第87話 2人の容疑者

「いつからだったかは、覚えてないけど……バイト帰りに、後ろを遠くからいつも付いてくる人がいる気がして……」

 先程までとは一転して、落ち着いた声色で語る由紀さん。

 カチャカチャ、とカップと受け皿の擦れる音が無機質に響く。

「いつもは人通りの少ない道を帰ってたんだけど、最近はなるべく、遠回りになってもいいから人や車の通行量が多い道を使うようにしたの」

 意外としっかり対処しているな、と心の中で感心する。

 そういった道を選ぶと、ストーカーは追尾しやすくなる反面、大胆な行動は出来なくなる。目立つのを嫌がるストーカーの心理を鑑みれば、善戦してるといえるだろう。

「そうして暫くは安心してたんだけど……最近、問題が起きて……」

 少し項垂れると、僅かに声のトーンを下げ、

「近所で仲良くしてるおばさんから聞いたんだけど、朝のゴミ出しの後に、私が出したゴミ袋を漁ってる男がいたらしいの」

 赤崎が「ええ……」と嗚咽に近い声を漏らす。

 もしその男が数日前までじっくり付けていた男と同一なら、完全にストーカーとして断定できるだろう。

「ちなみに、その証言をした近所の方は、顔を見たわけじゃないんですか?」

「ええ。おばさんが住むアパートの自室から見えたらしいんだけど、背中を向けてたんだって。体格がゴツかったから男だと思うって言ってた」

 とはいえ、見たことに違いないらしい。

「その男が漁るゴミ袋が由妃さんのだと判断した理由は?」

「時間だよ。いつも大学に行く前にゴミを置いてくんだけど、その時間は誰もゴミ出しに来なくて、朝早いと私のしか置いてないんだって。私はそこまで考えてなかったんだけどね」

 微苦笑を見せ、併せて乾いた笑いを施す。

 嘘臭い様子は見られない。かなり近所の人を信用してるのだろう。

「……ねぇ、こんな感じで大丈夫?」

 何を不安に感じたのか、由妃さんが困り眉を作る。

「ええ、この調子でどんどんいきましょう」




※※※




 その後、出来る限り質疑応答を繰り返し、オレが知りたい情報を集めた。


 彼女は実家を離れ1人で郊外のアパートの1室に住んでいる。

 ストーカー被害を意識し始めたのは2週間ほど前で、例のゴミ袋事件が発覚したのはなんと2日前だという。

 ちなみに証言をくれたおばさんは、引っ越してきてから夕食を分けてくれたりと、十分な信頼を積んでいるらしい。そこは本人の意思を信じて、そのご近所さんが犯人の仲間で、虚偽の証言をしてる可能性を無くそう。

 彼氏がいた経験はなく、部屋に招待したことのある男性は父親以外にいないらしい。


 メモを改めて読み返して、少し頭を捻る。

 もし尾行とゴミ漁りが同一犯だと仮定すると、そいつはいよいよ何か実行しようと企んでる可能性がある。

 ゴミ袋を漁る理由は、処分された内容物から連絡先や住所を特定して、それを利用して具体的に実害を生もうとしているはず。そうなれば警察の出番なのは間違いなのだが、タイミングを誤れば手遅れになる。

 一方、由妃さんが通報できない理由は、その実害がない現状で警察に頼ることへの不安が大きい。もしかしたら門前払いされるのでは、と彼女の優しさ故に遠慮してしまうのだろう。

 だからまずは、そこを解決させなくては。


「一連の流れは理解できました。早速、提言させて頂きます」

 堅苦しく前置きをし、オレが簡単に纏めた推測を並べる。

「ずばり、犯人はいよいよ手を伸ばそうとしてます。我慢できなくなったのか、真意は量りかねますがね」

「それって、ゴミ袋の一件のせい?」

「はい。恐らく、そこから得られるあなたの情報を悪用して、さらに近づこうとしてるのかも」

 しかし、ここまで接してきた短い時間で、彼女の真面目さや冷静さは重々に承知している。

「でも私、シュレッダーとかでちゃんと個人情報は守ってるわよ?」

「そうだと思ってました。ですから尚更、情報を得るために手段を選ばなくなるかもしれません。最悪、部屋に侵入することを考慮しても良いかと」

 丁寧に説明しながら、オレは再び視線をメモに送る。

 集約すると、犯人が今まで臆病だった分、未知数な部分が多い。そのため、予め準備を整えた方がいい。

「やはり警察に相談するのが一番ですね。そこで身の保護をしてもらえるようこちらでプランを組んでおきつつ、近所の信頼できる数人には通報したことを伝えておくといいかもしれません」

「お、教えちゃっていいの?」

「誰彼構わず言いふらしては駄目ですよ。ただ、伝えておくことでその人達も事態の重さを感じて厳しい雰囲気になると思います。そういった地域の様子もストーカーは対象に近づく判断材料にすることがあるので、かなり効果は期待できます」

