第102話 殺意

「真希さん、私たちに何か隠してません?」

 ホテルへ向かう道中、赤信号を待っていると、唐突に江が真希へ尋ねた。

「へ?な、何のこと?」

「誤魔化さないの。あなた最近、部長の前で様子が変よ」

「そ、そんなこと……」

「無かったら、私たちはこんなこと言わないわ」

 鋭く指摘すると、真希は押し黙った。

 いつも能天気なこの少女がここまで真剣に悩むなんて、一体なにを抱えているのか。

 ここまできたら、彼女の口を割るのは江の仕事だ。 

「その悩みを解決できるかは分かりませんけど……孤独で頭を抱えるのと、私たちが一緒に唸るのと、どっちが良いですか?」

 信号が切り替わり、周囲の人が一斉に歩き出す。私たちも、一拍置いて足を踏み出す。

 周りの喧騒が、真希の逃げ道を塞ぐようで。

「まして、部長のことですよね?同じ部員として、その心配事は共有しておきたいです」

 実は、半分は興味本位なんだけどね。これで部長の秘密が暴けたらいいな、なんて。

 ただし『真希を安心させる』というのも決して大義名分というわけではない。

 彼女も今では立派な戦力だ。そこに含まれる不安因子は取り除くべきだと、素直に思える。

「私たちは真希さんの味方ですから。もし部長と真希さんが対立したら、真希さんを応援するくらいには」

「それはそれでどうなのよ」

 ハハハ……と乾いた笑いを溢す真希。どうやら僅かに心の鎖を緩めたようだ。

「そこまで言ってくれるなら、話しとこうかな……」

 偶然通りかかったカフェを指差して、「時間まで少しあるから、あそこでゆっくり話したい」と提案された。

 どうやら彼女は、よほど真面目に相談したいらしい。




※※※




 真希から語られたのは、あの雪山の事件のときに彼女が知ってしまった部長の秘密。

「白澤くんには『目的』があるんだって。前に美咲さんも言ってたよね?」

「そうね。私も一度だけ、ほんとにさりげなく聞いたことしかないわ。その内容までは教えてくれなかったけどね」

 そう、彼の原動力はその『目的』にあるらしい。でも、その本質は未だ告げられていない。

「その『目的』の内容なんだけど……どうやら、白澤くんのお父さんを殺害した犯人を、らしいの」

「……こ、殺したい?」

 単刀直入に回答を提示され、私と江は絶句した。

 あれだけ犯人を悪魔のごとく追い詰める部長が、まさか復讐心を掲げて活動してるなんて。

「というか、お父さん亡くなってるんですね」

「ええ、それも知らなかった。そもそも、彼の両親の話なんてまともに聴いたことないわね」

「あ、でもその話、白澤くんがお母さんと電話してるのを盗み聞きしたときに言ってたの」

「……なら、母親は存命ね」

 てか、親子で物騒な会話してるなぁ。

「そのお母さんだけど……只者じゃないみたいだよ」

「只者じゃない?」

 思わず鸚鵡返しで尋ねてしまう。

 もっとも、あんな息子を育て上げた母親が普通なわけないが。

「……どうやら、この前のテロ事件のせいで忙しくなった人物らしいの」

「「……はぁ?」」

 あまりに急すぎる「テロ」という単語に思わず、江と声を揃えてしまう。でも、それが気にならないくらいに驚きを禁じ得ない。

「……つまり、その母親は警察関係者?」

「そう考えるのが無難でしょうね」

 私の推測に、江が丁寧に肯定する。

 あのテロの首謀者である桐谷 遥は逮捕されている。立場によっては、事情聴取などで忙殺される状況は容易に想像できる。

「……仮にお母さんが警察官とかだとして、息子が『ぜってー犯人殺す』って言ってるの、どうなんでしょうね」

「うーん……『どうせ高校生のガキには無理だろ!』ぐらいのテンションなら放置主義になりそうだけど」

「でも部長の場合、実績が桁違いなんですよね……」

 2人で得られた情報から白澤母の正体について考察してると、真希がキョトンとした顔でこちらを見てるのに気付いた。

「ん?どした?」

 私の問いに、一拍置いて真希が返事する。

「……2人とも、白澤くんに殺意が宿ってるってのに、怖くならないの?」

「……あぁ、そういうことですか」

 江が理解したのとほぼ同時に、私も理解した。

 つまり真希はそもそも、部長の「殺したいヤツがいる」という思考に対して怯えていたということか。

 例え普段は正義の執行人でも、僅かでも殺意の片鱗が見えてしまえば、距離を置きたくなるのは必然だろう。

「白澤くんは、人を殺したいと思ってるんだよ?相手も悪い人なんだろうけど……それでも、殺意には変わらないし」

 拳を握りしめ、私と江に交互に訴えかける。

 その眼には、恐怖が塗りたくられていた。

「———大丈夫ですよ、真希さん」

 その真希の昂る焦燥を宥めたのは、やはり江だった。

「部長は、そんな人じゃない」

「で、でも……」

「あの人が本気を出せば、お父さんを殺害した犯人を見つけ出すなんて造作もないはずです。それでも、まだ『目的』は成し遂げていない……何故でしょうか?」

「そ、それは……」

 至って冷静に、しかし誠意を持って言葉を紡ぐ。その正面からの語りかけに、真希は再び言葉を失ったようだ。

 これを機と見た江は、追撃を重ねる。

「それは、彼はその殺意をまだ固めていないから。『本当に殺していいのか』という葛藤が心の底には渦巻いているんです」

「……」

 その説得に、開いた口が塞がらないでいる。まるで、そうであってほしいと願うかのように。

「部長が謎だらけなのは同感よ。だからこそ、下手に疑って距離を置くより、そばで変化を見守っておいた方が安全なんじゃない?」

 そう話を括り、目の前のアイスティーで喉を潤す。私の締めの言葉に、返す言葉は見当たらないようだ。


 ———もっとも、江が立てた推論は所詮『可能性』の範疇だ。

 むしろ彼が決意したら、優柔不断に悩むことなんて有り得ないのでは。殺意が鈍ってるとは考えにくい。

 父親の殺害事件の詳細を知ってるわけではないが、あの男なら擦り切れるまで調べ抜くはず。

 それでもまだ殺意を鋭く保っているという。それはつまり———

(———犯人は、白澤 平一が見抜けないほどの知能犯)

 きっと江も、同じことを考えてるはず。

 そんな人かいるのか?想像するだけで背筋が凍る。

 今までに部長が手こずった犯罪者なんて……。

 なんて…………。

 ……。

「……いるじゃん」

「へ?どうしたの美咲さん?」

「え、あ、いや……」

 忘れてた——沢城 鈴音のこと。

 探偵部の活動の中で唯一、部長が取り逃した犯人。本人曰く、まんまと罠にハマり、逃すしか選択肢はなかったとか。

 そしてその女は、例の犯罪組織の一員。

(まさか、部長のお父さんを殺した犯人って……)

 最悪の推測が綺麗な一直線になる直前、考察を打ち切ることにした。

 これ以上考えると、息が持たないかもしれなかったから。

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