り付ける。
『こんなところであんなものに会えるとは思っていなかったよ』
ツィーネの姿はないが、その声はしっかりと心をの底に湧いていた。
しっかりと荷物を固定したココノアが二輪車をまたぐ。水晶に触れると、二輪車がかたかたと動き出すので地面を強く蹴った。
『俺のココは流石だね』
夏の熱い風を切り裂きながら、ココノアは眩しい空へちらりと目を向けた。
太陽はそろそろ真上で、路上に出ていた何人かはすでに指を組んで空へ祈りを捧げている。
ココノアはそれを横目に、さらにスピードを上げた。
『最初に気付いたのはツィーネだよ』
視界の端の景色が水彩絵の具のように滲んで、背中へ流されていく。
ココノアは風の抵抗を減らすために姿勢を低くし、強引なハンドル裁きで人の少ない角を曲がった。
『それでも実行してみせたのはココだよ。先手を打ったのものね』
宿スミレへ戻るには少し遠回りな、人通りが少なく畑が多い道へ走り出る。
ココノアはアクセルを固定し、両手を離して大きく広げた。風の抵抗を受けて二輪車が一瞬ぐらりと揺れるが、ココノアはからからと笑う。
『やっぱり流石だよ、俺のココ。そういうところがたまらなく好きだよ』
「あはは。なんていったって、僕だからね」
ココノアの大きな声は風をかき混ぜられ、ぐちゃぐちゃに砕かれて風景と同化した。
『君の期待に添うのが、僕だからね』
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