記憶の代わりは
「お前が守ってた、綺麗な顔した、赤目の男の――」
褐色肌の男が小さなへばりつき、ツィーネに詰め寄ろうとしていた。
ココノアは治安部隊の男の横をすり抜け、ひょいっとツィーネと扉の間に割って入った。
突然現れたココノアに褐色の男は驚いて息を飲んだが、すぐに目を輝かせた。
「お人形さん!」
「生憎、僕は人間だよ」
ココノアが口角を両方きっちり同じ高さまで持ち上げると、男も嬉しそうに笑った。ガラス越しにココノアに触れようと手を押し付けている。
「ココ、危ないから下がっているんじゃなかったのかな」
「君じゃなくて僕をお呼びだったみたいだから。他の特徴はどうあれ、赤目は僕だ」
ツィーネの嫌味に動じず、ココノアは扉の向こう側にいる男をまじまじと見つめた。これだけ精霊ツィーネに対して適当な態度をとっていても、彼は不快感を露わにしない。熱心なアイエリエス教というわけではなさそうだ。
「少しお話しようか。僕の言葉は理解出来る……はずだね?」
「お人形さん、綺麗。おいで、お前、触らせて」
ココノアは初っ端の会話から躓き、無言で治安部隊の男を振り返った。彼は「ほらな」と言いたげな顔で肩をすくめる。会話に苦労するとぼやくだけはある。
ココノアは気分を切り替えるように一息つき、もう一度窓を覗いた。男の深緑の瞳は光を透かした葉のようにきらめいている。
「落ち着いて話が出来るなら、僕がそっちに行ってあげられるかもしれないよ」
「おいおいちょっと」と男が制止をかけたが、ココノアはけろっとした様子で肩をすくめるだけだ。にこりと笑ったまま「どうする?」と窓を覗き込む。
褐色の男は喜色を瞳に浮かべ、子供のように何度も頷いた。
「よし、じゃあいくつかテストをしようか。君の名前は?」
「ウーヴァ。俺はウーヴァ。お前は? お前の名前は?」
「質問するのは僕だ。――あの日、どうして銃を抜いたのかな」
「美しくなかった。あいつ、俺の世界を汚しやがったから、許せねえと思って――」
ココノアが首を傾げる。ウーヴァと名乗った男は「泥を落としたんだ。足跡なんていらねえのに」と必死に説明をしているが、いまいち話はつながらない。
「……途中で僕に攻撃するのをやめたのはどうして?」
回答の意味がわからないまま、ココノアが次の質問をした。ウーヴァの深緑の瞳が強くココノアを見返す。
「綺麗だから。お前はあの世界にぴったりで――たぶん、どんな世界にだってぴったりで、きっと何も汚さねえから。だから、だから、俺の世界に欲しくて、手の中に欲しくて」
やはり分からない回答に、ココノアは反対側に首を傾げた。どうしてか気に入られていることだけは分かるが、それ以上のことはぴんとこない。
ココノアはどうしたものかと思いながら、再びウーヴァに向き直る。
「どこから来たのかな」
「灰色の建物があって、俺、どうしてそこにいるのか分からなくって、こっち側が綺麗だから、走ってきて――」
ウーヴァがせっせと話し始めるが、ココノアは半分以上を聞き流しながら適当に頷いた。
嘘を言っている様子も、真実を隠すための言葉を選んでいるような雰囲気は一切なく、どうも本気で真実を語っているように感じられるのだ。その分、埒が明かない。
手に負えない、分からない、と溜息をつく治安部隊の男に同情して扉を指差す。
「このままリアルガーが拒否し続けたらどうなるのかな」
「人に向けて撃ったわけじゃないし、こっちで処理して仮の身分証でも発行して……だろうな。身元引受人だとか保釈金でも払ってくれるやつだとかがいればもう少し簡単に済むんだろうけども、知り合いも何も覚えてねえって言うばかりだしなあ」
ココノアは男の話を聞きながら、ツィーネへ向けて心の奥底に言葉を並べた。
それを聞いたツィーネが小さく溜息の真似事。
「そっか。――よし。中に入ってもいいかな?」
そして、ココノアの想定通りの言葉に、ツィーネはあからさまな溜息をついてみせた。
