第98話 幕間その2

 常夜灯を点け、ほのかに明るい橙色が薄く部屋を照らす。

 就寝前の読書に心を和ませていると、コンコン、と扉をノックする音が響く。急な出来事に反応機構が働かないが、ゆるりと立ち上がり施錠を開ける。

 そこには、白いモコモコなパジャマに身を包んだ少女が、僅かに震えながら立っていた。

「し、白澤くん、起きてた?」

「赤崎か。何しにきた」

「と、とりあえず、廊下寒いから、入れてくれない?」

「……何しにきた」

「いじわるしないで入れて!」

 オレが許可する前に部屋に上がり込み、ずけずけと奥へ進んでいく。

 部屋の電気を明るくしようと手を伸ばしたが、赤崎はそれを断り、流れるようにベットに潜り込んだ。

「んで、本当に何しにきたんだよ」

「……わ、私の部屋の隣、人の遺体だあるんだよ?そう思うと、怖くて寝れなくて……」

 なんてピュアな理由だ。慣れてきたと思ってたが、やはりまだ女子高生なのは変わらないか。

 ちなみに赤崎が殺人現場の隣に寝泊りしている理由は単純。残りの部屋2つのうち、一つはその部屋で、もう一つの今オレがいる部屋の隣は、完璧に拘束された大宮が監禁されてる部屋だから。赤崎が「あんな奴の隣の部屋で寝たくない」と駄々を捏ねたから部屋を選ばせたというのに……。

 まさか霊的なものに恐れるとは考えてもいなかったが、事実ここまで来たのだから、畏怖してるのは嘘じゃないだろう。

「って、ここで一晩過ごす気か?」

「もちろん」

 なにを当然のように答えてるんだ。そしたらオレはどこで寝ればいいんだ。

「じゃ、お前の部屋借りるぞ」

「え、ダメだよ。何を同級生の女の子の部屋に1人で忍び込もうとしてんのさ」

「大丈夫、間違って下着を見たとしても鼻で笑うから」

「そのジョーク、美咲さんと江ちゃんの前でも言えるの?」

 ジョークって……本気で言ってるんだけどな。

「……頑張って話を逸らそうとしてるようだが、正直に言ってみろよ」

「………………1人は怖い」

 やっぱそうか、ちくしょう。

 つまり、この女はオレに子守をさせる気らしい。

「あ、寝床なら大丈夫だよ。私、なるべく壁にくっつくように隅を使って寝るから」

「床で寝るって選択肢はないのか」

「凍えて死ぬよ?新たな殺人事件を生み出そうとしてるの?」

 このベットの幅だと、間違いなく2人の身体は密着しそうだが。

 でもまぁ、女子の方から提示してきた案だし、それでちゃんと睡眠がとれるなら文句ないか。

「分かった。お互い背を向けていれば、変な気にはならないだろ」

「え〜、もし正面を向き合ったら、変な気を起こすかもしれないの〜?」

つまみ出すぞ」

「ごめんなさい壁向きます」

 電気を消し、オレはベットに腰を下ろす。何故か横になる気がせず、暗闇を無意味に見つめていた。

 脳裏には、今日の出来事が不鮮明に流れる。

「……そういえば」

「ん?」

「お前、最初に大宮に会う前、『誰かの呻き声が聞こえた』って言ったよな」

「……あー、そういやそうだね」

「今思えば、あのときに大宮が被害者の胸をナイフで貫いていたんだな」

「それだと辻褄が合うもんね」

 壁に向けて、か細い返事が僅かに聞こえる。

 何でこんな世間話がしたくなったのか分からないが、闇夜の談笑は嫌いじゃない。

「だとしたらお前の聴力、人間離れしてるんだな。それを活用すれば、色々と便利そうな気もするが」

「一応、今までも様々な音が聞こえてたよ。文化祭のときとか、よく覚えてる」

「文化祭?」

「うん。確かあれは文化祭当日、犯人のセイナンは暗闇の中で宝石を盗み出したでしょ?あのとき、照明が消えてすぐ『ガタン』って衝撃音が小さく鳴って、『カンカン』ってぶつかる音が薄く反響した後、『パタン』って蓋が閉まるような音がしたんだ。今思えば、アレは怪盗セイナンが宝石を素早く盗むための小道具の音なのかもしれないなーって、考えなくはないんだよねー」

 相変わらず間抜けな声色に反して、証言の内容は極めて詳細だ。どこまで記憶が正しいか分からないが、ここまで具体的に説明できるなら信用していいだろう。

 しかし、あの日コイツのポケットに忍ばせといた盗聴器から、そんな音は聞こえなかった。ということは、そのボリュームはかなり抑えられていたはず。赤崎の地獄耳が人外だ。

 あの事件で盗みを働いたのは、会長と副会長に脅されていた書記。そして、あの展示スペースの準備をしたのも生徒会だったはず。もし、あの展示ケースが書記・三寧 佑磨のものだとしたら……。

 脳裏には、展示ケースの台座に刻まれた極細の縦線が蘇る。

「……ひょっとしたら、うまく利用できるかもな」

 つい小声で呟いてしまった。かなり控えめだったが、コイツの聴力だと平気で聞こえる危険性も……。

「…………」

 しかし、反応は何もない。か細い寝息が時折聞こえる。

「急に寝たな」

 だんだん暗闇に慣れてきた目を背後に向けると、後頭部を掛け布団から覗かせた同級生がそこにいた。


 今日は彼女にとって、大変な一日だったに違いない。

 遭遇した殺人事件の解明に奔走してたのは殆どオレだったが、赤崎は赤崎なりに尽力していた。

 美咲や江には遠く及ばない……と言いたいところだが、正直なところ、このペースだと追いつく可能性は全然ある。

 知識や判断力は皆無だが、事件に向き合う姿勢や、操作に取り組む覚悟は、この数ヶ月で飛躍的に成長している。まして、今回の事件はコイツのおかげで解決に繋がったと言っても過言ではない。

「……そう思えば、あの女どもに愉快な土産話ができたな」

 オレは小さく欠伸しながら、——美咲と江のことを想起する。



 ——赤崎が依頼を持ってきたあの日。

 あいつらはオレが部室に来る前に依頼内容を聞いていたらしく、雪山に行くのがだるくて断っていた。その代わり、オレの承諾を誘導するよう協力することにしたという。まんまと音声データで言質を取られて逃げ場を奪われたオレは、『そこまでする必要ないだろ……』と軽く文句をボヤきながら安易に従った。

 それが結果的に、赤崎の成長に著しく貢献したとなれば、あいつらも目を丸くするだろう。

「……いや、それは無いか」

 ありもしない姿を思い浮かべながら、オレはいよいよ睡魔の片鱗を脳裏に感じた。徐々に思考も低速化してきたので、掛け布団をめくり、身体を横に———


 ——する寸前、スマホが揺れた。

 バイブ機能にしておいたおかげで静寂の中をけたたましい着信音が鳴らずに済んだが、代わりに気分の悪いバイブ音が机の上で反響する。

 この時間に、電話かよ……。

 ため息を抑えることが出来ず、欠伸の代わりとして盛大に吐き出す。そして、スマホを取り上げ、画面を数回タップし、ゆるりと耳元に運ぶ。

「もしもし」

 すぐに落ち着いた声で返事がくる。

 密かに眉を潜め、その雰囲気が少しでも声に乗るように声のトーンを下げて、オレは質問した。



「こんな夜中に何の用だ——母さん」

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