第83話 闇夜の密会

「待たせたな」

「……10分もかかって無いとはいえ、女性を待たせる男はモテないわよ?」

「オレに好意を向ける女がいるとしたら、そんなのこっちから願い下げだ」

 場所は変わって先程伴場が逮捕された、非常階段から出たすぐのマンション裏。

 白石は平一からのメッセージで足止めを食らっていたため、何の罪悪感もなくやってきた平一に対して目角を立てたところ、とてもテンポの良い返事を受けた。

「そんな横暴な冴えない名探偵が、何の御用で?」

「分かった、オレが悪かったよ……」

「よろしい」

 はぁ、と分かりやすいため息を漏らした直後、平一の眼付きが鋭くなる。白石には予想できていたが。

「伴場をすぐに捕まえられたことに関しては、感謝してる。やり方は心の底から気に入らないけどな」

「平一の微妙な推理の甘さを知ってるのは私だけだと思うよ?」

 ハッキリと口をへの字に曲げて不満を露呈する。その不服そうな表情を見ても、白石は何だか楽しげだ。


 伴場が階段を降りた先に白石はいた。そして、逃げようと強行に出た彼を白石は躊躇なく制圧した。その真相は——

「オレがエレベーター側を封鎖し、且つ廊下から警察官を無くす作戦を読んでいたな」

「ええ。今回は証拠がやけに足りなかったから、犯人である伴場先生にボロを出させる余裕を作る必要があった。しかし、もし逃げられたら洒落にならないからエレベーター側に立つことで逃げ道を無くしたのね?」

 そうして予定通りに推理を披露した名探偵は、しかし自分の知らないところにあった非常階段で犯人の逃走を許してしまった。そのまま部屋に戻る可能性もあったが、部屋の前に警官が待ち伏せしてる危険性の方がずっと高い。

「そして非常階段からこの裏口を使って外に出て逃走する、ってところまで推測してたんだな」

「そうなる確率は高かったから。まぁ平一が無事に部屋の前で捕まえてくれるのが一番良かったけど」

「ほっとけ」


 ——あと一歩、足りなかった。


 その事実を突きつけられ、自分が劣っていることを再確認する。プライドを傷付けられた平一を、白石は擁護する気もないようだ。

 再び口がへの字に折れ曲がるものの、白石は相変わらずその表情を見て微笑むだけだ。

「それで?愚痴を言うために戻って来た訳じゃないでしょ?」

「え?あ、ああ」

 そういえば、と危うく特に大切な要件を忘れるところだった平一は、改めて真剣な表情を携える。

 その表情は、この一連の事件を締め括るに値する名探偵の顔だった。白石も無意識のうちに背筋を整えてしまう。

「単刀直入に訊くが——2週間前の事件のはどうなってる」

「残念だけど、あなたが望むような捜査結果は出てないわ」

「なら、オレから1つ。あのダイイング・メッセージについて」

 『あのダイイング・メッセージ』とは、2週間前の爆破事件の時に殺害されたテイラーという男子学生が遺した『me』という単語だ。

 今日の夕方まで『meguru』の途中だという説が有力だったが、それは先程平一が全否定したばかりだ。裏を返せば、全否定するだけの根拠があるということ。

「被害者の男、どうやら一人称が『meミー』だったらしい。そしてその男は例の犯罪組織の一員だった。加えて、あの爆破が起きた教室には爆破直前に彼が入室してる。まぁこれはあくまでオレの目撃証言だから、警察は信用しきれないだろうけどな」

 爆破により意識が刈り取られる直前の出来事を振り返り、着々と推測を展開する。平一のロジックに白石も何となく思考が理解し始めた。

「状況証拠ばかりなのは、流石ってところね」

「ああ。だからこそ、その証拠たちで推理できることを共有しておきたい」

 相変わらず真剣な眼差しを携える名探偵は、変わらぬトーンで言葉を紡ぐ。

「恐らくテイラーの目的は教室の爆破、というよりは、あの夜例の教室に置いてきたバッグの粉砕だろう」

「……なるほど、態々あんな時間に隠れて大きなバッグを運ぶ必要はない、ってことね」

 つまり、もし目的が教室の破壊なら、日中にどうにか教室に入り、部屋を吹っ飛ばせるだけの爆弾を数ヶ所に設置して好きな時間に起爆すれば良い。むしろその方が確実に目的達成でき、加えて犯人が見つかりにくい。

 もし違和感を纏った大きなバッグを昼間に持ってきてしまうと、周囲の人間が不思議に感じて印象に残ったり、知り合いに中身を尋ねられたりする危険性がある。それは、事件発生後に容疑者になる可能性と等しい。

