第96話 信頼の解決

 目の前に来た2人は、どちらもオレの予想通りの反応を見せた。

 赤崎は、オレが何をしたいのか全く分からないのか、眉を潜めて大宮の返事を待っている。

 そして大宮は——最悪の可能性を考慮して、言葉を失っている。その理由はやはりだろう。

 オレの足元で、ドアの隙間から水が廊下に少し漏れ出してる。まるで、事件現場の部屋のように。

「どうした?鍵ならさっき赤崎がアンタに返しただろ?」

 オレはそっと扉から離れ「どうぞ?」と手で促す。まだ大宮はピクリとも動かない。

「もしアンタが何もしないなら、代わりに赤崎にやってもらおうか?遺体発見前にアンタがオレに頼んだように」

 そう言うと、大宮はハッとした表情でこちらを見る。その顔は、いよいよ驚愕以外の何物でもない。

 しかし正気は取り戻したのか、ゆるりとドアレバーへ視線を向ける。そして一直線に歩き出し、勢いよくレバーを押し下げる。直後——

「ぅえ?」

 とても小さな間抜け声は、ドアが盛大に開く衝撃音に遮られ殆ど聞こえなかった。

「お、おいおい、何がしたいんだよ、これ……」

 この数分で感情と思考を掻き乱されまくり、動揺が隠せない大宮は、しどろもどろな口調でオレの方に振り向く。

 そんな可哀想な男に、オレは耐えきれず笑みを浮かべてしまう。


 ——まさか、ここまで上手く行くとはな。


「なぁ赤崎。今、おかしなことあったよな?」

 一連の出来事を客観的に見ていた女に、純粋な質問をぶつけてみる。赤崎なら考え過ぎる心配はない。

 数秒の間を置いて、赤崎はゆっくり口を開いた。


「か、鍵を使わなかった、よね?」




※※※




 私は、とりあえず思ったことを答えてみた。

 さっきから白澤くんは、『鍵』というワードを混ぜて話してたのに、大宮さんは何の迷いもなくドアレバーを押した。普通、鍵を開けるところから始まるはずなのに。

「鍵が開いてるのを、知ってた……?」

「いや、正確には『施錠されてない』と思い込んでしまったんだ。自分が仕掛けたトリックのせいで」

 私のボヤきを白澤くんは鋭く訂正してくれる。

「トリックの種は、これさ」

 彼が取り出したのは、一本の氷の棒。大体、腰の高さくらいはある細長い直方体といったところか。

「これを使えば完璧な密室が作れるんだ。答え合わせも兼ねて、赤崎にやってもらいたい」

「え、私?」

「ほら、早くこれ持って部屋に入れ」

 随分と人使いが荒いが、反論する余裕は明らかにないので、黙って氷を受け取る。

「まず犯人は部屋で沢口さんを殺害後、その棒を紐で縦に括り、その先を内側のドアレバーに吊るした。今回は紐がないから省略するけど、紐自体は現場の玄関にある水溜りで見つけたよ」

 ……つまり、私は紐代わりということ?要はドアレバーと氷をくっつける必要があるのか。

 いざレバーの下に氷をくっつけると——なんと、氷の長さは床ギリギリまであった。

「そしてレバーを固定したままドアを閉める。これで密室は成立するんだ」

 ガチャンと扉が閉まる。

 私は部屋で1人になってしまった。何となく心細くなっていると、突然ドアレバーがガチャガチャと揺れる。しかし、その揺れ幅はゼロに等しい。その原因は——

「——部屋の内側で、さっき吊るしておいた氷の棒がつっかかってレバーが下がらなくなる。こうなれば、廊下側からすればあたかも施錠されてるかのように錯覚させられるだろ?」

 この時、私の脳裏には大宮さんと出会った瞬間のことが蘇る。

 彼が白澤くんに頼んで施錠を確認させていた。白澤くんはあの時に施錠を確信していたが、あそこから嘘だったということになる。

 つまりこれは、ドアレバーの性質を巧みに利用した密室トリックということか!

 扉を開けるときはレバーを下げる必要があるから、棒がつっかえると嘘の施錠が成り立つが、閉めるときはレバーを下げなくても大丈夫なので、棒があっても問題はない。

「そして暫くすると、氷が溶けてレバーに紐だけが残る。だから普通に開けられるが、犯人は鍵が閉まっていることにしなくてはならない。だから、次に開けるとき新たな偽装をする必要がある」

