褐色の男

 宿スミレには一つだけ電話が設置されている。

 そのたった一つを占領していたココノアは簡単な返事で話を締めて受話器を元の位置に戻した。クアルツを使わずして動くこの機械は水中都市ジェードで生まれたものである。

 伝言屋や郵便屋を使わずして遠くの人へ言葉――しかも声そのものだ――を届けることが出来るのだから、科学と呼ばれるものは得体がしれない。

 何度仕組みを聞いてもちっとも理解出来なかったココノアが振り返ると、真後ろにツィーネが立っていた。特に驚くこともなく、その横を通り抜ける。ツィーネは後ろにぴったりとついてきた。

「ダイダさん、電話ありがとう」

 食堂の奥に声をかけると、ダイダは奥で大きなフライパンを振るいながら「おう、いいってことよ。で、なんだって?」と顔だけをココノアに向けた。

 宿スミレの食堂には昼を食べに来た客が何組か入っていて忙しそうである。料理人はダイダ一人だけだし、レクトーナは注文を取ったり料理を運んだりと行ったり来たりしている。

「海の道で捕まえた人が会いたいって言ってるみたいなんだ。行ってくる」

 ダイダが野菜や肉を炒めたものを盛り付けながら太い眉を寄せた。

「おいおい、やめておいた方がいいんじゃねえか」

 その言葉を受けてココノアは首を回し、真後ろにいるツィーネを見た。

「やめる?」

「俺が決める話じゃないよ」

「綺麗で整った顔の男に会いたいって言ってるらしいよ」

「おや、ツィーネのことじゃないか」

 料理を運び終わったレクトーナがツィーネの肩に両手を置いた。ココノアを見下ろしていたツィーネの視線が後ろへ回る。

「俺のこと?」

「あんたは相変わらずよくモテるねえ。作り物みたいな顔してるだけあるよ」

「作り物だからね」

 人形のように整った顔をしているツィーネが目を細めると、水晶の瞳がきらきらと光で遊ぶ。人間らしさを感じない瞳だが、吸い込まれそうになるほど美しい。

 ココノアはズボンのポケットからチェーンの鍵を取り出し、ふらりとその場から離れていく。

「とりあえず行ってみるよ。晩御飯の頃には戻るつもり」

 レクトーナとお喋りをしていたツィーネが話を切り上げてココノアを追う。ココノアは彼が放っておいても勝手についてくると分かっているのか、振り向きもしない。

 客の邪魔にならないよう壁にそって歩いていくと、近くの席から声をかけられた。

「ココノア君」

「はい?」

 出入り口近くの席で、初老の男がハムやレタスを挟んだパンを片手に、ココノアを見上げていた。彼の向かいでは少年と少女が同じものを同じペースで食べている。

「お相手さんはリアルガーの青年だと言っていたかね」

「はい」

 レクトーナが勝手に話したのだろう、キッチンにいた彼女はちろりと舌を出す。同じ宿で暮らしている者にはココノアが海に落ちたところまで話が広がっているに違いない。

「分かってはいるだろうけれど、お気をつけ。リアルガーの民全てが過激だとは言わんが、彼は少なくとも銃を抜くような輩ではあるようだからの。お前さんをおびき出すためかもしれんよ」

 立ち止まったココノアが首をかしげる。不敵な笑みがその口元を飾っていた。

「ありがとう。気をつけておくよ。――それじゃ、行ってきます」

 ココノアは少年と少女に手をひらりと振ると、二人は同じ動きで手を振り返した。

「ココノアさん、気をつけていってらっしゃい」

「いってらっしゃい」

 ココノアはその声を背に、心の中でツィーネと会話しながら扉をくぐった。



 ココノアが晶力式二輪車を止めると、後ろに乗っていたツィーネが腰に回していた手を離してひらりと降りた。二輪車に乗らずとも姿を消してついて来られるのだが、彼は時折ココノアの後ろへ乗りたがる。

