第28話 依頼人

 受付で必要事項を記入し、ヒモ付きの入場許可証を4つもらって内1つを自分の首に掛ける。

 受付の人の「ありがとうこざいました」という声を背中に、オレは近くで待機していた3人に許可証を渡す。

「これ、みんな必要?」

「文句言うなよ、入れなくなるぞ」

 微妙な顔をして許可証を首に掛けた美咲は、オレの方に視線を向け、

「それで、依頼人とはどこで会う予定なの?」

「ああ、たしか5階の『バーネット・カフェ』ってところだったはず。さっき受付でマップをもらったから、さっさと行こう」

 そう言ってエレベーターを探そうと、オレは周りに目を回したとき、今度は美咲の後ろにいた江が口を開いた。

「あれ?でもさっき入り口のところで、5階は社員食堂だって書いてありましたよ?それってつまり、社員しか入れないのでは?」

「ああ、オレたち部外者は本来なら4階までしか入れない。だがこの入場許可証があればある程度の階までは上がれるんだ。勿論、5階にもな」

 江の疑問を解決すると、オレはエレベーターを見つけてそちらへ歩みを進める。

 到着するなり、壁に埋め込んである三角マークのボタンを押す。ドアの上では『10』のパネルが光っている。今は10階にいるということだ。

「このビルって14階建てなの?」

 ふと、オレの隣で赤崎が疑問を口にした。

 きっと、エレベーターの上には1から14までのパネルしか無いから、そう思ったのだろうが。

「いや、このビルは20階建てだ。このエレベーターでは14階までしか行けないみたいだけどな」

「ええー?じゃあ、15階とか上の階に行きたいなら、階段で上るしかないってこと?」

「いや、こういう時は別のエレベーターがあるんだよ。つまり、14階まではこのエレベーターで上がって、そこから他のエレベーターに変えてさらに上がるってことだな」

 オレの解説を聞いた赤崎は、「面倒くさそう」と口をへの字に曲げた。

「安心しろ、今日は5階のカフェで依頼人と落ち合って、概要と今後の予定について打ち合わせたら今日は終わりだから、上の階に行くことはない」

 そんな会話をしていると、いつの間にかパネルが『3』のところで光っていることに気付く。すぐに消え、『2』が光ったかと思えばまた消え、『1』が光ると同時に軽快なベルの音と共に明滅を繰り返す。

 目の前でドアが左右に開き、中からスーツの男性が4人出てくる。

 オレたちには目もくれず、まさに四散するそのサラリーマンたちとすれ違いつつ、速やかにエレベーターに乗り込んだ。




 ※※※




 角を左に曲がると、その突き当たりにはお目当てのカフェがあった。

「あそこが待ち合わせ場所?かなり奥にあったね……」

 後ろで赤崎がボヤいているが、正直なところオレも同感だ。わざわざここを選んだのには理由があるのだろう。

「依頼人から指定されたんだ、仕方ない。後で余裕があればここを選んだ意図を訊いてみな」

 どうせ、お気に入りのメニューがある、とかだろうけどな。

 店員に人数を伝え、テーブル席に案内される。

 オレと美咲、江と赤崎で分かれて向かい合って座る。ちなみに、オレと江が通路側だ。

 依頼人には、江の隣に座ってもらう。赤崎がかなり窮屈になるが、しょうがない。

 それぞれが飲み物を頼み、それを待つ間に美咲が口を開いた。

「じゃあ、そろそろ依頼内容を教えてくれる?」

 オレは「ああ」と返事をすると、今回の依頼内容を纏めた紙を取り出した。さっき移動中の電車で作ったものだ。

「依頼人の名前は綿貫わたぬき 竜也たつやさん、妹さんがストーカー被害に遭って困っているらしい」

「警察に頼まないのには理由があるのかな?」

「聞いてみないと分からないが、どうせ大事おおごとにしたくないだけだろうな」

 今日の放課後に連絡を受けただけだから、情報はまるでない。

「この依頼人はここに勤めている人で、17時にこっちに着くみたいだ」

 今の時刻は16時50分。10月上旬のこの時間は空から青が消え、茜色が広がっている。

 つまりあと10分は待機時間ということ。

 この10分は、さっき頼んだ飲み物で潰すしか……

「お待たせしました」

 顔を上げると、女性のウエイターがトレイにコップを4つ並べて乗せていた。

「アイスティーのお客様、エスプレッソのお客様……」

 配られている間、俺はその店員から何やら金属音が僅かに聞こえるのを感じ、見ると店員の腰にはポーチが付いていた。服とポーチを繋ぐカラビナが光る。少し重そうに揺れるそれが音源だと理解した俺は、意識を目の前に置かれたアイスティーに向ける。

 そして4つのコップがテーブルに並ぶと、ウエイターは整った作法で「ごゆっくり」と呟き、丁寧に去っていった。

 俺は目の前に置かれたアイスティーに手を伸ばし、ストローをくわえる。

「あれ、なんて読むのかな?」

 口の中で気持ちいい冷気が駆け回る中、斜め前の赤崎がそう言った。

「なんのことですか?」

「さっきの店員さんのネームプレートに、角度の『度』に出会いの『会』って書いてあったんだけど、あの人の苗字なのかな?」

 俺は頭の中で、さっきのウエイターの姿を思い出す。

 確かにあの女の胸元に「度会」と書いてある板が着いていた気がする。

「真希の言う通り、それは苗字よ。『わたらい』って読むの」

「へぇ!知らなかった!」

 知らない人からすれば、『どあう』や『たびあい』と読んでしまうだろう。

 美咲に教えられて、この中でただ1人、赤崎だけが学習できたみたいだ。


 時刻は16時54分。

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