第70話 何故

 玄関ロビーに到着すると、平一は自動ドアの隣の壁にあるインターホンのタッチパネルに3桁の番号を入力した。

 『209』と打ち込んだところでパネル右下のOKボタンを押す。ピンポーン、と聞き慣れた呼び鈴が鳴る中、返事が来るのを黙って待つ。


 車を降りた後、玄関につくまでにこれから会う人物の詳細を平一は3人に伝えていた。

 日村ひむら つとむという経済学部に所属する教員で、昨日の昼に平一が連絡したところ、今日の昼過ぎから予定が無いとのことだった。

 被害者の死体があった部屋が日村の管理担当である教室だったこともあり、警察の目が向けられていたらしく、今更事件の話をすることは別に構わない、と快く許可してくれた。

 そんな訳で、マンションに入れるよう自動ドアのロックを一時的に解除してもらうために呼び鈴を鳴らしたが……。

「……出ないな。丁度トイレにでも行ってるのか?」

 1、2分ほど待って掛け直しても無反応のまま。

 どうしたものか、と平一が頭を抱えていると、その肩を美咲がポンポンと軽く叩く。

「どうした?」

「ねぇ、あれ」

 美咲がそう言って指差す方には、目の前で立ちはだかる自動ドアの向こう側、2つ並ぶエレベーターの1つから男性が出てきて、こちらへ向かって歩いている。

 外から入るためには、鍵を使うか中の住人がロックを解除しない限りはセンサーが反応しないが、内側からドアに近づく分にはセンサーは誰でも起動する。

 つまり、その男性が来たおかげで、唯一道を塞いでいたドアが開いたのだ。

「行くか」

「ねぇみんな、それでいいの?人として」

 ルールに薄目過ぎる部長と、黙認して(美咲に関しては推奨して)ついて行く2人にも疑問符を投げ掛けつつ、仕方なく真希も追いかける。

「まぁ部屋に着く頃には手が空いてるだろ。そこでまたインターホンを押せばいい」

 そんなんで良いのかなぁ、と呆れながらも、真希はその気持ちを心の中に留めておいた。

 言ったところで無視されるか鼻で笑われるオチは見えてるから。




※※※




 軽快なベルの音と共にドアが開き、4人は2階へ踏み出した。エレベーターから出て目の前は壁で、右側に廊下が一直線に延びている。

「ここが201号室だから、209号室はもっと奥か」

 一番手前から逆算して目的の部屋を推測した平一は、改めて頭の中を整理しながら歩み出す。

 もはや重要な情報が無くてもいい。何か僅かな手掛かりが欲しい。もし例の犯罪組織に近づくことができれば、また桐谷のように父の死に関する情報を持つ人物に接触できる可能性もある。

 誰にも悟られない野望を噛みしめつつ、208号室まで来た。来たはいいものの……

「ねぇ、誰?あの人」

 真希が素朴な疑問を平一にぶつける。

 そう、目的地である209号室の前で、男性がまるで中の人を待つかのように立っていたのだ。

 インターホンを押す素振りが無いので、恐らく押した後なのだろうか。

「すいません、少しよろしいでしょうか」

 丁寧な口調で平一が尋ねると、男性は「はい?」と軽く返事をする。

「私たち、こちらの日村さんに用があって本日来たのですが……」

「あぁー……そっか。いや、僕も日村先生に呼ばれてね」

「え?」

 平一が不思議に感じたのは、他の3人も同じだった。

 平一の話では、訪問先の日村という先生は今日の昼過ぎなら空いているはず。

 予定があるなら「14時頃は予定があるから、それ以外なら大丈夫」みたいな連絡をするはずだ。

「先生にどんな用なの?」

「えっと……候喃大学に興味がありまして」

「へぇ。それなら、お隣の208号室も同じく、候喃大学の先生だよ」

「そうなんですか。よくご存知ですね」

「まぁね。僕も同じだし」

 平一が「同じ?」と尋ねると、男性は少し微笑み、

「僕は候喃大学法学部所属の伴場はんば めぐると言います。ちなみに日村先生とは特別な接点はあまりないけど、僕はここの8階に住んでるから、よく一緒に仕事に行くこともあるんだ」