治安部隊の男はココノアが中に入ることを渋ったが、ツィーネが必ず側にいるという条件で首肯した。精霊であれば人間などクアルツで縛り付けて動けなくするなどお手の物だ。危険性がゼロになるわけではないが、男はココノアがこの話を進展させる可能性に賭けることになった。
ココノアが中に入ると、ウーヴァは飛びかかる勢いで動いた。
ツィーネがそれを一睨みし、放ったクアルツで彼を奥の壁に押さえつける。
拘束されたウーヴァが「なんだよこれ!」ともがくが、ツィーネのクアルツはびくともしない。
「人間が操るクアルツと同じにしないでおくれよ。どれだけ暴れたって外れるものか」
ツィーネが得意げにした後、ココノアの耳元に口を寄せた。
「あまり不用意に近づかないでおくれよ、俺のココ。傷一つつけさせはしないけれどね」
柔らかく染み込む声にココノアは頷いた。手を伸ばせばウーヴァに触れられる位置まで近づき、腕を組んだ。拗ねたように口を尖らせている彼を見上げながら首を傾げる。
『ツィーネ。どうだった』
『いい案だとは言いかねるよ、俺とこいつを接触させるために中にはいるなんて。俺だけ入ることだって出来るのに』
ココノアは苦言を聞かなかったことにして、口を開いた。
「君が海の道でツィーネと接触した時、ツィーネが気付いたことがあるんだ」
『それで、どうだった』
ココノアは実際の口で喋りながらも、器用に別の言葉を心に浮かべてツィーネに投げかけた。心の中の言葉は空気を介さず伝わってくる。そして、それに満足して頷いた。
当たり、だ。
「契約の跡があるのに、クアルツをほんの一滴も感じられないって。人間の中身は洗い流せないし、まっさらな状態に戻すなんて出来な――」
『こうやってきちんと触ると、想像以上の素材だよ』
喋っている最中に心に声が湧いてきて、ココノアは思わず口をつぐんだ。頭の中で言葉を整理しているうちに、ツィーネの声はどんどんと湧き出る。
『俺のココもどちらかというと容量は大きいけれど、比較にならないくらいだよ。ココの倍……いや、三倍はクアルツを注いでも平気だろうね』
ココノアはツィーネの言葉を最後まで聞いてから視線を上げた。途中で黙ってしまったココノアを、ウーヴァが不思議そうに見下ろしている。
「君は精霊と契約を交わしているはずなのに、どうしてクアルツが注がれていないのかな」
「けいやく? くあるつ?」
戸惑った声が振ってきて、ココノアは瞼を持ち上げた。
「……君が精霊に代償を支払った証と、その代わりに受け取るはずだったもの。分からない?」
『かなり大きな契約の跡が複数。しかも、二つや三つどころじゃないよ』
ツィーネの情報に、ココノアは開いた目を細める。
契約云々をなしにしても、この世界で身近なクアルツを知らないのはおかしい。彼の出身国であろうリアルガーでもクアルツを用いたものは大いに存在するし、それらに一切触れずに過ごすには水中都市ジェードでもなければ不可能に近い。
ココノアは深く息を吸い込んでから目を細めたまま首を傾げた。
「君はアイエリエス教じゃないのかな?」
「あいえ……? なんだ、それ」
「精霊を信仰して、家に赤目の人形を一つ飾る宗教。君はツィーネのことを精霊様と呼んだし、僕を人形だって言うのはこの赤目を見たからじゃないのかな。アロズ教にはそんな習慣はない」
『ツィーネ。彼が代償に何を支払ったかまでは分からない?』
ココノアが自身の目を指さしながら、隣のツィーネを見た。話が分からず、ちんぷんかんぷんなウーヴァも、ココノアを真似るように精霊へ視線を持っていく。
ツィーネは注目を浴びた状態で口を開き、ココノアの耳元に小さく声をこぼした。
「きちんとは分からないよ。――だけど、形跡を見て想像が出来る代償は記憶」
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