第73話 探偵部の捜査

「伴場さんの部屋は……ここですね」

 言語化することで自分の記憶が正しいことを再確認をしつつ、江は803号室の前に立つ。

 そして廊下を見渡すと、別階に繋がる階段の前でたむろする男たちに目を付ける。

 男たちはみなツナギを汚しており、数名はタオルをハチマキのように頭に巻いている。外見からはどこからどう見ても工事作業員だ。実際、1階から屋上まで階段の全周をイントレと呼ばれる鉄棒が組まれている。

 そこにいる4名はみんな汗を拭いながら、まばらに座って談笑している。休憩中と見て間違いないだろう。

「休憩中、すいません」

 近づき、躊躇いなく話しかけると、逞しい髭を携えた男性が朗らかな笑顔で応える。

「おう、どうしたお嬢ちゃん?」

「みなさんは今日いつからここで作業をしていましたか?」

「いつからって……昼前だよ。今日は10時から15時が当番だからな。まぁ、ついさっきまで休みゼロで働いてたから、ちと腰を下ろしたくなってよ」

 ガハハハ、とガタイの良い体で野太い笑い声を出す。それに共鳴するように、他の3人も笑っている。

 おじさんのペースに呆気を取られつつ、江は疑問を持たれる前に次の質問を向ける。

 江はスマホの画面に伴場の顔写真を表示し、男たちに示す。ちなみにこの写真は先程こっそり撮影したもの。所謂いわゆる、盗撮だ。

「じゃあ、この男性を今日見ませんでしたか?」

「ん?ああ、見たはずだぜ」

 「そういやいたな」「俺も見たと思う」と次々と賛同が届くので、江はこのチャンスを見逃さなかった。

「いつ、どんな様子だったか説明して頂けますか?」

「うーんと……俺が見たのは2時前だったかなぁ。普通に歩いてきて、普通にエレベーターで下に降りていったぜ」

 それは、探偵部と会う時だろう。彼は被害者に電話で呼び出されたと言っていたはず。

 自分たちが伴場と会った時間も考慮すると、その時間で辻褄が合う。

「え、何言ってんだ?1時ぐらいだろ。あとエレベーターじゃなくて階段で!」

「か、階段?」

 江が伴場の動きを整理していると、他の作業員である男が最初に教えてくれた男の間違いを指摘する。

 しかし、エレベーターと階段の間違いは極端だ。そんな勘違いがあるのだろうか。

「階段のわけがねぇよ、ここ8階だぜ?どこに行くかによるだろうけど、もし1階とか2階なら迷わずエレベーターにするだろ?」

「いやーその時、あの男の人結構急いでたらしく、エレベーター前で足踏みして待ってたんだ。でもエレベーターが5階から下がっていくのを見た途端に階段を駆け下りて行ったよ」

「ちなみに戻って来た時間は?」

「うーん、すまないけど覚えてないなぁ」

 他の仲間も記憶にないのは一目で分かったので、「大丈夫です」と軽く返事をしておく。


 エレベーターの前で足踏み……。

 よっぽど待ちきれない精神状態の人ならしてもおかしくは無い……。


 心の中で呟き、同時に2つの違和感に江は顔を強張らせる。

 1つは、伴場が2回どこかへ行った可能性があるということ。14時の外出で2階に来たのは分かるが、13時の外出は果たして何が目的だったのか。

 2つは、1回目の外出の時に何をそんなに焦っていたのか。約束の時間ギリギリだったのだろうか……?

 顎に手を添え、真剣に考察してると、耳に低い声が滑り込む。

「どうした嬢ちゃん、怖い顔して!可愛い顔が台無しだせ?」

 ガハハハ、と再び口を精一杯開きながら笑うのを見て、思わず苦笑いを溢してしまう。

「他に聞きたいことは無いのかい?」

「え、ええ……もう大丈夫です、ありがとうございました。お仕事、頑張って下さいね」




※※※




「ねぇ、警官さん!」

 真希は玄関の外で手を後ろに組む警官に、後ろから何の前触れもなく声を掛ける。なるべく元気に、明るく!

