第106話 軋轢
「わ、私たちの前に、現場を調べてた女の子がいたの?」
美咲さんが半ば怒鳴り口調で、男性に近寄る。
身長も体格も男性の方が一回り大きいのに、美咲さんの高圧的な物言いに怖気付いている。
「あ、あぁ。少しウロウロしてから小声で『殺人かもしれない』って言ってから2人ともホテルに走っていったから……」
「ふ、2人も?」
思わず美咲さんと私は目を合わせてしまう。
異様に現場慣れしてる少女たち。その素性は明らかじゃないが、何やら探偵部と同じ匂いがする。
「でも……相手にもよるけど、その子たちも容疑者になるんじゃない?」
「そうね。身元は明らかにしないと。もっとも……」
語尾を濁しながら、静かにホテルを見上げる。
「……私が考えてるような相手なら、きっと暫くすれば戻ってくるはず。下手したら、今ごろ江と遭遇してるのかもね」
「遭遇って……」
「江からの連絡が遅すぎるのがその証拠。時間はかかると思ってたけど、ここまで手こずるとは考えにくい」
江ちゃんに何かトラブルが生じて、捜査に手間取ってるか連絡が覚束なくなっている。そう推測してるのだろう。
そしてそのトラブルに、先程の謎の少女たちが関わっている可能性は充分ある。
「まぁ危害を加えようとしてる相手じゃないのは確かね。味方かどうかも疑わしいけど」
ジト目でスマホに視線を落とし、ため息をこぼす。面倒なやつが出てきた、と呆れているのかな。
とにかく現場保存を完了させた私たちにできることは、警察の到着か江ちゃんからの連絡を待つしかない。そう思い、これからのことを相談するため声をかけようと……
「その車の持ち主の男性」
「「へ?」」
ホテルの裏口から、1人の少女が歩いてきた。肩の少し上で綺麗に切り揃えられて髪は、健康的な黒で艶めいている。
腕を組んで豊かな胸を少し持ち上げている。その姿はランウェイを闊歩するモデルのようだ。
「被害者の男性と知り合いらしいわよ」
見た目の麗しさに見惚れてると、声のトーンを全く変化させずに言葉を紡ぐ。
ひょっとしてこの子が、先客の女の子?だとしたら、どうしてそんなことを知ってるのか。
少女は私たちから少し距離を置いて止まり、車の持ち主の男性に目を向ける。
「車に被害者が落ちて来たとき、顔を見てその男が『もしかして市川か?』って呟いてたから。もっとも、他人の空似かもしれないけどね」
もしそれが本当なら、彼女は事件発生時にこの駐車場にいたことになる。やはり、例の少女はこの子で間違いないだろう。
しかし、さっき男性は「2人の女の子」と言ったはず。なら……。
「あ、あの、もしかしてあなた、他の女の子と2人でいたんじゃない?」
「ええ。水西さんは被害者の部屋に行ったわよ。さっき、あなたたちの仲間らしき少女と鉢合わせたと連絡があったわ」
……ってことはやはり、江ちゃんからの連絡が来ないのはその水西という人とイザコザがあったのだろう。
目の前の少女のこと、江ちゃんのこと、これからのこと。
考えることの整理がつかず、諦めて美咲さんに助けを求めようと振り返ると————そこには、血の気の引いた表情の美咲さんがいた。
「……み、美咲さん?」
焦点は定まらず、呼吸が不規則で粗い。立ってるのが奇跡なのかと思うほど不安定な顔色。
唯一確かなのは、目線がほとんど目の前の少女に向いているということ。
「はっ……あっ、ふっ……」
「ど、どうしたの?な、何が……」
「あか……あかね、なの……?」
か細い声を漏らしながら、少女に一歩近づく。
乱れた呼吸は整わず、むしろ荒れ狂うばかり。
「ちょ、落ち着いてよ、美咲さんらしくない」
「そうね、姉さんらしくない」
「……え?ね、ねえさん?」
私の疑問を他所に、少女はため息を微かにこぼす。その姿は、美咲さんの普段のため息とリンクした。
よく見ると、鋭い目付きや凛とした顔立ち、それに佇まいは、まるで美咲さんと似ている。髪の長さが違うから雰囲気も異なるが、見比べるとかなり近い存在なのは明らかだ。
「本当に、美咲さんの妹さんなの?」
「……ええ、
「あうっ」
「み、美咲さん!?」
端的な自己紹介の直後、美咲さんは白目を剥いて私の方へ倒れ込んだ。
※※※
霞む意識の向こうから、サイレンの音がフェードインしてくる。これは……パトカーか?
