第80話 届かぬ絶叫
「そもそも、お前が犯人だと思った決め手がコレなんだ」
どうやら伴場には見覚えがないらしく、写真の血文字を注視しながら眉間に皺を寄せる。
「これは今回の事件の被害者、日村 勉先生が残したダイイング・メッセージ。そして、この4本の線は、犯人——つまり、あんたを示してるんだよ」
「は、はは、こんな
「結論から言うと、これは横棒4本じゃなくて、漢数字の『
平一の解説を受け、伴場は必死に頭の中で図形を組み立てる。
漢数字を算用数字に置き換え、2と1と横棒を縦に並べると——
「……2分の1、分数か?」
「そう、2分の1、つまり『半分』って意味。英語にすると『ハーフ』。もう分かっただろ?オレの言いたいことが」
ハーフ。
その単語を聞いた途端、伴場は全てを悟った。目の前の探偵が何を言いたいのか。
「伴場 巡、お前は自分がハーフだと言った。流石に警察や恋人の前で嘘を
「まさか、そんな不確定な解読で俺を犯人にする気か?バカも休み休み言えよ……」
伴場の口調が変わり、平一は目を細める。明らかな動揺を感じ取ったからだ。
確かに、これは所詮推測に過ぎない。もしかしたら、もっと考えれば他の見方も出来るかもしれない。
しかし、それでも伴場を犯人だと確信する平一は、言葉の調子を抑えない。
「ダイイング・メッセージってのは、もとより不確定なものだし、警察は最低限の手掛かり程度にしか扱わない。だがオレたち探偵は、死者が遺した意志に応え、真実を突き止める。それがたとえ、2週間前でもな」
そう言って、平一はポケットから手帳を取り出し、ページをめくる。
そこには、先程の事情聴取を纏めたものがある。
「途中の証言にあったように、日村先生が2週間前の事件で残された『me』というメッセージが本当に『
やはりどれも平一の推測に過ぎず、根拠は全く無い。だからこそ、この推理を確定させるのに決意が掛かった。
しかし、自分の推理を
伴場の顔色を見れば、核心を突いていることは自明だからだ。
「被害者の言葉運びや論拠の並びから、冤罪にされそうになった恐怖で被害者を口封じした、ってところかな?」
「……」
偶発的な動機すらも推理して、まるで友人のカンニングを指摘するかのような軽い言動に、伴場は冷や汗が止まらなかった。
そして、双眸を鋭く平一に向け、食いしばった歯を緩ませる。
「……あまりやりたくなかったが、実力行使もやむを得ないか」
「オレを武力で制圧しようってか。こないだのテロを彷彿とさせるな」
「ここには警官はいない。お前さえ口封じすれば……」
「——まさか、オレ1人だと思ってんのか?」
片頬を吊り上げ、名探偵は悪魔の形相で伴場と目を合わせる。射抜かれた伴場は無意識に息を呑む。
それを尻目に、平一はポケットを
「今までの話、全部刑事に筒抜けだよ」
警官がいないから、実力行使を明言しても大丈夫だろう——平一の作戦通り、まんまと口を滑らせてしまった。
「……違う」
「オレの推理は殆ど状況証拠が物語っている。お前がここにいることも含めてな。そこで、唯一の確実な物的証拠が凶器だと思ったんだ」
「……俺は、やってない」
「人目を避けて自分の部屋に戻るタイミングがあるとさっき気付いたんだろ?そして部屋の凶器を処分か何かで隠滅する手段はその気になればいくらでもあるからな」
「———俺じゃない!!」
廊下に響き渡る怒号を爆裂させると同時に、目を血走らせた伴場は身を翻した。
平一がいる方向とは真逆に走り出した犯人の背中を見て、全てを見抜いた名探偵は自分の失点に気付く。
エレベーター側に立っていれば、彼を逃すことはない。そっちに階段もあるし、逃げ道は完全に塞いだつもりだった。
「まさか、非常階段か!」
あまり廊下の奥を調べてなかったせいで、微妙に見えない位置にある非常階段の存在を予感し、目を見開いた。
平一がいる場所から階段は見えないが、伴場が躊躇いなく走り出した姿からして間違いないだろう。
「くそっ!」
驚きに硬直し、しかし咄嗟に思考を戻して逃がさないよう追いかけ始めた平一は、しかし既に階段を降り始めている伴場の足音に苛立ちを隠せなかった。
「逃すかよ……!」
悪態を
「部長!」
音源を振り返ると、209号室から美咲が出てきているのが目に入った。
刹那、彼女の話に耳を貸そうか迷い、一応目線をそちらに送りつつドアを開ける。話が終わればすぐに追いかけるためだ。
しかし、その判断は美咲の言葉ですべて掻き消された。
「白石って人がいないわ!」
「———な、に?」
その衝撃は、思考の回路を全て歯止めし、体を
※※※
———捕まりたくない。捕まりたくない。捕まりたくない。
その言葉が脳内を支配しがら、必死に伴場は階段を駆け下りていた。
自分でも驚くほどの速度で1階に辿り着くと、一目散に外に繋がるドアを開ける。
そして、どこまでも遥か遠くへ逃げようと———
「———どちらへ?」
外に出た1歩目と同時に、その声が伴場の鼓膜を震わせた。
あまりの唐突で冷酷な響きに、体が瞬間だけ麻痺したように固まる。
声だけなら無視出来たが、その声の持ち主は伴場の視界をも侵している。
逃げ道の先、その女は壁に
伴場は既視感のあるその顔立ちに息を切らしながら名前を呼ぶ。
「……白石、先生」
「逃げようとしても無駄です。諦めて下さい」
自首を勧める同僚の言葉に、再び奥歯を噛み締めると、
「あ、あんたに、俺の何が分かる……」
「分かりませんよ。いや、殺人者の考えなんて、分かりたいとも思わない」
一切声色を変えず、無機質なトーンで無慈悲な言葉を羅列する。その姿は、伴場の頭の中で、先程の全てを見抜いていた名探偵と合致した。
そして、その語りは伴場の琴線に触れた。
「俺は逃げるんだ……どけぇ!」
今度こそ実力行使を決め、白石に向かって走り出す。
体格で言えば明らかに伴場の方が有利だし、日頃から運動はしている。制圧して逃走できる自信しかなかった。
そして白石をどけようと腕を上げ——
「邪魔ぁ!するなぁぁ——————ぁ」
彼の絶叫は、白石に手が届く前に断絶された。
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