「君は……?」

 玄関前の見張りと思わしきその若い男性警官は、どうやら探偵部のことを知らないらしい。その証拠に、女子高生が中から出てきたことに驚きを隠し切れていない様子だ。

「さっき各部屋に内線電話で大家さんから外出禁止という連絡があっただろう?もし外出したいなら大家さんに連絡してから……聞いてないのかい?」

 それに、明らかにこのマンションの住人だと勘違いしてる。

「あ!あの!私、探偵部の者でして……」

「探偵……?そういえば、飯間刑事がそんなこと言ってたかな……」

 斜め上を見つめながら、思い出そうと唸り始める。が、悪いがそれを待っている暇はない。

「質問したいんですけど……そこの野次馬から1人、女の人が連れていかれたはずですよね?じゅ、重要参考人?として」

「え?あ、ああ。確か鈴原さん、だったかな」

 言い慣れない『重要参考人』という言葉に口が篭るが、警官はそれを汲み取ってくれたようだ。

 鈴原、という名前を頭に叩き込むと、すぐに次の質問に移る。

「じゃ、じゃあ、あの人が連れていかれた理由って?」

「理由は簡単さ。インターホンに内蔵されてるカメラの映像記録から、最近被害者の部屋を訪問した人物を見ていたのさ。そしたら、今日は男子高校生が14時くらいに来て、その約2時間前に鈴原さんが訪ねていたんだ」

 そして、野次馬の中にいるのを見つけた……。

 なるほど、容疑者になるには当然だろう。

 男子高校生というのは、間違いなく平一のことだ。あの時、他の女子3人は平一から少し離れたところで待っていたので、たまたまカメラの死角にいた。だからこの警官は真希のことを見ていない。

「最初は被害者の奥さんだと思ったんだけど……大家さんに否定されてね」

「え?どうして?」

「どうやら被害者の奥さん、仕事の関係で先週からシンガポールにいるみたいなんだ。今、事実確認をしているよ」

 あの大家が警察を騙すとは思えない。被害者の妻は国外にいると見て間違いないだろう。

「そうなると今頃、現場は混乱してると思うんだ……」

「こ、混乱?奥さんが海外にいるだけなのに?」

「ああ。この事件、になってしまうからね」

「……へ?」


 ——不可能犯罪。


 さっきの『重要参考人』と同じく、真希にはとても耳馴染みの無い言葉に、間抜けな返事を零す。

 不可能……ってのは、密室殺人とか、そういうやつか。

 真希は脳内で浅いミステリー知識を掘り起こす。

「事件現場である209号室の鍵は全部で3つ。そのうち1つは奥さん、もう1つは大家さんが持っている。まぁ、厳密に言えば管理人室に管理されてるんだけどね」

 2つは、犯人の手が届かないところにある、ってことか。

 じゃあ最後の1つは……?

 そう真希が尋ねる前に、警官は答えを提示した。

「そして最後の1つは……もちろん、部屋の持ち主である被害者が持っていたよ。これも厳密に言えば、209号室の玄関にある靴箱の上なんだ」

 最後の1つは、事件現場の部屋。

 しかし事件発生時、確かに大家さんが合鍵を持ってきていたし、彼は2、3回ドアノブをガチャガチャといじった。鍵が閉まっていたのは間違いない。

 そして、鍵を持つ人物も、奥さんは国外にいるという確実なアリバイが、大家さんは友人たちの確定的なアリバイが存在する。

 ということは——

 にも関わらず、


「ふ、不可能犯罪だ……」

「……だろ?」

 パトカーの赤色灯が輝く玄関で、新米警官と探偵見習いが、勝手にシリアスな雰囲気を醸し出していた。




※※※




 玄関を出ると、インターホンの隣にある小さい窓が目に入る。美咲は迷うことなくそこをノックすると、奥から返事が聞こえる。窓に阻まれて声は良く聞こえないが、間違いなくさっきの大家だ。

 窓を開ける寸前、美咲と目が合い、特別な不審感を抱くことなく窓を開く。

「君は、さっきの……」

「今、お時間よろしいですか?」

「うん、大丈夫だよ」

 二つ返事で、「ちょっと待ってね」と死角に移動した。

 言われた通り黙って窓の前で待っていると、自動ドアが開き、内側から大家が出てきた。

 彼の案内で管理人部屋らしき一室に案内された美咲は、促されるままに椅子に座る。

「すいません、お気遣いありがとうございます」

「大丈夫だよ。僕もさっきのは流石に動転したけど、年の功だろうか、今は落ち着いてるよ。他の子たちは連れて来なくて良いのかい?」

 どうやら大家には、事件に遭遇したことで不安になっている女子高生に見えているらしい。さっき遺体の検査をしてる時、彼は警察や救急に連絡するのに必死で美咲を見てなかったから、きっと美咲や他の高校生も気にかけているのだろう。

