第109話 隠し事

 ———飯間刑事、水西さん、茜ちゃんが再集合したのは、ほぼ同時だった。

 全員が、それぞれの根拠から容疑者を連れている。

「お時間を頂いて申し訳ない。少し聴きたいことがありますので」

 飯間刑事が3人に向き合い、1人ずつ事情聴取を始める。私もさすがにここまでの流れには慣れてきた。

 まず潰れた車の運転手が指名され、「名前とここに来た目的を」と促される。中肉中背で、老け顔の男性だ。

「はい……わ、私は栗田くりた 智晴ともはる26歳、ここには大学生の妹を送りにきました」

「妹さん、ですか?」

「ええ。ここで開催されるスイーツビュッフェとやらに車を出してほしい、と頼まれたので」

 新年早々から運転手とは……歳の離れた兄という立場の宿命だろうか。本人がどう思ってるのか知らないけど。

「すいません栗田さん」

「え?」

 突然、刑事の背後から名前を呼んだのは江ちゃんだ。見知らぬ少女の登場に困惑が隠せてない栗田さんだが、江ちゃんは構わず質問を続ける。

「もしかして妹さんって、ピンクのニットにデニム姿じゃないですか?」

「え?そ、そうだけど……」

 目を丸くして、しかし確かに賛同する。それを受けた江ちゃんは「続けて下さい」と飯間刑事に聴取の再開を促す。

「江ちゃん、今のって?」

「美咲さんが事件に気付いたキッカケって覚えてます?」

「えっと……列に並んでるとき、近くの女性のスマホで事故の様子が写ったSNSを覗いたんだよね?」

「そうです。その時の女性は過剰に反応していたとも言ってました」

「そっか!そこで見た潰れた車が直前まで乗ってた兄の車だと気付いたから、動揺してたんだね」

 その確認ができてとりあえず満足したのか、変わらぬ表情で事情聴取に向き直る。

「あなたは被害者と知り合いとのことですが、本当ですか?」

「は、はい。彼とは大学生のときに知り合いました。学部・学科が同じだったことで意気投合してたんですが……卒業と就職をキッカケに連絡はしなくなりました」

 ちなみに職業は中小企業に勤めるサラリーマンで、実家暮らしの終わらない大変な立場のようす。

「ここに来てから事件発生まで何をしていたのか教えて下さい」

「ええと……ここに着いたのは30分前くらいかな。ただ帰るのもつまらないからどこに行こうかずっとカーナビで調べてて、そしたらトイレ行きたくなったから車から降りた直後、彼が落ちてきたんです」

 もし栗田さんが犯人じゃなければ、奇跡的に助かったということになる。

 ただ、栗田さんが犯人なら、時差で車から落ちてくるようなトリックを用意してるかもしれない。

「では最後に、被害者が誰かから恨まれるようなことをご存知ありませんか?」

「……うーん、晃介はかなり人当たりの良い男だった印象があるので、恨まれるようなことは……」

 顎に手を当て、必死に唸る。しかし、出るのは喉からの重低音だけで、動機になりうるエピソードは空っぽのようだ。

「そういえば、被害者とのご関係は?」

「あぁ、大学時代の友人です。もっとも、1年生の間はよく飯にも行きましたけど、2年からは割と疎遠でしたね」

 大学で1年間だけ付き合いがあった。友人になるには十分な期間か。

「わかりました。また何か思い出したら教えて下さい」

 飯間刑事がそう区切って、栗田さんへの尋問を終える。飯間刑事が簡単にメモを取っているとき、私の左で江ちゃんが渋い顔をしてきた。鋭い視線で、栗田さんを見つめている。

「ど、どうしたの江ちゃん?」

「———あの男、何か隠してる」

「へ?」

「人は記憶を探るとき、視線が左上に向くことが殆どです。しかしあの男性は、刑事に動機のことを探られたときに視線がかなり泳いでいました。明らかに思い出した何かを隠そうとしています」

 ———視線が泳いでるなんて、全く気付かなかった。よく女性は「嘘を見抜くのがうまい」と言われるが、ここまで論拠を携えて見抜くのは不可能……相変わらず規格外の頭脳だなぁ。