 ついでに隣の先生についても訊こうとしたそのとき、伴場が探偵部の後方を見て声を上げた。

「あ、来た来た」

 振り返ると、遠くから歩いてくるおじさんがいた。両手には鍵がジャラジャラと大量に持たれている。

「あれって、大家さんですか?」

「そうだよ。ここを合鍵で開けてもらうのさ」

 そんな勝手なことをしていいのか、と真希は疑問に思ったが、平一は何故か納得してるようだった。

 真希がモヤモヤしてると、伴場が口を開いた。

「この時間に呼ばれたのに、何回呼び鈴を鳴らしても出ないなんて絶対におかしいからね」

 確かに、時間を特定しておいて、部屋にいないとは考えにくい。

「電話とかしてないんですか?」

「あ、その手もあるか」

 平一の鋭い提案に、「賢いね」と一言褒めると、

「そんなわけで、僕は大家さんに合鍵で開けてもらうから、君たちは隣の先生を訪ねてみたら?部屋にいるか分からないけど」

 そう提案したのを最後に、伴場は大家さんと一緒に鍵の山の中から目当ての一本を探し始めた。

 パッと見で80本くらいあるだろう。リングで纏まっているとは言え、そこから1つだけ見つけ出すのは至難の技だ。

 頑張れ、と心の中で真希が応援するのを他所に、平一は諦めて隣の208号室のインターホンを押した。

「もしかしたら事件のことを知ってるかもしれないしな。ある程度話をした後にまた隣に行けば日村先生も手が空いてるかもしれないし」

 振り返り、平一は部員3人にそう言った。

 流石にアポを取っていた以上、何もせずに帰るのは癪ということだろうか。それに、ここでも意外な収穫があるかもしれない。

『はーい、どちら様ですか?』

 インターホンから女性の声がして、すぐに平一が反応する。

「突然すいません。私、色沢高校の者でして……」

 自己紹介をしようとした、その時。



「う、うわぁぁぁぁあぁっっ!」



 隣の部屋から絶叫が響き渡り、全員が反射でそちらに視線を向ける。

 209号室のドアは開いており、中からさっきの大家がしりもちを突いて出てきた。その表情は引きつっており、視線は正面斜め下を見ている。目を丸くして、腰を抜かしている。

 しかし、今の声は間違いなく伴場だ。開いたドアのせいで伴場の姿が見えないが、恐らく中で同じような状態なのだろう。

 真希は驚きのあまり足が棒になっている中、平一は一目散に大家のもとへ駆け寄った。ドアを勢いよく手前へ引き寄せると、外開きのドアが約150度、限界まで開ききる。

 そこから美咲と江も部屋を覗き込むと———



 ————そこには、玄関で男性が目を開ききって倒れていた。

 目に光は無く、頭部からは鮮血が流れている。うつ伏せで倒れ顔は右を向いてるので、頭の左半分を真紅に染めている。

「せ、先生……日村先生!!」

 伴場が覚束ない足取りで男性にゆっくり近づこうとしてるが、玄関に1歩入ったところで駆けつけた平一に止められる。

「関係者が無闇に現場に入らない方がいい。すぐ警察と救急を呼んで下さい」

「え……?あ、ああ……」

 平一の真剣な眼差しに圧倒され、伴場は部屋から一歩下がってスマホを取り出した。

 そんな忠告とは裏腹に、美咲は血溜まりに気をつけながら玄関に入る。その後に次いで、平一と江も玄関を通り抜ける。

「ねぇ。この人、日村 勉さんで間違いないのね?」

 美咲が脈を確かめながら尋ねると、伴場はコール音に耳を傾けながら、「あ、ああ、合ってるよ」と横目で答えた。

 平一がリビングらしき部屋に入る手前、美咲に「どうだ?」と生死を訊く。

 3秒ほど置いて、美咲は俯きながら目を閉じ、顔を横に振る。

「ね、ねぇ、その人、死んでるの……?」

 震える声で、真希がドアから顔を覗かせて問い掛ける。

 そんな真希に美咲は見向きもせず、死体となった日村の顔に触れる。具体的には、顎や喉の張り具合を確認するために。

「残念ながら。けどまだ体は冷えきって無いし、死後硬直からして殺されて1時間も経ってないわね」

「こ、殺されたの?その人」

「そうね……死因が側頭部強打による急性硬膜下こうまくか血腫けっしゅってところだから、頭部を殴打するだけの凶器が必要でしょうけど……もし事故なら、頭をぶつけた跡が遺体の近くにあるはず。ただ、少なくともこの辺りにそんな跡は見当たらない。それに、血液も遺体の傍にしか落ちてないでしょ?」

