第69話 事故は事件へ

 ベンチに座りながら、平一は目の前の道を焦点を合わせることなく見つめていた。

 集合場所がこの第2病棟前だと伝えてある以上、顧問の車は間違いなく眼前に路駐する。だから、わざわざ待ち構えて合図を出したりする必要は無いと思っている。

 頭の中では、今日の予定が的確に整理されていく。5日前の事件のせいで体が痛むので、頼りになるのは頭しかない。悔しさを噛み締めながら、右頬に貼られた湿布に触れる。

「せっかく、この前は爆破を防いだのにな……」

 我ながら情けない、と自分の失態を鼻で笑う。

 数週間前、テロ集団と戦ってどうにか爆弾による甚大な被害を防いだばかりなのに、不可抗力とはいえ爆発事件に巻き込まれてしまったのは何とも複雑な心境だ。

「何せ予期出来なかったからな——っと」

 追憶にふけっていると、目の前に見覚えのある車が停車する。

「ウォーターブルーのシトロエンBX……相変わらずオシャレな車に乗ってんな」

 軽く感想をボヤきながら立ち上がり、車へ歩いていく。助手席のドアレバーに手をかけ、開けようとした途端に違和感に気付き、ドアを開く寸前で止まる。

 違和感の正体は、車の中だ。

「……なんで、お前らいるんだ」

 後部座席には、探偵部部員の女子3人がギュウギュウ詰めになって座っている。真ん中の真希はとにかく大変そうだ。

 ドアを開けてない以上、平一の声は中に聴こえないが、助手席側に座る美咲と目が合うと、それだけで意思疎通は十分だった。


 ——何故私たちに黙っていたのか、と。


「……なるほど、顧問か」

 ある程度経緯を推測した平一は、諦め半分呆れ半分のため息を漏らすと、やっとドアを開く。

 座り、シートベルトを締めたところで、平一は正面を向いたまま口を開く。

「……やってくれたな」

「あれ?この前の文化祭のときに丁寧な口調に戻ったと思ったのに」

「あの時は近くに他の先生がいたからな」

 揶揄からかうように平一を向くと、冷酷な部長は黒目を右に動かすことだけで対応を済ませた。

 森田の表情は、別に馬鹿にしてるわけでも小衝こづくわけでもなく、自分のミスを誤魔化すようだった。

「部長。先生を咎められる立場じゃないですよ」

 男同士の静かな闘いに終止符を打ったのは、後ろで座る江だった。真希が隣で「そうだそうだー」と野次みたく吠えてる。

 1週間休んだくらいで気に触ることは無いと考えていた平一だが、予想外の結果に心の中で再びため息をく。

「それで、窮地に立たされた部長さんは、こうなった経緯いきさつを余すことなく教えてくれるのよね?」

 角度的に平一が見えない場所、つまり真後ろの席から、美咲が片頬を吊り上げながら語りかける。

 その質問に平一は「勿論だ」と一言で返事をすると、

「その説明は移動中にする。顧問、取り敢えずここに向かってくれ」

 そう言ってスマホ画面を見せ、マップ機能で目的地を提示した。




※※※




「始まりは1週間前、オレに1つの情報が入った」

 車が走り出し、森田がカーナビを設定し終えたところで、平一は約束通り事の顛末を説明し始めた。

「数週間前のテロで首謀者だった山田 咲……まぁ本名は桐谷 遥だったけど、あいつがメンバーだった犯罪組織について調べていたんだ」

 そこまで平一が興味を持った大きな要因は沢城 涼音だが、そのことは一部の警察官以外はまるで知らないこと。

 あのテロ事件で唯一逃した人物。先を見据えた話し方や無慈悲な判断力からして、一筋縄ではいかない敵であることは間違いない。まして、彼女が所属する組織のステータスは想像できるものではない。