「で、でも、それならすぐ指摘すれば良かったのに、どうして黙ってたの?」

「指摘したところで『隠し事なんてしてない』の一点張りですよ。何せ、私の分析には証拠がありませんから」

 自嘲気味にそう答え、また事情聴取に視線を直す。

 ——— 確かに、今隠してるならいくら掘り下げても無駄か。なんにせよ、動機になりうる出来事があったと考えていいはず。

「事件性が、濃くなりましたね」




※※※




 次に刑事の矛先が向いたのは、被害者の隣室にいたという、

「阿部 太一です。市川の担当編集で、ここには彼の缶詰めの付き添いできました」

「編集者が付き添うんですか?」

「あ、まぁ、はい……」

 あ、目を逸らした。てか目が泳いでる。なんか隠してんのか。

 さっそく江ちゃんのメンタリズムが活きたところで、再び意識を阿部さんに向ける。

「ここに来たのは2時間くらい前です。12時に昼食を買いに行こうと伝えたのを最後に、執筆を邪魔しないようずっと自分の部屋で事務作業をしてました‥‥‥」

 要するに、被害者がどこで何してても気付かなかったと言いたいのか。

「被害者との関係は『編集者と執筆者』という仕事上の付き合いだけですか?」

「あ、いえ……僕と晃介は高校時代の同級生なんです。大学も同じところに進学しましたから、かれこれ10年近い友人ですよ」

「大学も、ってことは……栗田さんのことは」

「いや、彼のことは存じません。時折名前を聞いたことはありますが、会ったことすらありません」

 隣で栗田さんが頷いている。どうやら嘘ではなさそう。

 そういえば、阿部さんの身元については、名古屋の探偵部たちが持ってきた情報だっけ。

 ふと、私たちの隣で話を聞いてる水西さんと茜ちゃんに近づいてみた。

 2人の真剣な眼差しは、どこか美咲さんと白澤くんを連想させ……

「‥‥‥じゃなかった。ねぇ、お2人さん」

「あなたは‥‥‥赤崎さん、だっけ」

「たしか市川さんと阿部さんがフロントの人と喋ってるのを見かけてたんだよね?その時の内容って‥‥‥」

 江ちゃんが606号室で水西さんと遭遇したとき、市川さんと阿部さんの関係値をかなり詳細に知っていたらしい。赤の他人でそんな話を盗み聴く絶好のタイミングは、そこしかない。