 私がレバーの下から氷を引き抜いた直後、突然扉がドン!ドン!と叩かれる。

「わぁ!ビックリした!」

「犯人は、次に来た時にドアを体当たりで破るフリをした。そのとき、ドアレバーを握ったままな。そして、タイミング良くドアレバーを引き下げると——」

 勢いよく扉が開かれると、その勢いに負けずに白澤くんが飛び込んでくる。今のを客観的に見てると、間違いなく『施錠された扉を体当たりでブチ破った』ようにしか見えない。

「実際にはこのレバーに紐が垂れていた。今レバーを下げたとき、その紐は滑り落ちて水溜りに溶け込んでしまうだろう。こうして、一切の仕掛けを残すことなく密室を完成させたわけだ」

 ぴちょん、と靴の爪先を水に触れさせる。揺れる水面に、険しい顔をした大宮さんの顔が反射していた。

 その険悪な面持ちを見て見ぬふりして、私は疑問に感じたことを訊こう。

「で、でもさ、こんな氷の棒なんて持ってきたら、流石に由妃ちゃんとかおばあちゃんは気付くんじゃない?」

 特に長いわけではないが、リュックサックとかに入る代物でもない。まして、持ってくる道中で折れたり欠けたりしたら無意味なのでは。

「いや、この棒は外部から持ってきたものではなく、小道具だよ。お前も見たろ?杖を突く老人とか」

 白澤くんは氷の棒を受け取ると、ギリギリ割れない強さで床に突く。その姿が、私の大好きな氷像たちと重なって見えた。

「この棒もおもての氷像から拝借したものだ。もっとも、千恵子さんに許可を得てからな」

 あの氷像たちは、私たちの手の届くところにある。あそこから1本の棒をバレずに抜き取るなんて造作もないし、もしバレても容易にとぼけられる、ということか。

「問題は誰がこれをしたのか、だが……説明するまでもないよな?」

 そう言って彼は——この場にいる唯一の容疑者に、不敵な笑みを向けた。


 たった今、白澤くんが説明したトリックを完成させることが可能なのは、最初に事件現場にあらかじめ居て、後から来た部外者の白澤くんに施錠を確認するよう誘導し、2度目の来訪時にドアを叩き破るふりをできた人物。

 つまり、この大宮 直斗にしか出来ない。


「アンタは、被害者をあの部屋で刺殺した後、部屋を荒らしてさっきのトリックを設置し、ナイフを持ち出して廊下で迫真の演技をしてみせた。そしてまんまと密室を装ったところで、致命的なミスに気付いたんだな」

 まるで見てきたかのように語る白澤くんは、現在の外気にも負けないほど冷徹な声で大宮さんに尋ねる。

 ここまでずっと呆気に取られて微動だにしなかっな真犯人は、いよいよ観念したのか、フッと肩頬を吊り上げた。

「……ああ。あまりに焦って緊張してたから、つい凶器を持ち帰ってしまった。なんせ、キッチンからこっそり盗んだものだから、返さないとマズいと思ってしまったんだ。自殺に見せかけたのなら、凶器が死体の手にないと意味ないのにな」

「……だから昼食時に千恵子さんの手伝いをしたのか。それを口実にキッチンへ行き、ナイフを戻すために」

「ああ。割とパニクってたから、無茶苦茶なことしてるよな」

 ……なんてしょうもないミスを。

 とても信じられない反面、いざ自分が目の前で人を殺めたとき、果たして冷静にすべき行動を判断できるのだろうか……と妙な勘繰りをしてしまう。

「次に部屋に突入したとき、傍にいた千恵子さんの目を盗んでナイフを被害者の手元に戻す必要があった。そこで死体を進んで発見し、千恵子さんの注意を死体に逸らした隙に戻したんだろう」

 そしてその際、被害者の手が死後硬直で固定されており、ナイフが倒れることなく直立してしまい、それが白澤くんにとって拭いきれない疑念となった。

「部屋を荒らしたのは、玄関の水溜りを誤魔化すためだな?確かにあの水も気になったが、それより乱雑に散らばった服や家具の方が衝撃的だから」

「それもあるが……一番は自殺の動機作りだった。『沢口は乱舞の末に自らを痛めつけることで楽になろうとした』って一応あり得るだろ?」

「——やはりか。その前提があれば、破壊された椅子も何ら違和感ないからな」

「あぁ。客人が来るのは由妃ちゃんと婆さんの会話で知ってたから、そいつらを誘い出す方法として椅子を激しく破壊した。案の定、音につられてお前らは来たが、あのとき、誤って右手にあったナイフは迷わずポケットに突っ込んだ」

