第56話 机上の空論

 6年前の事件の概要からして、綿貫さんは間違いなく何者かの私情によって罪を背負うことになった。

 そしてその犯人は、上層部の人間の誰かだろう。要は、オレも西村の考えに賛成だ。

 一番怪しかったのは、やはり社長だ。

 当時の規模からして、上層部がそこまで分厚くは無かったはず。その時点で、容疑者は絞られる。

 そして、社長の素振りや特徴を精査してみたところ、案の定怪しさが激増した。


「恐らく、社長は秘書であるあんたのことが好きだったんだろ?」

「その心は?」

「まぁ色々あるが……そうだとすれば、それが綿貫さんを追い込む動機になるからな」

 いくつもの事象が同時期に重なっていた。

 綿貫さんの不祥事が見つかったこと、山田が社長に秘書として有無を言わせず推薦したこと。

 そして——山田と綿貫さんの雰囲気が良くなっていったこと。

「もし社長があんたにゾッコンだったとしたら、彼にとって綿貫さんはとても大きな弊害だった。だから会社から抹消し、自殺に追い込んだ。まぁ、未遂で済んだけどな」

「自殺に追い込んだのも社長だって言いたいのか?」

 ここで意外なことに、山田が目を丸くする。

 コイツは被害者が勝手に死へ向かったと思っているのか。

「綿貫さんがあんたに好意を抱いていたのは、あんた自身の証言からほぼ間違いないはず」

 あそこでこの女が頬を赤らめて語っていたのも演技だったと思うと、背筋が凍りそうだが。

 あの証言の真意は、あくまで『2人が両想いであった』という事実を、をオレに伝えること。

「そして、綿貫さんのミスが発見され、彼は会社を後にすることとなった。それでも、2人が両想いなら、連絡するなどして繋がりを途絶えさせることは無かったはず」

 そうなったら、社長は綿貫さんを解雇した意味がない。

「そこであの人は、綿貫さんに『お前みたいな悪者が会社の人間に関わり続けると、会社の人間に何が起きるか分からない』みたいな脅しをしたんだろうな」

 そこまで説明して、山田は何かに気付いたような表情を浮かべる。

 今更すぎる発見に苦笑しそうになるが、オレはそれを堪えて話を繋ぐ。

「西村やあんたの口調からして、被害者は真面目で裏を掻くことが苦手な性格だろう。だから、社長のもっともらしい助言を間に受け、あんたから離れることを決意した」

 そしてあの交通事故を起こした訳だが……

「オレとしては、あの事故の概要を聞いた時から違和感を覚えていたんだ」

「あの事故って……目を閉じたまま自転車を漕いで、信号無視の果てに車に撥ねられた、ってやつか?」

 山田は「これのどこに違和感がある?」とでも言いたそうな表情だ。

「いや、行動自体は有り得る話だが……この行為が自殺に繋がる、っていう警察や西村の考えが、少し違うなって」

 そう、筋は通ってる。通っているんだが……。

 あの調書を見たとき一瞬モヤモヤしたのには、理由があった。

「目を閉じて自転車走行……そんなことしたら、自分が撥ねられるだけじゃなく、も高いだろ?」

 自殺一択なら、もっと確実な手段は幾らでもある。

 まして、公道で堂々と自殺しようとすれば、逆に助かる可能性も高まる。実際、辛うじて命は繋がった。

「被害者は、あんたへの好意を拭い去ることが出来ず、しかし社長の言葉があった。そこで彼は、犯罪者になるか死に堕ちるかのどちらかを辿ることとなる行動をとった」

 そう考えると、辻褄が合ってくる。

 犯罪者になれば、山田が好意を理由に接触することも無くなる。そう考えたのだろう。実際は、山田には好意すら無いのだが。

 つまり、あくまで死を求めていたわけじゃなかったわけだ。

「結果、自殺の一歩手前で済んだものの、6年の昏睡という末路を歩むことになった。そして、社長の狙い通り、彼はあんたの手の届かない存在となった……この様子だと、そもそも手を伸ばすつもりもなかったんだろうけど」

「フッ、意外と好きだったかもよ?」

 挑発気味に返事してくるが、それをさらに鼻で笑うと、

「そうして異物が消えた社長は、あんたを秘書に推薦し、見事自分の傍に置いておくことに成功した」

「……実のところ、あの男がそこまで手を回しているとは思わなかった。そこまで筋が通っていると、改めて感嘆してしまうな」

「それは、のことが原因だと思う」

 またしても突発的なワードに、山田は今度は眉をひそめる。

「社長は被害者の入院費を支払っている。必死に排除した人間を手助けするのは何故か?」

「……」

「それは、あんたが頼んだから。あんたもオレとある程度は同じことを考えたはず。そこで、入院費の依頼をすることで、その真偽を確かめた」

 もし断れば、社長は本当にアイツを邪魔者扱いしていたことを確信できたはず。そして、恐らく山田は断られると思っていた。

 しかし……

「社長はそれを受け入れた。好きな女性からのお願いを受け入れるのは、男には当然だからな」

 その結果、社長が綿貫さんをそこまで追い込むほど嫌ってはいない、と山田は考えたのだろう。

 最初に社長を縄から解放した時や、事情聴取の後で部屋に着いた時の様子からして、常に社長が山田を気に掛けていたのは分かっていた。その好意が社長の動力源になっていたとしたら。


「……良く出来た話だが、今の全部、お前の予想だろ?証拠は無いのか?」

 そう、このままだと机上の空論だ。

 予想通りな反面、図星を突かれ、オレは三度みたび頬を持ち上げる。



「証拠は」



 強く、言葉を届けながら、オレは両手を差し出す。

 何も握られていない、2つの素手を。



「———無い」



 胸を張って、武器を失っている事実を宣言した。

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