 そしてあの女を——何としても捕まえたいと、強く意識し始めていた。

 その脳裏には、桐谷にした最後の尋問がぎっている——。

「調査するうちに、どうやら『候喃大学』にその組織の仲間らしき人物が出入りしてるという情報が見つかったんだ」

「仲間って……生徒の中に組織のメンバーがいたってことか?」

 正面を見ながら森田が尋ねると、平一は真剣な表情で「ああ」と相槌を挟み、

「そこでオレは、思い切って大学でそいつのデータを得ようとした。あくまで、例の組織に一歩でも近付きたかったからな。そして侵入してみたら、幸か不幸か、その生徒本人が現れたんだ」

 侵入したといっても、厳密には敷地内に関係者のフリをして堂々と入り、深夜になって構内に誰もいなくなるまでトイレで待っていただけ。ただ、そう言えばここにいる4人から不法侵入のレッテルを貼られかねないので、平一は敢えて黙っておこうと決めた。

「そしたらそこで爆破事故が起こり、同時にオレの標的である男が死亡した。さらにオレは爆発に巻き込まれ、暫く気を失っていたんだ」

 リアリティに溢れた平一の叙述に、車内の誰もが口を挟めずにいた。まぁ、全て事実なので当然と言えば当然なのだが。

 その雰囲気を利用して、平一は黙々と話を続ける。

「目が覚めた後も、警察はオレに事情聴取をしてまなかったよ。そのせいで、外部と連絡する余裕が全くなかった」

「まぁ、余裕が出来た後も一目散に連絡したのは顧問だったけどね」

「そんなに連絡が無かったのが不満なのか?」

「どーだか」

 拗ねてるようにも聞こえる美咲の返事は、しかし表情が見えないせいで本心が読み取れない。

 嫌味に近い小言を投げつけられるのはいつものことだが、今日の小言は嫌味とは少し違うようにも感じられ、平一は頭の隅で困惑していた。

「それで?今私たちが向かってるのはその大学なんですか?」

「え?あ、いや、今日行くのは大学じゃなくて」

 話の内容が逸れかけたところで、江が軌道修正となる質問をくれた。

「今から行くのは、その殺された男を担任してた先生さ。大学で特に仲良くしていたらしいから」

「え、待って。今、って言った?」

 美咲が驚くもの無理はない、と平一は1人理解していた。

 ニュースで見た報道では確かに『爆破』と伝えていたはず。警察からの発表もあってその報道は信憑性があり、おかげでテロ説は拭われたわけで。

 何なら、平一も途中までは事故と言ってた。

 しかし、亡くなった男性のことを『殺された』と呼ぶなら。


 あれは——故意に起きた爆発ということになる。


 ましてや、先日のテロ事件を起こした犯罪組織が絡んでいる可能性まである。

 そうなれば、また大きな事件に首を突っ込むことになりかねない。

「部長……どういうこと」

 語気を強めて尋ねる美咲には、恐怖というより懸念することの方が多かった。

 その全ては、あの事件で身に染みて感じた。

 そして、そこで塗りたくられた感情はもう二度と感じたくない。

「悪い美咲。勘違いさせたな」

 間を置いて訂正する部長は、すぐに話の真意を解説する。

「確かに、あの爆破は紛れもなく人の手による事件だ。それも、例の組織が怪しいと見て間違いないだろう。だが、その組織にとってあの爆発はむしろ事の終結を示す」

 車内の全員が、もはや事件の一部を断言できてるところに恐ろしさを感じているが、今はその証拠や根拠を聞いてる時間ではない。それに、平一が不確定なことを中途半端に推測で片付けるとも、美咲にも江にも思えなかった。

「その組織の構成員と疑わしき男は、公安に目を付けられていたんだ」

「こ、公安?」

 慣れない口調で反芻させるのは、後部座席の中央で自分のスカートを太腿の上でギュッと握る真希だ。話の複雑さと巨大さに力んでしまっている。


 公安警察——公共の安全と秩序の維持を目的とした警察組織の一つ。

 無論、そこまで詳しい知識を備えてない真希でも、一般的な警察とは少し違うことは、フィクションを通して何となく知っていた。

「事実、オレが得たその男の情報も、公安が調べたものだろうからな。そこから推測できることは——あの男は、口封じに殺されたってところだろう」

 つまり、公安に疑惑を持たれたその男は、組織にとってただの危険因子でしかあらず、公安に捕まったり無闇に情報を漏らす前に消された。

 なるほど筋は通っている、と納得する美咲だったが、やはりそれでも疑問は残る。

「もしその推理が当たってるとして、あなたは何をする気なの?爆殺されたその男は木っ端微塵になっただろうし、どうせその男の所持品から犯罪組織とやらに繋がるものは何も残されていないだろうし」