「従業員と知り合いだったらしいわ。前にも2人で遊びがてら宿泊に来たことがあるとか、今日は執筆だけじゃなく取材も兼ねているとか」

 そう言った水西さんは、確認するように茜ちゃんに「そうだよね?」と尋ねる。

「殆どあってるけど‥‥‥取材のことは嘘だと思うよ」

「え?どうして?」

「‥‥‥表情を見ればわかるの」

 非常に淡白な返事で、あっさり話を切り上げた。しかも会話の最中はまるでこちらに顔を向けない。初対面への接し方は、姉と真逆だ。

「‥‥‥そういや美咲さん、初めて会ったときはすごいフレンドリーだったなぁ」

 意外な発見を口にしつつ、2人から少し距離を置いて元の位置へ。

 既に阿部さんへの聴取は終わってしまっているが、江ちゃんが熱心にメモをしているので、何か必要な情報はあそこから探せばいいか。

 もっとも———あのメモは美咲さんのためだろうけど。




※※※




「このスカイグラウンドホテルで働く小松こまつ友紀恵ゆきえといいます」

 そして最後、水西さんに連れてこられた女性スタッフ。この人が、市川さんに声をかけられたところを水西さんと茜ちゃんに目撃されたのか。

「確かに、2時間ほど前に彼らが声をかけてきましたが……あれは、私と彼らが高校時代の知り合いだったからです」

「彼ら、ってことは阿部さんも?」

「はい……よく遠出をするような仲だったので」

「3人で、ですか?」

「え?は、はい、そうです……」

 あ!また視線が泳いでる!前の2人と比べてかなり抑えられてるけど、意識して確認すれば分かるくらいにはブレてるなぁ。

 って、容疑者3人とも隠し事してる……。

「高校からの知り合いなら、栗田さんのことは存じないんですか?」

 3人が秘密を抱えてることを江ちゃんに相談しようと顔を向けると、当の本人は真剣な面持ちで小松さんに質問していた。

「ええ……高校3年生になるタイミングで交流はなくなったわ。私が受験勉強で忙しくなっちゃったから……」

「何年ぶりの再会ですか?」

「えっと……8年ぶり、かな?」

 8年って……義務教育の期間より長いじゃん。

 まぁ縁が途絶えるにはありえる理由か。もっとも、そういう辛い時期こそ友人関係は大事だと私は考えるが、今は置いておく。

「じゃあ、フロントで市川さんに挨拶されたとき、どんな会話をしたんですか?」

「こ、江ちゃん?」

「えぇ……い、言わなきゃダメ、ですか?」

 私が関係ない思想を展開しようとする横で、江ちゃんが矢継ぎ早に質問を重ねる。一方、かなり不安げな声と表情で刑事に黙秘権を尋ねる小松さん。だがもちろん返答は……

「話さなくても構いませんよ。問題ありません」

「江ちゃん!?」

 なんと自分で尋ねておいて自分で「無視していい」と許可を下ろした。思わず大声がこぼれる。

「な、なんですか真希さん。そりゃプライベートなことで話しにくいこともあるでしょうし」

「そ、そうなのよ。ちょっと私情が多くて……」

 私の大声に仰け反った江ちゃんに、小松さんが同調して———


「———旧友と数年ぶりに再会した時の話は、かなり限られてくる」


 突如、江ちゃんの声のトーンが下がる。

 まるで、万物に反論の有無を赦さない重圧が込められた声。その圧力は、言葉そのものにも含まれていた。

「もちろん状況に寄りますが、殆どは『当時の思い出話』か『近況について』のどちらかです。そして、会えなかった期間が長いほど、前者になる確率は高くなります。ただし家族の場合は後者の方が多いですけどね」

 淡々と、しかし感情が入り乱れたその指摘は、小松さんの表情から不安だけを浮き彫りにする。

 この子は何を言っているのか——そう思ってるに違いない。

「もし本当に3人で昔話をしていたのなら、そして小松さんも阿部さんもそのことを隠し通すなら」

 並ぶ容疑者2人を交互に見ながら、江ちゃんが容赦なく辛口を浴びせる。否、これは2人だけのように見えて、栗田さんも含めた3人に向けられたもの。


「——あなたたちは永遠に疑われ続けると、そう考えてもらって差し支えありません」


 それを最後に、彼女は一歩下がる。

 容疑者たちに、たとえ犯人じゃなくとも偽りは赦さない。そう暗示する江ちゃんは、黙って3人を見つめる。

「……」

 大人たちより一回り背の低い彼女に射抜かれ、大人3人が目を丸くする。

 果たして誰がこの沈黙を破るのか——そう思った瞬間だった。

「……君の言う通り、昔話をしたんだ」

「太一!」

 ぼそり、と呟く阿部さん。そして、反射で声を張り上げたのは小松さんだ。

 半ば激昂する小松さんを抑えて「大丈夫」と肩を軽く叩くと、

「でも、その内容は教えられない。それだけは、分かってほしい」

「……はい。黙秘を認めてるのは本当ですから」

 冷静に、いつもの調子で江ちゃんが秘密を許可する。

 ここまできて、まだ隠すのか——その考えは出なかった。なせなら、あの阿部さんの語り口調や小松さんの激情は、決して人を欺く虚偽の現れなんかではなく……

「……話したく、ない」

「そういうことです」

 理解を口に溢すと、簡単に江ちゃんが肯定する。




※※※




「———旧友と数年ぶりに再会した時の話は、かなり限られてくる」


「もちろん状況に寄りますが、殆どは『当時の思い出話』か『近況について』のどちらかです」


「そして、会えなかった期間が長いほど、前者になる確率は高くなります」


「ただ、家族の場合は後者の方がありえますけどね」



 江が紡いだ言の葉たちが、妙に私の心をかゆくする。

 それは、私が旧友——緑橋 江に再会した瞬間とき、『昔話』なんて思い出したくもなかったから。

 そして、血縁である姉に対しては、江の推測通りの思考をしていた。


 エレベーターに駆け込む幼馴染。死体の前で真剣な面持ちの姉。

 2人が目に入ったとき共通して最初に思ったのは、今何をしているのか。

 そして連想されるのは、6年前の———




「———思い出せなくて、当然か」

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