「――ああ、来てくれたか。悪いなあ、わざわざ来てもらって」

 二輪車にチェーンを巻いたココノアに声をかけたのは、治安部隊に属する若い男だった。年が近く、何度も話したことがある相手だ。

「僕こそ、昨日は寝ちゃってて悪かったよ。それで、今日はどうして? ああいうのってすぐに強制送還されるんだと思ってた」

 朝に抱えていたココノアの調子の悪さは、しっかりと食べてうたた寝をしたことで回復したようだ。普段どおり元気な様子で男についていく。

「身分証に登録されている内容と一致する人間がいないって拒否されてんだよ。今んところ国籍不明だ。送り返してやる国がない」

「本人はなんて?」

 男は肩をすくめ、ココノアの側頭を人差し指で二度つついた。

「ここのネジが一本か二本、外れちまってる。話にならねんだよ」

 ココノアは海の道で相対した相手を思い出し、曖昧に頷く。確かにまともに質問に答えてもらった記憶はない。

「そんなやつが海の道で会った男に会いたい、喋りたいって言うもんだから呼び出したってわけよ。ネジをきゅっと締められるかもしれねえと思ってさ」

 男がそう言いながらココノアの後ろにいるツィーネを見た。

 ここまで一人の人間を気に入って側につきまとう精霊はツィーネ以外に見たことがない。ココノアのように永続的にクアルツを提供する契約を結んでいたとしても、必要時以外は近くにいない精霊が殆どだからだ。

 不思議な関係だよなあと思いながら、男は地下の留置所に降りていった。見張りに挨拶をし、出入りするための書類をもらう。

「身分証は限りなく本物。偽物の証明は出来ないくせに、調べれば調べるほど本物だ。……強制送還ってなるとこっちにいろいろ情報開示しなきゃならねえだろ? リアルガーがそれを嫌がって放置を決め込んでるんじゃねえかってのが俺らの推測」

 男は溜息をついて「そうなると面倒なのが放られたかもしれねえなあ」と書類に何かを書き込み始める。

 海の道で繋がるこの国アメシストとリアルガーは折り合いが悪い。信仰する宗教の違いが大きな理由で、現在はどうにか関係を保っているが、戦争が起きそうになったことは幾度となくある。

 好戦的でクアルツを用いた武器の製造能力に特化したリアルガーからやってきた、身元不明の男。そして、男の推測通りであるなら、リアルガーが情報を公開したくないと判断する男だ。

「こっちで取り調べられて、嘘がばれた時の方がまずい気がするんだけどなあ」

 ココノアが首を傾げているところへ、男は書類を差し出した。特に内容も確認せずサインを走らせて男に返すと、留置所への扉が開いた。

 狭い廊下には重そうな扉が並び、目線の高さには小さな窓がある。

「あいつらから何かが漏れ心配はねえのかもな」

 男が頭の横でくるくると人差し指を回した。よほど話が通じないらしい。

 その彼が奥から二番目の扉の前に立ち止まる。小窓を覗きながらコツコツとノック。反対の手でツィーネを手招く。

「ココは見えねえ位置まで下がってな。大丈夫だとは思うけどよ」

「はい」

 リアルガーで信仰されているのはアイエリエス教だ。精霊を信仰する者からすれば、ココノアは精霊を崇めない上に対等に連れ歩いているため印象が悪い。特に、ココノアが結んでいる永続的な契約は自由であるべき精霊を拘束するものだとしてアイエリエス教では禁止されている。

 ツィーネはココノアが下がったことを確認してから小窓を覗いた。そして、すでに覗き返していた男に驚くこともなく、じっと見つめる。

「せいれいさま?」

 男の指が窓にぺたりとつく。

「側にいたお人形さんはいねえの? 綺麗な顔した、お人形さん」

 ツィーネが横へ顔を向けると、ココノアと治安部隊の男が不思議そうな顔を見合わせていた。

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