目を開けると、周囲は喧騒に包まれていた。その騒がしさの原因は、走り回る警察官や規制線の向こうにいる野次馬だ。
「あ!美咲さん、起きた?」
体を起こすと、真希が駆け寄ってきた。江も後ろからついてくる。
「わたし……どうして……」
「覚えてない?茜ちゃんに会って……」
「あ!あか、ね……」
その名前を呼ばれ、背筋が凍ってしまう。
こちらの事情を知らない真希には今の私が挙動不審な輩にしか映らないだろう。
「美咲さん、今は休んでたら?事件を捜査できるのは美咲さんだけじゃないんだから」
そう言って、真希は斜め後ろに体を回す。そちらを覗くと、そこでは茜と別の少女が飯間刑事と話していた。
「茜と一緒にいるのは、水西 香さんです。高校2年生で、茜と同じ高校の探偵部らしいです」
「た、探偵部ぅ?」
「なんで探偵部員が他の探偵部を訝しんでるの?」
他に探偵部があったとは。しかも、その部員に茜が……。
「あ……そういえば真希に、茜のこと伝えてなかったね」
「いや、大体は江ちゃんから聞いたよ」
わずかに
「大丈夫ですよ。部分的にしか話してません」
「ぐ、具体的には?」
「……美咲さんのお母さんの事故の話までです。その後の顛末は、私も詳しくは知らないので。茜が名古屋に移り住んだのは存じてますが」
正直、事故の話は私からしたくなかった。どこまで詳細に伝えたか分からないが、そこは割愛していいだろう。
あの事故——助手席に茜を乗せていた、母の運転する車が、飛び出した自転車と衝突した事故。
ドラレコや周囲の監視カメラの映像から不慮の事故だと明確に判断され、母の罪は特に問われることなく静かに終わった。世間的には。
私たち家族は違う。
人が死んでもおかしくない事故を目の前で見た小学生の茜は、心に大きな傷を負った。カウンセリングも虚しく、周囲に完全に心を閉ざした。そして、その対象は家族にも向けられた。
『もう、誰とも話したくない』
病院から久々に帰ってきた茜は、その言葉を最後に二度と自室から出ようとしなかった。
その状況の継続を懸念した母は、茜を母の実家がある名古屋に移し、祖父母の元で生活させることにした。祖父母とは殆ど会ったことがなかったため、茜にとっては全く別世界に住み始めたのと同義だった。知ってる人と交わることで悪夢を呼び覚ますなら、知らない人しかいない世界で一から人生をリセットすれば、今よりマトモな幼少期を過ごせると考えたのだ。現住所はもちろん、苗字も母の旧姓に変え、全く新しい生活を始めた。
そして今日———約6年ぶりに、最愛の妹と遭遇した。顔立ちはかなり大人びてるものの、当時の幼さは僅かに残っている。
「……名古屋に移動してからどう生活してるのかは私も知らない。まして、探偵部をしてるなんて」
第一、探偵部自体がかなり珍しい部活だ。東京中探しても、色沢高校以外に無いと言っても過言ではない。
「茜ちゃんは私と1つ歳下だって言ってた。てことは、江ちゃんと同い年なんだよね?」
「はい。そもそも、緑橋家と青里家を繋いだのは、私と茜なんですよ」
「そうなんだ……」
事故のあと、詳細は江の家族にも伝えられた。彼女も茜のお見舞いに行ってくれたが、やはり反応は私たちに対するものと同じだった。
親友を失った江になんて説明すれば良いか分からなかった。何せ私たち3人は、毎日と言っていいほど一緒に過ごしていたから。
病院から帰ってきた江に声をかけようとしたとき、9歳の少女は私に笑顔を向けた。
『私は大丈夫!美咲ちゃんは、茜のことを心配してあげて』
———その言葉にどれだけ助けられ、同時にどれだけ後ろめたさを感じたか。
1歳違いとはいえ、幼い少女に心苦しい気遣いをさせてしまった。しかも、それに返事する言葉を持ち合わせていなかった。
私は後ろめたさを隠しきれず、自然と江から距離をとるようになった。
孤独のまま、気が付けば高校2年生——探偵部で、江と再会した。
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