「あぁ、そっか。まだ言ってないことがあったな」

 突然思い出したように軽い口調でそう呟くと、

「その男だけど、爆弾が死因じゃないんだよ」

「「「え?」」」

 後ろ3人が狙ったように腑抜けた疑問符を被せて返事をしたので、場違いにも思わず吹き出しそうになるのを平一は堪えた。

「爆破元となった部屋と別室で男の死体は見つかったからな。それに、直接の死因は銃で撃たれたことによる失血死なんだ」

「でも、なんでそんな回りくどいことしたんでしょうか?」

「流石にそこまではサッパリ」

 そこまで話したところで、美咲の質問に対する答えに切り替える。

「それで、今からその男と仲が良かった先生に聞き込みをして、他に怪しい人物がいないか調べようと思ってな」

「もしかして、現場から凶器が見つからなかったの?」

 美咲の質問があまりに話の流れを掴んだものだったので、その慧眼にただ嘆息するしかない平一は、同時に美咲以外は彼女の言葉に理解が苦しいと思い、補足に入る。

「そう、男の死体がある部屋から、というより、大学のどこにも拳銃がなかった。だから、間違いなくこれが殺人だと公安は判断したんだ」

 自殺の可能性は無くなり、その男を殺した人間がいる。

「なるほど……その殺人犯は、犯罪組織からの殺し屋かもしれないし、大学内の関係者にいる組織の一員かもしれない、というわけですね」

「そういうこと」

 江の推察を肯定すると、今度は意外なところから突っ込みが飛んでくる。

「でもさ……なんで警察は嘘の情報をメディアで流してるのかな?」

 真希にとっての疑問は、やはりそこに終着した。

 メディアリテラシーの重要性が謳われる昨今の世の中で、警察がそんな詐称を発信していいのか。真希には理解が追いつかなかった。

「きっと、それが公安の判断だからだ。その犯罪組織の規模は分からないが、とにかく公安が半端じゃなく警戒するほど。無闇に情報を流せないのか、公開し辛い不確定な情報ばかりなのか、オレたちには想像できないほど複雑で繊細な理由があるんだろう」

 無念さを孕んだその言葉に、真希は黙って息を呑むことしか出来なかった。

 平一は公安警察と何の関係も無いはずにも関わらず、そこまで真摯に向き合えるのは、そこまで敵に興味があるということ。

 何故、そこまでその組織に執着するのか——真希が気になったその時。

「みんな、着いたよ」

 森田の声が彼女の思考を遮った。

 ハザードランプを点けたシトロエンは、9階建てのマンションの駐車場で止まった。

「駐車できる場所を探してくるから、みんなは降りてその先生に会ってくるといい」

 その優しい気遣いに、平一は「ああ、悪いな」と礼を伝えながら下車する。

 黙って美咲と江も降りる中、真希は左に尻をスライドさせながら、森田と目を合わせる。

「駐車した後はどうするんですか?」

「そうだな……駐車した場所を部長に伝えて、そこで待ってるよ。君はみんなと探偵ごっこを楽しんでおいで」

 『探偵ごっこ』という言葉に思わず目を丸くしてしまった真希だが、すぐに自分の反応の方が間違っていることに気付く。


 そっか……私たち、あくまで本物の探偵じゃないんだよね。


 心の中で呟き、まるで本当の探偵のような気分になっていた自分をかえりみて、フッと薄く笑う。

 何故微笑んだのかピンと来てない森田に向けて、真希は車を降りてドアを閉める寸前、

「送迎ありがとうございました、先生」

 ごまかす意味も含めて、丁寧に感謝を述べた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る