第86話 紅茶好き

 屋敷の最奥、そこは広々とした食堂だった。

 小さな宴会場くらいの広さは、オレと赤崎、そして由紀さんの3人だけで使うには随分と余剰ではあるが。

「好きなとこ座って~」

 どうにかオレたちについての誤解を解いた後、落ち着いて話をするためにここへ連れてこられた。

「いやービックリしたよ、由紀ちゃん」

「ごめんごめん、久々に真希と会えたから、ついイジワルしたくなっちゃった」

「もぉ~」

 ……コイツ誰にでもこういう扱いされてんのか。

「たしか、探偵部さん、だったっけ?」

「あ、はい。色沢高校探偵部部長、白澤 平一です」

「あら、ご丁寧にどうも。私は高嶋 由紀と言います。気軽に名前で呼んでいいよ、平一くん」

「ではお言葉に甘えて」

 軽く会釈し、距離を縮める。

 予め赤崎に教えられていた依頼人の名前と合致する。

 かなり社交性が高く、誰でも心が許せそうな人柄を垣間見られる。赤崎の強めな距離の詰め方は、この人が由来してるのだろう。

 簡単に案内してもらい、数多い食卓の一つに座る。

 長方形の長机で、椅子は片列だけで10脚ほどだろうか。隣には同様の巨大机がもう1つあり、建物の壮大さを十分に感じられる。

「昔はよくパーティ会場として機能してたらしいよ。でも、今じゃまともに来客はない。私のおばあちゃんがここの土地の所有者なんだけど、ここがおじいちゃんとの思い出の場所だから、って守り抜いてるんだ」

 オレが屋敷へ向けた興味を感じ取ったのか、由妃さんが解説を始める。

 話に出た『おばあちゃん』というのは、確か屋敷前の氷像の作者だと赤崎が言ってた。

「おじいちゃんが亡くなってから、おばあちゃんはずっとここに住んでる。だから、私は両親に代わって時々こうして顔を見せにきてるの」

 オレと赤崎が座ると同時、由妃さんが壁に埋め込まれた照明のスイッチを押す。徐々に部屋が明点していく中、

「紅茶でも淹れてくるわ。ゆっくりしてて」

 一言残して扉を閉めた。

 腰掛けてリュックを床に下ろすと、薄く埃が舞う。年配の女性と手伝いに来た女子大生しかいない以上、掃除できる質にも限界があるのだろう。

 オレの右隣に座った赤崎が、フーッと息を抜いた。その顔には、多少の疲労が混じっている。

「いやぁ、中学までは毎冬来てたんだけどなぁ。去年来なかっただけで、こんな疲れちゃうなんて」

 そう言って苦言を呈し、頬を掻く。

 毎冬来てたとなると、由妃さんとの仲の良さも格別なのだろう。

 壁に架けられたアンティークな振り子時計が、現在時刻が12時前であることを示している。昼食の時間が近づき、空腹を意識してしまう。

 別に腹の虫が鳴くことはないだろうが、家を出る前に朝食を摂ってから何も口にせず歩き続けた以上、想定外の空腹に襲われる危険はある。

 もしかしたら、ご馳走になるかも……。

 などと一方的に望んでいると、ガチャリと扉が開く。

 パッとそちらを向くと、由妃さん——とは全く体格も性別も違う人物が立っていた。

 肩幅は広く、身長もオレより少し高いくらいだろうか。実に筋肉質な男性が覗き込んでいた。顔の皺の付き方から推測して、40代といったところか。

 そのまま怪訝そうな顔でこちらを見ていたが、すぐに明るい表情、そして落ち着いた表情へと変遷をなす。

「ああ、由紀ちゃんが言ってたお客人か。これは失礼」

 渋い声を響かせ、扉の向こうに消えた。

 扉が閉まる直前、口の端が妖しく吊り上がったように見えた。

「……誰だろ。あの人」

 赤崎は知らないらしい。

 だが、普通に『由紀ちゃん』と呼称していた以上、関係者ではありそうだ。

 現れた直後は警戒したが、恰好があまりにシンプルだったので、不法侵入とは考えにくい。そもそも、こんな猛吹雪の中、山奥の古びた屋敷にくる泥棒なんていないか。

 一呼吸置いて、オレは自分のカバンからメモ類を取り出す。由紀さんが戻ってきたらすぐ話を進めよう。そして、すぐに帰ろう。

 赤崎は残りたい、と喚くかもしれないが、その時はオレだけ立ち去ればいい。

 メモ帳を開くと同時に、由紀さんが戻ってきた。

 「お待たせ~」と言いながら、カップが3つ乗った銀のお盆を運んでいる。それぞれに濃く湯気が伸びており、近くに置いたら湯気と共に甘く凛々しい紅茶の香りが鼻腔に流れ込む。

 慣れた手つきでオレたちの前に並べると、当人は自分のカップを持って赤崎の正面に座る。

「ありがとうございます」

「いえいえ。おばあちゃんが淹れた逸品だから、きっとおいしいよ」

「おばあちゃんって確か、元喫茶店店員さんだったよね」

「そうよ。おじいちゃんと、定年でここに移る前はね」

 軽くお祖母さんの来歴を挟みつつ、由紀さんはカップに口を付ける。

 オレも同様に紅茶で喉を潤すと、思わず目を見開いてしまう。

 原因は、他の何でもなく、紅茶の味だ。

 舌の全面から喉の隅々まで、透き通るような風味が駆け抜ける。痛覚すら刺激する熱と、味蕾を溶かしてしまうほどの絶妙な甘みが相殺して、そこから丁度心地いい苦みが新たな刺激を生み出す。全ての効果が、互いを邪魔することなく共存するからこそ、舌が喜ぶ味となって流入する。

「おいしいな……これ、多分ラプトンの茶葉を使ってますよね?」

「らぷ……?ご、ごめん、私には品種までは分かんないなぁ。でもすごいね、紅茶に詳しいの?」

「ええ、まぁ……」

 由紀さんは困惑させてしまったが、それが気にならないほどにオレは感動していた。

 ラプトンといえば、世界的に有名な品種だが、その美しい飲み心地の実情として、扱いの厳しさが取り上げられる。保存方法は勿論、使用時のお湯の温度管理まで、少しでも気を抜くと品質を大きく損なう。

 オレもついぞ飲んだことはあるが、作る側にはならなかった。単に、己の腕に自信がないだけだが。

「ど、どうしたの白澤くん?紅茶に目が釘付けだけど……」

 隣から赤崎が渋い顔で指摘する。

 好きな紅茶の、さらに格上のブランドを前に、取り乱していたようだ。

 別に羞恥の感情はないが、赤崎の前で本能をさらけ出したのは些か腹立たしい。

 切り替える意味も込めて一つ咳払いを挟み、

「紅茶の感想を並べたいところですが、それは後にして」

「やっぱ紅茶に夢中なんだ」

 この女、ちょっと黙らせてやろうかな。横顔に拳を振りけば意識を刈り取れる自信がある。

「さっそくくだんのストーカーのご相談について伺ってよろしいでしょうか?」

「ええ。もし長くなったら、ごめんなさいね」

 いえ、と謙遜しておく。本音を言えば、さっさと終わらせて2杯目にいきたい。

 だが彼女が真剣に悩んでいるのも事実だろう。真摯に受け止めるのも怠らないようにしなくては。

 そして、オレはペンをメモ帳に走らせ始めた。

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