 そう言ってズボンの右側ポケットをめくると、内部に細い穴が空いている。ちょうど、刃物が刺さったようなサイズだ。

「凶器のことはともかく……アリバイと密室の作り方はほぼ完璧だった。かなり緻密に計画を立てたんだな」

「ああ。あの男がこの屋敷に忍び込むと決めた日から、俺はこの作戦を練っていた」

「し、忍び込む?」

 まるで、沢口さんも悪いことを企んでいたような口振りを……。

 私の思考は発言の意図を理解しきれないでいるが、白澤くんは私と対照的な態度をみせる。

 腕を組み、右手を顎に添え、俯きがちに考え始める。そして、小さく口を開いた。

「……そうか、お前らがなら」

「そこまで分かっているのか」

「推測だが、その様子じゃ正解みたいだな」

 なんだか物凄い勢いで置いていかれてる気がする。

 同業者、というのは、例の風景撮影趣味のことではないはず。第一、仕事じゃないし。

 呑気に悩みあぐねていると、白澤くんが真剣な眼差しを私に向ける。

「——由妃さんの、ストーカーだよ」

「へ?」

「情けない話だ……アンタは絶望したり怒ったりと、喜怒哀楽の流転が凄まじかった。感情の起伏が過剰に激しいのはストーカー気質になりやすい要因の一つだからな」

「ストーカーと呼ぶほどではないだろうが、俺は暇さえあれば由妃ちゃんに近づこうとしてたよ」

 それをストーカーと呼ぶのでは。

「ところが、あの男——沢口も同じだった。ある日、俺が彼女をけていた後ろ姿を撮られて、脅されたんだ」

「す、ストーカーがストーカーを、盗撮したの?」

「そういうこと。おかげでここ最近でかなり大金を貢がされたよ。そんな中、彼女がこの山奥に来ることを知った沢口は、ここに忍び込もうとしてた」

「だからこの特殊な環境を利用して、口封じをしたのか」

 ふと、大宮さんの荷物から見つけたデジカメのことを思い出す。ストーカーでよく盗撮に励んでいたのなら、あの小さく簡易的なデジカメが便利そうだ。データが一切なかったのは、見つかったときにストーカーだとバレないためか。

「そして全ての罪を被害者に押し付け、アンタは何食わぬ顔して去るつもりだったんだな」

「いや……本当なら死体を見つけてから、俺が現場を調べるふりして自殺の道筋を考察するつもりだったんだ。そうしたら、由妃ちゃんの俺を見る目が変わるだろ?」

「——脅迫の口封じと、由妃さんからの好印象の獲得。この殺人を通して、見事に一石二鳥を狙ってたのか……」

 犯人の真なる悪辣な目的を知り、私は怒りが増してきた。

 この男は人を殺めただけでなく、無関係な由妃ちゃんを面倒事に巻き込もうとし、ついには善意を利用して自分の掌中に収めようとしてた。性格から理論から、全て薄汚い。

 嫌悪感から、強めに物申したくなった私は、意を決して一歩踏み出し——


「——よせ」


 ——その一歩目で、動きを遮られた。

 私と大宮の間を隔てるように、白澤くんの右手が伸びてきた。

「で、でも……」

「お前が激情を呈したところで、何が変わる?犯人は見つかり、由妃さんを守ることができた。それで十分だろう」

「……」

 た、確かに由妃ちゃんには特に実害は出ていない。むしろこれからは枕を高くして寝られるだろう。

 とはいえ、胸の内で溢れ出そうとしてるわだかまりをどうにかしたくてたまらない。それは、純粋な憤怒から生まれた感情だから。

 私は必死に反抗的な目を探偵部部長に向けるが、腕が下がる気配はない。

「……落ち着け。まだオレも話したいことがある。それが終わっても、まだ話したいことがあれば、その時は好きにしろ」

 ……そう言われては、何も言えない。元より、彼に協力を申し出たのは私だし。


「——お前の作戦、パッと見では完璧なようだが、別にオレがここに居なくても捕まっていただろうな」

「へぇ、警察は優秀だな」

「いや——お前が致命的な失敗をするんだ」

「は?」

 白澤くんは、何故かハッキリ断言した。

 凡人なりに考えても、大宮の殺人計画はナイフのことを考えても高精度な気がする。認めたくないが、目的を遂行するのに抜け目ない流れだったような。

「もし、アンタが平然と推理をあげつらったら——警察はアンタを疑いの対象として取り上げることになる。現場に偶然出会でくわした素人がそこまで見抜けるとは思えないからな」

「……い、いやいや。そんなこと、たった今やってのけたお前に言われたくは……」



「——オレとお前では、信頼が桁違いだよ」



 その言葉の重みを、私は知っている。

 事件に巡り合えば、いつでも警察は彼に躊躇いなく協力を仰ぐ。それは、私の知らない過去も含め、これまでの歴史が導いた結果だろう。

 彼のことをしっかり知らない大宮ですら、最後の言葉を受けて絶句している。

 この言葉が嘘じゃないことは、今日のことを思えば容易に判断できるはず。


『信頼が桁違いだよ』


 この言葉が、妙に頭を離れなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る