 そこまでの推測を言外に交わした2人は、2週間という時を超えた推理を続ける。

「ただ同時にテイラーの死も計画内なら、彼は教室でバッグと一緒に肉片になっているはず。そうじゃなく、別の部屋で銃殺されたということは……」

「テイラーの死は、組織の罠だった……」

 工作員だったテイラーを、どうやら組織は暗殺したかったらしい。足手纏いにでもなったのだろう。何にせよ、無事にテイラーを絶命させた組織の暗殺者アサシンは、しかしそれで任務完了ではない。

 後片付けが残っているのだ。

「この犯行を通して奴らのすべき事は2つ。1つはテイラーの所持品から組織と関連するものを消すこと。もう1つは、大学に潜んでいた暗殺者を脱出させること」

「なるほど……どうにかしてテイラーを言い包めて、そのバッグには組織に繋がる物品を詰め込ませ、爆破してそれらを粉々にすると同時、その騒ぎに乗じて暗殺者は大学から出たのね……」

 もし大学周辺に人がいて、ただ暗殺してそこから脱出するだけだと、誰かに目撃される可能性がゼロとは考えにくい。そこで大学の一室を盛大に爆破し、そちらに周囲の目を向けることで暗殺者が逃走できる猶予を作り出した。

 あの爆破には、テイラー抹殺にあたって2つの意味を持っていたことになる。

「じゃあ、どうしてテイラーは『me』という血文字を遺したの?」

「……もし彼が組織への忠誠に満ちた男なら、自殺に見せたかったんじゃないかな。通常ダイイング・メッセージは犯人を示すものだから、『犯人=me』って言いたかったんだろ」

「……もしそんなポンコツな理由で言葉を遺したのなら、組織から用無しだと切り捨てられるような失敗していてもおかしくないわね」

 どこからどうみても第三者による殺人なのに、無意味な言寄せを記した。まして、それが組織の存在を匂わせるものになってもおかしくない。

 造作もなく見抜けるオチを用意してくれた彼は、たしかに例の組織にとっては邪魔も同然だったのだろう。

「ところで、あの男は大学生のフリをして一体何をしていたんだ?あの大学に何かあるのか?」

「いいえ、彼は単に麻薬の密輸人、いわば組織にとっての収入源よ。大学でも度々たびたび取引をしてたみたい」

「そうか……」

「まぁどちらにせよ、伴場が例の組織にあまり関係なかったのと、テイラーが簡単に切り捨てられるような下っ端だったのは残念だったわね」

 白石のまるで平一の心を読み取ったかのような発言に、平一はフンと鼻を鳴らすと、

「元より簡単に奴らの情報が手に入るとは思っちゃいない。むしろこの前のテロで構成員の一員である桐谷を捕まえられては万々歳なんだろ?」

「ええ。あなたには感謝してもし足りないわよ」

 先日のテロの首謀者である桐谷 遥は、何の紆余曲折もなく無期懲役を食らった。その裏に平一の暗躍があるとは誰も感知していないが。

「もし良ければ、桐谷について最近の捜査事情についても話してみる?」

「そうしたいところだが……今日はもう疲れた。殺人事件の解決も大変だったけど、それより現場に居合わせていた女への動揺の方が疲労を積んだよ」

「揶揄の仕方が雑ね。疲れてる証拠かな?」

「……さっきから、久々に会った割に変わらないな、その減らず口」

 最後に薄く笑みを溢し、白石に背を向けて歩き出す。

 疲労を見せない歩みを進める平一の背中に、白石は声を掛ける。

「そういえば、私のことはあの子たちに何て説明するの?」

「……そうだな」

 足を止め、背を向けたまま立ち尽くす。


「——勿論、あんたの正体は内緒にしとく。黙ってれば誤魔化し通せるからな。ただ、その代わり彼女らの疑いはずっと拭えないだろう。特に美咲は」

「私は慣れてるから良いけど、あなたは大丈夫なの?大切な仲間から疑念の目を向けられながら活動することになるけど」

「そんなことで信頼を失うなら、部長なんてやってないよ」

 自惚れでも過大評価でもない、身の丈に合った評価を呈して、再び歩みを進めた。

「……あの子たち、巻き込まないでね」

「オレだって、望んでないさ」

 一切振り返らず、白石にギリギリ聴こえる声量で、最後に挨拶代わりの言葉を届ける。




「警視庁公安部所属、潜入捜査官——白石 柚葉」


 口の中で反芻するのは、1人の協力者の正体。


「この名前、覚えとくよ」


 闇夜の静寂の中、平一の声は微かに木霊こだました。




【第4章『懐疑の交錯』 終】

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