第一話「近すぎる距離」

次の日の朝。

「ひろー!おっはよー!」

「!?!!」

突然背中に重みを感じた。

危うく顔をスマホに突っ込ませるところだった。

「……おはよう、そう」

「うん、おはよう」

悪びれる様子のない満面の笑み。朝から何がそんなに嬉しいのか。

そしてそうは、席に着いてからもにこにこと俺を見続けていた。……少し居心地が悪い。

スマホの画面からちょっと目を上げて、隣のそうを見てみる。

「っ……!」

うわ、目あった。気まずい。

もしかして休み時間とかずっと見られんのかな……いやそれは流石にないか……?

しかし俺のそんな憂いは必要なかった。

休み時間になると、そうの机の周りにはすぐ人が集まってきた。あれじゃ俺なんて完全に視界の外だろう。万事解決。

しかしなぜだろう。その日はいつもより少しだけ、休み時間が長く感じられた。

長い長い4時間が終わり、昼になった。この学校は些か昼の時間が遅い気がする。4時間目なんかもう空腹で全く授業に集中できない。

早く弁当を食べたい気持ちを抑え、俺は弁当を持ち立ち上がった。目的地はトイレだ。

今時トイレでぼっち飯とかまじであるのかとか、いやそもそもトイレで飯って……とかそういうのはいらない。教室がうるさすぎるから仕方なく静かなトイレで食べているんだ。そう、仕方なく。

兎にも角にもトイレについた。入学前は洋式便座がなかったらどうしようかと不安だったが、俺たちが入学する直前に改装したらしく、全て洋式で綺麗なトイレだった。

俺はそのうちの一つの個室に入って鍵を閉める。

「やほーひろー」

!?

そこにはそうがいた。まさかこいつもトイレでぼっち飯なのか……?

だとしたら悪いことをしてしまった。陽キャがトイレでぼっち飯してたなんて……

「わ、悪い。俺隣行くな」

がしかし、そうはいつの間にかドアの前に立ち塞がっていた。

「一緒に食べよう、ひろ」

「一緒に?ここで?」

そうはにっこりと頷く。

これはあれか。見つかっちゃったんならいっそぼっち同士一緒に食べよう的な……

「そうが良いんなら……」

するとそうは「やった」と小さくガッツポーズし、そのままドアにもたれかかった。

俺は(多分そうが譲ってくれたのだろう)便座に腰掛け、弁当を開ける。立ったままのそうも器用に弁当を開けた。

それぞれ黙々と弁当を食べる、静かな時間だった。よく考えてみれば、家族以外と一緒に食事したのなんていつぶりだろう。

いつもは冷えきってお世辞にも美味しいとは言えない白米も、今日は美味しく感じた。

俺とそうがトイレで一緒に飯を食べるようになってから数日。今日も今日とて俺たち二人はトイレで飯を食べていた。

会話といえば、トイレに入った時の「おう」「おはよ」と、帰りの「じゃあ」「また」くらいで、この数日ちゃんとした会話らしいものは一切なかった。それでも居心地が悪くないんだから不思議だ。そうの陽キャパワーだろうか。

ところがこの日は違った。

「ひろって髪サラサラだよね」

トイレ飯初のちゃんとした会話は、そんなそうの一言から始まった。

「そ、そうか?」

自分では思ったことがなかったので少し戸惑った。

「うん。俺癖っ毛だからちょっと羨ましいかも」

そう言ってそうは自分の髪を触る。

確かにそうの髪は、ぴょんぴょんと跳ねている感じだったが、それ風にセットしたものだとばかり思っていた。癖っ毛だったのか。

というか、そうにもコンプレックスってあったんだ。

そこで俺は、なんでか、本当になんでか自分でもわからないのだが、そうに言った。

「俺の髪、触ってみる?」

「え……」

まじで何言ってんだ俺。

慌てて撤回しようと「いや、違う。やっぱなんでも……」と言いかけたが、俺の頭にポンと置かれたそうの手に言葉が止まった。

「ひろの髪、サラサラで気持ち良い」

置いた右手で俺の頭をわっしゃーとやりながら、そうはにっこり笑う。

そうは猫か犬かと聞かれたら犬派なんだろうなと、ふと思った。

「良い加減やめろよ」

存分にわしゃわしゃされたところで、俺はそうの手を振り払い、便座から立ち上がる。

が少し勢いがつきすぎた。頭を触られた恥ずかしさで落ち着きを失っていたのかもしれない。

俺は体のバランスを崩し、前のめりに倒れた……というほど広さもなく、目の前にいるそうに抱きとめられる形となった。

「ごめ……」

慌てて離れようとするが、そうはそのまま俺の背中に手を回した。

「ちょ、苦しい……」

俺が必死に訴えても、そうは手を緩めようとはしない。新手のいじめか?

そうの胸に俺の顔が押し付けられる形になっているので、苦しい。とにかく苦しい。

「嫌なら殴ってでも抜け出してみなよ」

と、そうが耳元で言った。

苦しいし、殴っていいって言ってるし。

「じゃあ遠慮なく……」

陰キャキモオタの俺にもまあ普通の男子高校生並みの力はある。

右手をそうの背中に回し、思いっきり殴った。

「うぐっ!?」

瞬間、そうの手が緩まる。その隙に俺はそうの腕から抜けだした。

「ごめん……大丈夫か?」

「いいよ、行きなよ」

そうと距離を取りながらも心配する俺に、そうは冷たく言った。

もしかして殴ったのが相当痛かったのかもしれない。

「……じゃあ」

そうがこっちを向こうとしないので、仕方なく背を向ける。

なぜか悲しそうなそうの顔が頭から離れなかった。

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