精霊の力
簡易施設の外にある椅子に座ったココノアは国境ゲートを越える通行人に挨拶をし、稀に会話を交わす。大きなパラソルが椅子に影を落としているが、日差しは強く、座っているだけで体に汗が滲んだ。
うたた寝には不向きな太陽の強さにうんざりしながら、ココノアは立ち上がる。このまま夜の交代まで座り続けるのも辛いので、定期的に立ち上がっては国境ゲートから離れすぎない程度に歩き回っているのだ。
自身の影を踏みながら歩いていると、ぽたりと汗が落ちる。
ウエストポーチにねじ込んだ水筒を手に取り、蓋を開けて傾けたところで中身が空っぽであることに気付いた。真っ逆さまにして、ようやく雫が舌に触れた。
ココノアは一瞬だけ眉をひそめてから、国境ゲートに向けて踵を返した。各所にいつでも好きな時に好きなだけ飲んでよい水が常備されているので、ココノアはそれを目的地に設定する。仕事中に熱中症で倒れるのはお断りである。
何歩か足を進ませ、ココノアは背後を振り返った。
こちらに向かって誰かが何かを叫んでいるのが聞こえたのだ。遠くから誰かがこちらに走ってきているのが見える。
「どうかしましたかー!」
ココノアが両手を口元に添えて拡声器のようにして尋ねる。走っているということは、叫んでいる彼が病気や怪我をしているわけではなさそうだ。
太陽の眩しさを抑えるために目の上に手をかざし、走ってくる姿をじっと見つめる。
走ってくるのは小さな少年で、真っ赤になった顔で自身の背中側を指さしてココノア目掛けて駆けてきていた。
ココノアは異常な様子に気付き、国境ゲートに座っている事務員に手を振って合図をしてから少年に向かって走り出した。
「どうしたのかな。落ち着いて水でも――あ、なかった」
あっという間に少年の元にたどり着いたココノアは少年の肩を押さえて止めさせた。膝を突いて少年を見上げてやると、彼は汗をだらだらと流しながら再び後ろを指さした。
「父さ、父さんが、変な人に……! じゅ、銃を持ってて! ここ、一番近いって、父さんが言って、だから――!」
「分かった。相手はどんな人?」
ココノアは少年に尋ねながら、履き慣れた靴の紐をしっかりと締め直す。
「リアルガーの人、男の人で、ええと、長い金髪の……!」
「うん、ありがとう。続きは国境ゲートのお姉さんにゆっくり説明してあげて。それと、水もしっかり飲むんだよ」
汗で湿った少年の髪を軽く撫で、ココノアは走り出した。腰にぶら下がった双剣に触れ、進行方向を睨みつける。
海の道には簡易施設以外にも休憩地点が幾つも設けられている。ここから一番近い休憩スペースまで全力で走ればそこまで時間はかからない。それに、少年は「ここが一番近い」と言ってやってきている。現場はすぐに見えてくるはずだ。
「ツィーネ。お願いを聞いてくれるかな?」
ココノアが息を吐くように囁く。
腰にぶらさがった双剣が春先の太陽のような光を纏い、その光はココノアの隣に人の姿を作り上げた。
「俺のココが言うのなら、いつでも」
光が落ち着いたそこにはツィーネがいた。彼はココノアに合わせるように走りながら息も弾ませずにこりと微笑む。
「俺に何をしろって?」
ココノアは一切スピードを落とさないまま、前方を顎でしゃくった。
「先に行って。大事が起きそうだったら、君が止めておいて」
「分かったよ」
ツィーネが返事と同時、再び光に包まれ――今度は何かを象ることもなく、霧散した。
精霊はどこにでも漂う不可視のクアルツという力から生まれる。
精霊はそれぞれ生まれたクアルツの属性を食らい、操り、その身に蓄えるクアルツが尽きれば息絶える謎の多い生命だ。
人間は水晶に注がれたクアルツを引き出して使っているが、その水晶にクアルツを注いでいるのは精霊である。水晶に注がれたクアルツを用いた力は晶力と呼ばれており、ココノアが乗っていた二輪車も正式には晶力式二輪車である。
そうやって人間の生活に馴染んでいる精霊の力クアルツだが、水晶に収めている分しか扱えないため用途も使用量も限られてくるのが欠点だ。
そして、その欠点を補う必要がある人間は、精霊と契約を結ぶ。
「ツィーネ。おいで」
人間が代償を払い、精霊はそれに見合ったクアルツを人体に注ぐ。精霊と同じようにクアルツを操れるようになるこの契約には第一種と呼ばれるものと第二種と呼ばれるものがあるが、契約という言葉が差すのは第二種契約の場合が殆どだ。
『お呼びかな、俺のココ』
そして、ココノアは精霊ツィーネと契約を結んでいる。
ココノアは前方に見えてきた人影二つに気付き、右手を上げた。右手を進む先へとかざすと、体の奥からぞくりとクアルツが放出されるのか感じられた。
そのまま放ったクアルツを踏む。
ココノアが踏んだ場所からクアルツが弾け、体を前へ押しやった。二歩目も同じく、クアルツはココノアを前へ前へと勢いよく進めていく。
『状況ならさっきから変わらないよ、かろうじて硬直状態で』
「分かった。――ツィーネ。クリスタル化、双剣」
心に湧くツィーネの声に答え、両手を広げる。それぞれの手のひらに光が集まり、ココノアがぎゅっと握るとそこに双剣が収まった。
本来なら不可視である精霊は実体化――クリスタル化することで人間の目に映る。
ツィーネはクリスタル化で男性や双剣を模すのを好み、ココノアはその双剣を扱うのだ。
ココノアは強くツィーネを握りしめ、思い切り強く踏み込んだ。反応したクアルツがより強く弾け、体を前へ吹き飛ばす。
迫る前には銃を持った褐色肌に金髪の男。そして、その男の前には両手を上げてじりじりと下がっている男の背中が見える。
一気に距離を詰めたココノアは両手の上げた男の前へ躍り出た。
「こんにちは。海の道では武器の持ち込みを禁止してますよ」
ココノアはくるりと双剣を回して体の横にぶらさげ、荒くなった息を吐きながら微笑んだ。ことんと首を傾げる。
「警告します。その銃を仕舞ってください。従わない場合は没収します」
銃を持った若い男は、リアルガーの民である特徴の褐色の肌で、金色の長い髪がよく映えていた。前髪で左目が隠れがちだが、そこから覗き見える瞳は深い緑で獣のように鋭い。
「――綺麗じゃねえんだよ」
「はい?」
ココノアが反対側に首を傾けた。
同時、男が引き金を引いた。
しかし、ココノアの目の前には橋から生えるようにして土の壁が出来上がっていた。ココノアはそれに背を向け、後ろでへたりこんでしまった男を振り返る。
「びっくりしましたね。ここは僕に任せて先へどうぞ。息子さんが国境ゲートで待ってます」
場違いなほど落ち着いたココノアに、男はしどろもどろの礼を何度も繰り返し、転げるように走っていく。
ココノアはそれを見送ってから一息。そして、土の壁を消し去る。
先程と立ち位置が変わっていない褐色肌の男を睨みつける。
「発砲確認。反撃開始」
ココノアの口元がきゅっと締まった。
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