 それは有難いと感じる反面……。

「あ、お構いなく……」

 美咲の前にはお茶を筆頭に、煎餅やら饅頭やらのお茶菓子が並べられた。

 田舎に帰ってきた孫かよ、と心の中でツッコミを入れ、それでも外面では平生を装う。

「大家さん、今おいくつ何ですか?」

「私かい?私は、もうすぐ55になるんだ」

 なるほど年相応だ、と再び心の中でうなずく。

 そんな感じで事件と関係無い話でお茶を濁しつつ、ゆっくり本題に入っていく。

「白石さん、かい?」

 内容はずばり、『容疑者白石 柚葉について』だ。

「はい。先程遺体で発見された日村さんが住む209号室の隣、208号室に住まれてる方だと思うのですが」

 しばらく考え込む素振りを見せた大家は、「そうだなぁ」と提供する情報を選りすぐっている。

 それを待ちながら貰った煎餅を頬張っていると、

「……実はねぇ、よく分からない人なんだ」

「よく分からない……?」

「うん、確か1年前に引っ越してきたと思うんだけど、これといって変わった噂や世間話を聞いたことがないんだよ。喋ったことは何度もあるし、そのたびにとても明るく話しやすい人だったから、別に大丈夫だと気に留めてなかったんだ」

 別に噂に聞かないことなんてザラだろう、と流しそうになるところで思考を止める。

 恐らく長年大家を務めているこの人が、態々わざわざ話に出すくらい彼女の噂を聞いてないのは、流石におかしいのではないだろうか。それこそ、余計な情報を漏洩しないよう意識しない限りは。


 ふと、平一からの情報が脳裏をぎる。


 彼が追っている犯罪組織とやらは、あらゆる情報を機密事項として守る。先週口封じされた大学生のように情報を守り抜くためには手段を選ばないほどだ。

 そして、その組織に対し動いているのは———情報収集のエキスパートであり、その能力は正義を誇るに相応わしいほど凄腕ばかりである、公安警察。

 今回の事件の被害者は、先週消された大学生と深い繋がりがあった。例の組織が日村を懸念しても無理はない。

 まさか——今回の事件、先週の事件と同一犯なのでは。そして、あの女は……

 凶悪すぎる可能性に鼓動が早まるのを感じ、その心音は頭蓋骨を直接叩き付ける。

 もう二度と、あの時のテロのような事件と関わりたくはない。いや、江や真希を、関わらせたくはない。そう思うあまり、警鐘が体中で鳴り響く。

 少しでも危険を察知したら、速やかに2人だけでも連れて森田の車で退散することを決め、一度加速する思考を停止した。

 深呼吸で心を落ち着け、呼吸を整える。

 目の前では、大家が白石について知ってることを思い出そうと唸っている。

 それを待っていては日が暮れる、と判断した美咲は、お茶で喉を潤すと、

「ちなみに、白石さんの出自ってどこまでご存知ですか?」

「うーんとね、あの人は確か、大学の先生やってるんじゃなかったかなぁ。それで、確か息子さんがいる、って言ってたよ。でも、仕事の都合か何かで今は別に住んでるんだって」

「息子……?」

 しかし、彼女の年齢的にその息子はとても若いはず。あって二十歳はたち前後、高校生や中学生、何なら小学生の可能性だって充分にある。しかし、そんな子どもと住まいを別にしてまで大学で働く理由があるのか。

 とはいえ、白石がわざわざ大家に『息子がいる』という嘘をくとは考えにくい。

 そもそも、彼女はここに引っ越して約1年だと言っていたが、1年前まではどうしていたのか。

「そんなところかな。他に何か思い出せれば連絡するけど……」

「大丈夫ですよ。貴重なお話ありがとうございました。お菓子、おいしかったです」

 礼を言って大家のもとを後にした美咲は、エレベーターに向かった。

 階数表示を見ると、8階のところで光っており、7、6、点滅する数字が徐々に減っている。

 ライトを目で追いながら、頭の中ではある違和感を紐解いていた。


 平一が自分たちに捜査の指示をしたとき。

 美咲と江に8階で伴場の調査を、真希に1階で新たに容疑者として加わった女の調査を指示した。

 そう——白石のことは触れていないのだ。

 そこで美咲は、平一に内緒で、伴場のことは江に任せて自分は白石を調べに来た。無論、江は美咲に何ら疑問を抱かずに送り出してくれた。

 白石が現場に臨場したときの平一の様子からして、2人は顔見知りなのだろう。

 そこの信頼からか、彼は勝手に白石を容疑者から外している。


「でも……容疑者には、変わりないわよ」


 ここにはいない、何を考えてるのか分からない部長に向けて、強い意志を滾らせる。

 敵ではなく、同じ真実を追い求める仲間として。

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