 玄関からリビングまで、ざっと4メートルといったところか。その道中に血痕は無い。一方、死体の衣服や周囲数センチの床には様々な形状の血液が確認できる。

「つまり、殺害された現場はここで、犯人は凶器を持ち帰ったということ。まぁ、奥の部屋にそれらしき物が無ければ、だけど」

 そう解説してリビングに顔を向けると、奥から平一が姿を現す。

「どうだった?」

「ザッと調べたが凶器らしきものは見当たらない。今、江がリビングから唯一直で繋がってる寝室を調べてもらってるが、望みは薄いだろうな。ただ……」

 体を翻し、再びリビングの方を見た平一は、

「変わってるのはこの部屋だな」

 たった一言、厳格な声で呟いた。

「変わってる?」

「ああ、ベランダに繋がる窓が割られていた。ガラス片の飛び具合からして、外から屋内に向けて割られたものだ。それに、その窓は鍵が閉まっていた」

「ってことは、外部犯ってこと?」

 相変わらず不安げな声色で真希が尋ねると、平一は黙り込む。

 突然の沈黙に、自分が何か失言をしたのか焦り出す真希だったが、それは平一の言葉で掻き消された。


「いや、恐らく内部犯——被害者の知り合いによる犯行だ」


 顎に手を当てて、斜め下をぼんやり見つめながら、言葉を続ける。黙り込んだのは、頭の中を必死に整理していたからだろう。

「断言はできないけど、可能性は高いな」

「それって——」

 美咲が平一に対して口を開いた、その時。



「——ここか2階だから、ってわけじゃないのよね?」



 美咲とは別の声が、部屋に届いた。

 声が聞こえた先、それは真希の後ろ、つまり部屋の外だ。真希も突拍子もない言葉に肩を跳ねさせ、視線を後ろに向ける。

 そこには、女性が1人立っていた。

 身長は真希より頭1つ抜けており、大体170センチ弱と言ったところか。とても美人で、外見は20代ほど。

「あ、あなたは……?」

 恐る恐る真希が訊くと、女性は笑顔を見せた。

「驚かせてごめんなさい。私、隣の部屋に住む白石しらいし 柚葉ゆずはと言います」

 自己紹介を受け、真希は彼女が突然出てきた理由を悟る。

 さっき、平一が208号室の住人、つまり白石と名乗る女性とインターホンで話してる最中に事件が発覚した。つまり、その騒ぎに気付いてやって来たのだろう。彼女が興味を持つのは当然だ。

 真希が納得し、同時に彼女が最初に言った言葉を思い出す。

 確かに、犯人がもし外部犯なら、ベランダから侵入するにしても些か厳しいところがあるだろう。2階とはいえ、こんな昼間に外から空き巣をしようものなら、外で誰が見てるか分かったものではない。

 その辺が気になったので、真希も平一に声を掛けようと———



「何故、あんたがここに」



 ———して、やめた。

 平一は、白石を射抜くように睨みつけている。

 まるで2人が知り合いかのような口振りに、小さく「え?」と声を漏らした。

 驚きを隠しきれない中、真希は自分だけでなく美咲も目を丸くしているのに気付いた。

「こっちの台詞よ、なんで平一がここにいるの?」

「……分からないのか」

「それを知らないフリして私に得がある?」

「さぁな」

 珍しく平一が息を呑む姿に不安を覚え、真希は改めて白石を見た。

 そういえば、玄関を見ている以上、この人は死体も必然的に見ているはず。しかし、彼女は伴場や大家と違って声を上げることなく極めて冷静だ。そんなの、よっぽど感情の起伏が無いか、本物の死体を見慣れている人物じゃないと出来ない。

 まして、探偵部の話のペースに合わせて話が出来ている。

 この人は、一体……?

 真希の純粋な疑問は、その後警察が到着した時に忙しさの余り忘れ去られた。

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