第81話 美咲の疑念

 カンカンカンカン——

 階段を急いで降りる足音が幾重にも響きわたる。

 非常階段を降りているのは平一だけでなく、探偵部全員と飯間刑事、そして飯間に率いられた警官が2人だ。

 伴場に逃げられてから余分にブランクを作ってしまったので、もうどこか遠くへ逃げ始めてる可能性は高い。日本警察の実力からしてどこへ身を潜めようが逃すことは無いだろうが、早めに捕まえられることに越したことはない。

 あっという間に1階に到着し、非常階段から外に出られる唯一の扉を開けて走り出そうとしまったところで、そこに置かれた風景に誰もが絶句する。


「遅かったね」


 落ち着いた声色で来訪者を迎え入れたのは、既にそこにいた白石だ。そして、彼女の足元には伴場がいる。

 問題はその伴場の容体だが、

「そいつ、死んでるのか?」

 半ば白目を剥いて倒れてる。

 ジト目で白石に尋ねる平一に、彼女は「なっ」と驚愕すると同時に、

「ちょ、勝手に私のこと殺人犯にしないでよ。勝手に転んで気を失っただけ。多分もうすぐ目を覚ますよ」

 冷静に事の顛末てんまつを解説し、探偵部の後ろにいる警察たちに目配せする。その視線が自分たちに用があると分かった飯間は、すぐに自分たちの目下に仕事があることを理解する。

「き、君たち、あの男を連行してくれ」

 飯間の後ろにいた若手警官たちに指示し、彼らも動揺しつつ職務に従事する。

 どうにか体を起こし後ろ手に手錠を掛けると、そのタイミングで伴場の意識が回復したように目を開ける。周りにいる人々や自分の状態に全てを理解したようで、諦める混じりのため息をこぼす。

「伴場 巡、お前を殺人の容疑で逮捕する」

「……俺は、やってない」

 まだ言うか、という雰囲気が全員から滲み出る中、伴場は言葉を続ける。

「あの人は、日村先生は、2週間前のテイラー殺害の犯人が俺だと確信していた。あのままだと、俺への風評被害が怖かった」

「……なるほど。警察から容疑者の発表が無かったから、本気で殺人をでっち上げられる可能性を危惧したのか」

 警察が犯人を発表してないのは当然だ。2週間前の事件は犯人がまるで明らかになっていない。勿論、例の犯罪組織と公安警察の暗躍が理由だが。

 しかし、今回の殺人が立証された今、2週間前の事件の犯人だと疑われても文句は言えない。

 飯間にはどうすることもできなく、黙って連行しようと伴場の腕を掴むと、


「あんたは、2週間前の犯人じゃない」


 冷酷な声で平一が断言する。

 響きの冷淡さとは反対に、発言の内容はある意味では伴場を救うかのようなものだ。

「な、なんだと……?」

「簡単な話さ。そもそも、2週間前の爆破事件はあんなに手が込まれてて、実際2週間経っても犯人が掴めてない。一方で、今回の殺人事件は証拠が山のように見つかったし、偽装工作にも抜けてるところが大量にあった。犯行の質が、とても同一犯とは思えない」

 それに……。

 さらに言葉を続けようか迷い、白石の存在に気付いて平一は言葉を止める。


 彼の脳裏には『me』と書かれた血文字が薄く浮かんでいた。




※※※




 平一の言葉で安堵したのか、むしろ己の犯した罪に絶望したのか、伴場は一切発言することなく連行された。

「でもさ、まだ違和感あるよね」

 パトカーに連れていかれる犯人の背中を見つめながら、平一の隣で美咲が呟く。

「違和感?」

「ええ。あの男が犯行した流れや動機は一貫して理解できたけど、ならどうして鈴原って人はさっきあんなに任意同行を嫌がったのかしら」

「そうですね。まるで、何かバレたら困ることがあるみたいでした」

「ま、まさか鈴原さん、実は恋人の犯行に何らかの形で関係してて、それを隠すために足掻いてたんじゃない!?」

 美咲と江の疑問に真希がブーストを掛ける。

 真希としては2人の意見に同調したつもりだったが、何故か真希以外の3人は彼女を諦め混じりの目で見つめる。

「な、何……?私、変なこと言った?」

「はぁ……あのね、もし鈴原さんが伴場の協力者だったとしたら、部長が尋問してるときに伴場が彼女の名前を出すんじゃない?どんな形であれ、犯行に関係するなら確実に彼氏を守ることになってるはずだし」

「美咲の言う通り、彼女は少なくとも今回の犯行に関わっていないよ」

「でも、さっきの任意同行を拒否したこともそうですけど、被害者の寝室から彼女の毛髪が見つかってることや、事前に訪問してることも踏まえると、何かありそうですよね……」

 うーん、と唸る女子3人を前に、平一は仕方なしに説明を始める。

「事件前に被害者を訪問してることや、被害者の死亡を知った時の激しい動揺具合からして、日村先生とは深い関係だったとは思うぜ。少なくともただの仕事仲間ではないだろうな」

 ただ、鈴原が現場に来た時に3人はそこにはいなかった。だから彼女の目眩を起こしたかのような動揺っぷりを目の当たりにしていない。

「オレが確信を持ったのは、例の寝室で見つかった毛髪だ。それってつまり、彼女が日村先生の寝室に入ったことがあるってことだろ?」

「あ……」

 平一が特出して注目した点を伝えると、江が何かに気付いたかのように声を漏らす。半ば同時に、美咲も目を見開く。

「そうか、しかも日村先生の奥さんは海外にいるから……」

「ああ、だから今日来れたんだと思う」

「ん?んん?」

 ただ1人、必死に頭を回しながら口をへの字にしている真希を見て、平一は深くため息を吐くと、

「つまり、鈴原さんは被害者のだったんだよ」

 そうだとすれば、全てが繋がる。

 奥さんが海外に行っているので、浮気相手を部屋に連れ込んでも当然見つかりはしない。そして、寝室に踏み入るのも何らおかしくない。

 そして、被害者が伴場に爆破事件の容疑を塗りつけたのも、ひょっとしたら伴場の信頼を下げることで鈴原と別れさせる目的があったのかもしれない。

「任意聴取を嫌がっていたのは、恋人である伴場に浮気がバレるのを防ぎたかったんだろうな。亡くなった日村先生に浮気男のレッテルを貼りたくなかったんだろう」

「……それで部長は、警察関係者の前でその事実を告げなかったんですね。被害者への小さな気遣いを拾うために」

「そんな大層なもんじゃないよ……それにそのことを伏せようとしても、今はあの人が聴いてる」

 横目に平一が見つめる先には、探偵部の会話を唯一聴いている女がいる。壁に背中を預けて腕を組む白石は、平一から注目を浴びたのを理解して薄く笑う。

「本当に仲が良いんだね、君たち」

「そりゃどうも」

 中身の無い返事を放ち、平一はその場を離れようと歩き出す。しかし、その腕を美咲が掴み歩みを強制的に止める。

「待って。まだ……まだ、謎は全て解けてない」

 やっぱ、そうなるよな……。

 心の中で嘆息する平一を他所に、美咲は掴んだ腕を離さずに白石へ向き合う。

 懐疑に満ち溢れた瞳は、謎を取り巻く女を厳しく見据えていた。

「あなた、部長とどんな関係なの?初対面とは言わせないわよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る