第4章 懐疑の交錯

第67話 平一の暗躍

 この地域の条例によると、高校生が1人で外出できる時間は23時までだという。

 今、とある大学を徘徊する1人の少年——白澤 平一はその時間を逸脱している。

 腕時計が示す時間は深夜1時半。場所は構内の廊下。

 夕方過ぎにどうにか侵入し、トイレの掃除道具入れで時間をやり過ごした。1時になったところで廊下に出て、しばらく周りを警戒していたら、無事に目的の人物を見つけることに成功した。

 こんな時間に1人で構内の廊下を闊歩する男がいた。黒いキャップに黒いジャンパー、そして黒いジーンズと黒いスニーカーで、今にも夜空に同化しそうなほど真っ黒だ。しかし、衣類とは真逆に肌は白く、また金髪も相まって男が外国人であることを暗示している。目元が見えないが、瞳孔は恐らく黒や茶では無いのだろう。

 右肩にボストンバッグをげ、時折逆の肩に持ち替える作業をしている。どうやらかなり重たいようだ。

 辺りに照明は一切無く、恐らく目が慣れたことで視界を得ているらしい。

 何の迷いも無く歩き続ける男の背中を、平一は熱心に尾行していた。無論、標的にバレたら一貫の終わり。


 追い続けること5分、男はある1室に迷わず入る。

 流石に同じ部屋に入るわけにもいかず、その部屋から30メートルほど離れた曲がり角から最低限ターゲットが見えるように頭を覗かせて、男が部屋から出るのを待つ。

 部屋のプレートには『基礎研究室A』と表記されている。

 ここは1階なので、最悪窓から逃げられる恐れもあるが、それはあくまで尾行に気付かれた場合の話なので、見失うことを危惧することなく待つ。

 30秒もしないで、男は出てきた。

 見ると、両手にも両肩にも何も持っていなかった。

「あの部屋に、バッグを置いてきたのか……」

 部屋の扉を閉じた男は、平一が潜む方向とは真逆に廊下を再び歩み出した。用事が済んで大学を出るため玄関に向かっていると思ったが、その予想は即座に裏切られる。

 男は、基礎研究室Aから10メートルほど離れた別の部屋に入った。先程と同様、何の迷いもなく。


 今、平一にできることは2つ。

 1つは、引き続き男の出方を伺い、尾行を続けること。

 もう1つは、今なら対象の目が無いので、この隙にさっきの基礎研究室Aに突入し、バッグの中身を確認する。

 もしそこに、重大な情報でもあれば……。


 6秒ほど逡巡した挙句、平一は後者を選んだ。

 男が2つ目の部屋に入る時に手ぶらだった。ならば、どんな理由であれ、あの部屋に入ることに何か意味があるはず。だとすれば、すぐに出てくることは無いだろう。

 そう思い、平一はその部屋に向けて1歩を踏み出し———



 ———刹那、目的の部屋が、オレンジの閃光を放つ。

 暗黒一色の世界は、瞬く間に橙黄とうおう色に染まる。その彩りは破壊と絶望に満ちていた。

「なっ……!?」

 発光と同時に、光源となる1室が爆裂する。

 この世のものとは思えない凄まじい爆風と轟音、そして肢体の自由を許さない衝撃が、いとも簡単に平一を吹き飛ばす。

 体を廊下に晒していた平一は、爆発の勢いを体でもろに受けてしまう。

 1秒の間に数十メートルは飛ばされただろうか、数回のバウンドを経て、遂に背中を廊下の壁に激突させる。

「ぐぁっ!」

 内臓を絞られるような衝撃に対し、ただ喉から声を漏らす。

 背中を激しくぶつけた結果だろうか、意識が急速に遠のいていく。

 平一は、なす術もなく意識を手放した。




 ※※※




 廊下を駆け巡る爆風は、その廊下に面する部屋の窓をことごとく粉砕する。

 平一が跡をつけていた男が入った部屋も決して例外では無い。爆音と共に廊下側の窓たちが一斉に破片となり部屋へ飛び散る。

 舞った破片のうち、いくつかは男の体に突き刺さった。

 しかし、男は痛みをまるで感じない。


 否——既に絶命している以上、死体は痛覚の機能を放棄している。痛みなんて感じるわけもない。


 左胸元には、致命傷となった一閃の空洞が残されていた。銃弾が体を貫通した証。

 そこから絶え間なく血が溢れだし、漆黒の衣服をよりなまぐさい黒に変えてゆく。

 男の右手の人差し指を、自身の血が染めている。

 その指の近く、床に不安定な字体で「me」と記されていた。

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