第85話 雪山の屋敷

 赤崎がオレに依頼した翌日。

 オレは集合場所である駅の入り口前で腕時計を睨んでいた。

 向こうが提示した集合時間まで、残り3分を切っている。

「あいつ……流石に遅刻しないよな?」

 もし1秒でも遅刻したら、散々き使ってやる。具体的には荷物運びくらいしかないが。というか肝心の荷物も最低限の内容量を備えたリュックサックしかないが。

 時刻は午前9時前。土曜日ということもあって、遊びに出掛ける中高生の姿もちらほらと見られる。時折駅に駆け込むサラリーマンもいて、世間の喧騒を視覚で感じられる。

 そんな風に周りを気にしてると、突然目の前が闇に包まれる。視界を失うのと同時に目の辺りに温かい毛糸の感触がしたので、背後から両手で目を塞がれたのだと即座に理解する。

「だーれだ?」

「赤崎」

「即答しちゃダメでしょ……」

 質問に答えただけなのに、赤崎は何故か語尾に落胆を含みながら両手を後ろに下げる。

 振り返ると、そこには口先を尖らせて拗ねたような表情の赤崎がいた。

 華奢な細身を紺色のサロペットが包み、その下では雪のように白いブラウスが合間から覗かせている。中身のポンコツさと反対に見た目のスタイルの良さが、冬らしい露出の少ない服装と合致している。

 特別な装飾品は一切なく、ただマフラーと手袋とリュックが灰色で統一されている。時折、マフラーから白い息が微かに雲散する。

「いやー、寒いね」

 そう言うと、自分の身体を両腕で抱きしめ、二の腕を雑に擦り寒さを軽減させる。

 確かに、今日は最近と比べて特に寒い気がする。オレはコートで完全防寒してるが、不愉快な寒さは拭えない。

「寒いならさっさと行こう。お前に案内できるのか不安だが」

「あのさ、私、君と同い年だよ?小学生じゃないよ?」

「同級生だとは思えない」

「もう!こっちだよ!」

 オレの小言に突っかかりながら、赤崎は駅から離れるように歩きだした。

 予想に反して足取りは普通で、特に迷う様子は見せなかった。

 これなら大丈夫だろう。




※※※




 赤崎と合流した後、バスを乗り継ぐこと2時間半。

 ——群馬県のとある山道を歩いていた。

「あと何分くらいで着くんだ?」

「うーん、10分もすれば着くんじゃない?」

「なんで案内してるお前が疑問形なんだよ……」

 この坂道もかれこれ数十分は歩いてる。

 本来なら休憩を挟む場面だが、そういうわけにはいかない。

 オレの前で先導する赤崎が、空を仰いでふと呟いた。

「これは、かなり積もりそうだね……」

 周囲は——既に、白銀の世界と化していた。


 山のふもとでバスを降りたところで、細雪が舞い始めた。始めの内は穏やかだった降雪も、あるタイミングで威力を増幅しはじめた。気が付けば、オレたちの周囲を雪景色が覆っていた。

「あ、見えたよ、白澤くん!」

 積雪に足を取られて怪訝な表情を漏らすオレとは対称に、こちらを振り返った赤崎はいつも通りの明るい笑顔だった。

 声を張って指差す先、雪と霧でボヤけて見えるものの、僅かに灯りが明滅している。

 あそこが今回の目的地。そして——

「——依頼人が、住んでる屋敷」

「うん。厳密には、今だけ一時的に寝泊りしてるだけなんだ」

 立ち止まる赤崎に追いつくと、2人で並列に歩きだした。もう道案内は不要なのだろう。

 本来なら早めに依頼人と対話するところだが、この状況だとまずは暖を取るのが優先だ。

「早く屋敷に入りたいとは思うけど、その前に面白いものが見れるよ」

「面白いもの?」

 発言と共に笑顔がより明るくなる。

 どうやら嬉々とした表情の原因は、その『面白いもの』とやらのようだ。

 覚束ない足取りの中、どうにかペースを崩すことなく屋敷との距離を減らしていく。

 視界を奪う白妙しろたえの霧の向こう側、影が揺れ、屋敷の輪郭が不安定に見える。どうやら随分と壮大な建物のようだ。

 そして、無事に山道を抜けると同時、すぐにその存在に気付いた。

 荘厳な木組みの屋敷、その手前にはいくつもの氷像が並んでいた。かなり雪が積もっているものの、息を呑むほど壮麗な創作物だ。

 まるで宗教画のように、様々な格好の男女が並んでいる。天に腕を伸ばす淑女から、悠然と杖に体重を懸ける老人まで、老若男女がそびえ立つ。

「凄いでしょ?コレ、この屋敷の持ち主で、依頼人のおばあちゃんが趣味で作ってるの」

 へぇ、と素直に感嘆しながら鑑賞してると、その氷像たちの背後で屋敷の扉が音を立てて動き出しているのが目に入った。

 ギギギ……と年季を感じさせる重い音を響かせながら押し開かれた扉。その後ろから、ひょっこりと女性が顔を覗かせた。

 大人びた顔立ちの女性が、目を丸くしてこちらを見ている。明るいブラウンの長髪が肩に垂れており、ほんのり色気を漂わせる。

「もしかして……真希ちゃん?」

 扉の前に歩み出ると、隣の赤崎に視線を送る。

 雪で顔立ちが不鮮明な中、確かめるようにこちらへ近づく。

「あ!由妃ゆきちゃんだ!久しぶり〜!」

「わっ!」

 足元の不安定さをものともせず、赤崎は出てきた女性に駆け寄った。勢いのまま抱き付くと、由妃と呼ばれた女性はその小柄な体を受け止める。

「相変わらず元気だね!いつぶりだろ?」

「2年ぶりだよ!最後に会ったの中3のときだもん」

 ワイワイと、仲良く思い出トークが始まりそうになる。その手前で、由妃と呼ばれた女性はオレと目が合った。

 途端、口も身体も固まり、全く動かなくなる。変な空気になり、とりあえず小さく会釈してみる。

「あの人……まさか……」

 何故か眉に皺を寄せ、こちらを注視する。

 それも束の間、突然パッと晴れやかな表情で赤崎に向き直り、


「随分カッコいいさんね!」

「「——は?」」


 声色と表情を満開にしたまま、由妃さんは屋敷に入っていった。

「待って由妃ちゃん!この人彼氏じゃないよぉ!」

「やっぱ厄介事じゃねぇか!」


 勝手に盛り上がる由妃さんを2人で必死に抑えるのに、実に10分ほど掛かった。

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