第30話 17時、決行
『こちらサイバー制御室、制圧完了』
左手のトランシーバーから薄くザッピングが混じった女の声が届く。社長室にいる男が「了解」と返事をすると、今度は別の場所から若い男の声がする。
『こちら16階。事前の情報通り、16階の会議室Cと会議室Dの計2部屋で会議が行われていました。とりあえずDに全員を集めましたが、まだ移動はさせないで待機ですね?』
会議室の制圧も予定通りに進んだことを確認し、男はシーバーの通話ボタンを押す。
「ああ、まもなくサイバー制御室からの人質が会議室に着く。そいつらも仲良く押し込んでやれ」
含み笑いを交えて『りょーかい!』と返事を受け、男はシーバーを耳から離す。
それを肩に掛け、男の右手で黒光りする拳銃が向く先にいる男—社長の幸村 正和に顔を向ける。
「お前らの狙いは何だ、金か?」
震えそうな声で喋る社長に、『お前ら』と呼ばれた男は口の端を吊り上げると、
「残念ながら、金に興味は欠片もない。欲しいのはただ一つ……過去の記憶、そしてその真実だ」
言葉が終わると同時に、盛大な爆発音が2人の聴覚を支配した。
時刻は午後5時。
※※※
「もう59分ですね。部長、どうします?」
江が自分の腕時計を見ながら訊いてきた。
別に不安がっているわけでは無いが、江も違和感を覚え始めたのだろう。
正直、オレも眉間に皺をよせたくなってきた。
しかし同時に、ここはオレたちが初めて訪れた場所だ。無闇に動くのも危険だろう。少し腹立たしいが、17時を過ぎても待ってみよう。
時計の秒針は30秒を通りすぎ、着実に時を刻む。
45秒を示し、50秒を示し、55秒を示し、57秒、58秒、59秒——
00秒、その瞬間。
「——なに!?」
遠くから重たい轟音が響きわたる。
音だけなら工事か何かだと疑うだけだが、音と同時に襲ってきたのは、足元を狂わせるような揺れ。
座っていた客たちは思わず机に手を突いてしまっただけだか、近くで歩いていた店員はトレイを落としながら床に尻餅を着く。
体感としては震度5は無いくらいで地震としてはまだ安心できるが、地震にしては明らかにおかしい。揺れが最大だったのは音が鳴った最初だけで、そこからは収まる一方だ。
「い、一体何が……?」
珍しく不安を表情と声色に乗せている美咲にふと視線を送ると、彼女の背後にある窓からさらに異様な光景が飛び込んでくる。
目に映るのは、外で蠢いている瓦礫らしき残骸の数々。
雪崩の如く落ちていくそれらは、夕日をバックに延々と流れ続ける。
揺れが弱まるのを感じ、すぐに窓へ走ると、そこからはさらに壮絶な現場が広がっていた。
目下、広々とした敷地は、瓦礫の山と化していた。クレーターのように穴がそこら中に作られ、現場の被害を物語る。
被害者がいてもおかしくは無いだろう。
そんな光景に目を丸くしていると、隣でオレと同様に外を見ていた美咲がオレの肩を叩く。
「部長・・あれ、おかしくない?」
もはや、目の前にはおかし過ぎる世界が広がっているので、美咲がどれのことを言っているのか分からない。
オレの考えなんて露知らない美咲は、窓の外を指差す。
「人が……ビルから出ていないのよ」
外を見つめてそう零す美咲の目は、計り知れない焦燥に満ちていた。
オレは言葉の意味を理解し、視線を外に移す。
言われてみれば、瓦礫の被害が少ないエリアがあるにも関わらず、その辺りから人の気配はまるでしない。もともと外にいた人が急いでビルから離れたのはもちろん、あれだけビルが揺れたら危険を顧みず避難する人も多いはず。
空から降ってくる瓦礫はすでに収まっている。
しかし、ビルから脱出しない人々。
「まさか……」
最悪の想定が頭を駆け巡った瞬間、今度は軽快な音楽が頭上から鳴り渡る。放送開始の合図だ。
音楽が止むと、『アー、アー、聞こえるか?』と音声確認をする男の声が現れた。
『ユキムラビル本社にいる諸君、さぞ驚いているだろう。爆発音が鳴り、ビルが揺れ、瓦礫が落ちてきたかと思えば、1階ではシャッターが全て降り、完全に閉鎖された。つまり君たちはこのビルに監禁されたわけだ』
その放送は、堂々としていた。
しかし、慣れている様子も感じられない。
ただ何より、この放送が伝えている内容は、オレの予想通り……
『俺たちはこのビルを占拠した。そして、棟内の至る所に爆弾を仕掛けた。怪しい行動を見つけたら、即座に爆破する。俺たちの目的を果たすまで、お前ら3000人は人質だ』
詰まるところ、これは——
———テロ、だろう。
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