 な、なるほど……と、感嘆を静かに溢す。

 無事に納得してくれたようなので、安心して紅茶を口に運ぶ。1つ事物が片付いた後に飲む紅茶は、不思議と深みが増してる気がした。

 目の前で必死にメモする由妃さんに、ふと気になることを尋ねる。

「交際経験がない以上、期待は薄いのですが……容疑者になりうる怪しい男性って、いらっしゃいますか?」

 オレの言葉の内容を纏める手を休めることなく、しかし質問は聞き入れてくれたらしく、「えっとね……」と考える仕草を片鱗に見せる。

 どうにか区切りをつけてペンを置くと、由妃さんはオレを見据えて、

「いるよ、2人だけ」

「ふ、2人も?」

 動揺を口にしたのは、赤崎だ。

 オレも意外だと感じたが、それ以上に僅かな安堵があった。

 容疑者がいるなら、尚更警察に相談しやすくなる。

 警察側がそれをどう受けるかは別として、対処の仕方がより繊細になるはず。そうなれば、未然に防げる確率はグッと増す。

 僅かな期待を胸に、その話に進もうとした瞬間——


「実は2人とも、この屋敷にいるの」「えっ?」

 由妃さんのさらに衝撃的な事実を告げられるのと重なるように、赤崎が机に手を突いて立ち上がった。

 その視線は、扉の方を向いている。

「ど、どうしたの、真希?」

 突拍子のない行動に目を丸くしたのは、オレも由妃さんも同じ。

 というのも、ただ起立しただけじゃなく、その顔がいつもより少し険しくなっているのだ。

 そう——オレは由妃さんの言葉に驚いたのに対し、赤崎は別の何かに反応した。それが不思議でならない。

 そして、落ち着いた声で、

「誰かの、呻き声が聞こえたような……」

「呻き声?」

 耳を澄ませてみるが、何も聞こえない。

 確認できたにもかかわらず、赤崎の表情は揺るがない。

「もしかしたら、冬眠できなかった熊がいてるのかも」

 由妃さんがそう赤崎を宥め、座るよう促す。

 「そうかも」とはにかんで赤崎が腰を下ろす。

 聞き間違いに過敏な反応をしたことに違和感を覚えるが、今は言及するときではない。また話が落ち着いてから、改めて尋ねれば大丈夫だろう。

「では改めて——」

 オレが場の空気を切り替えようと口を開いた瞬間、


 ———ガッシャァァァン!!


 耳を刺すような衝撃音が、瞬間だけ聴覚を支配した。

 3人が一斉に、反射で立ち上がる。

「な、なんの音?」

「この音の篭り方は……たぶん2階だと思う!」

 そう叫んで、由妃さんは扉へ向けて走りだす。無論、オレと赤崎も追う。

 食堂を出て右に廊下が延びている。そのまま一直線に走ると、階段が右手に現れる。迷わず駆け上ると、徐々に2階から音が聞こえる。まるで、なにかを叩いてるような衝撃音が、不規則に繰り返される。

「おい、どうした!?」

 そして、重ねて男の声が聞こえる。

 この声は——さっき食堂に顔を見せた男か?

 階段は1つ踊り場を挟んで折り返す構造になっている。上った先、右手にはバルコニーらしき空間が窓ガラスの向こうに設置されている。

 そして左手を見ると——先程の声の持ち主である男が、閉められた扉を叩いていた。オレの予想通り、数分前に食堂を覗いた男だ。

 急いで駆け上がってきたオレたちに気付くと、男はこちらへ向き直り、

「も、申し訳ない。お客人に心配をかけてしまったかな?」

 一転して落ち着いた口調をみせた。

「さっきガシャン!って聞こえたでしょ?あれ、この部屋からだよ」

 顎をしゃくって目前の部屋を示す。ふと、男の手を見ると、彼は自分の手をさすっていた。

 険しい顔と兼ねて判断すると、強く叩きすぎて手を痛めた、といったところか。おまけに廊下は暖房が効いておらず、素手の状態だと寒さも刺激を増しているのだろう。

「少年。すまんが、呼びかけてはくれんか。彼は急に癇癪を起こすような人じゃないから」

「え?ええ、構いませんけど……」

 突然頼まれたことに多少の動揺が漏れ出すが、特に断る理由はないので、さっさと扉の前へ移動する。

「すいませーん、大丈夫ですかー?」

 コンコンとノックを繰り返すが、中からの返事はない。

 思い切ってドアレバーを下ろそうとするが、数ミリ揺れるだけで殆どビクともしない。

「中から施錠されてるのかも……」

 手を擦りながら、由紀さんが白い息を吐く。

 彼女の推測が正しいだろう。この手ごたえは、明らかに鍵がかかってる。

 金属のレバーが冷気を帯びて、オレの掌を鋭く刺す。思わずてを引いてしまい、すぐ自分の吐息をぶつける。

「鍵が閉まってるなら仕方ないね。後でまた来ようかな」

 頭を掻きながら、男は撤退を決めたようだ。

 溜息を挟んで、こちらを見る。

「もしかしたら由紀ちゃんから説明されてるかもしれないけど……俺は大宮おおみや 直斗なおとだ。そして、この部屋にいるのは沢口さわぐち 賢士けんしさん。よろしく」

 挨拶程度に自己紹介をした大宮は、オレたちの横を抜けていくと、

「もしよければ、食堂で交流会でもしないか?」

 振り返り、そう提案する。

 勿論拒否できるような空気ではないので、無言で肯定する。

 それをしっかり受け取った大宮が、軽い足取りで階段を降りていく。

 彼を先頭に、赤崎と由紀さんが寒さを和らげるよう肩を寄せ合いながらついていく。その後ろをさらにオレが歩いてる形態だ。

 ふと、赤崎がこちらを振り返る。その目つきは、真剣そのものだ。

 それだけでも、というか、それがなくても、彼女の懸念は分かっていた。

 ——大宮と沢口、屋敷に男が2人いた。

 それはつまり、彼らが例のストーカー事件の容疑者ということ。もしかしたら他にいるのかもしれないが、それは赤崎が由紀さんに確認してくれるだろう。

 オレたちを食堂へ誘導した、大宮という男への警戒を、肝に銘じながら階段を下りる。

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