第3話 毒殺だな

 小倉さんに手を差し伸べてもらった10分後。

 例の3人組に本気で警戒けいかいしながら仕事をしていたとき。

 その警戒すべきテーブルの1つ手前の席で、


「ぐぉっ……」

 1人の男性客がうめき声と共に、

「ぉぉ……ぐぁぁあぁっ!」

 ———ソファから倒れ落ちた。


 ……って、

「え、えぇぇぇえ!?」

 料理を運んでいた小倉さんの背後でそれが起きたため、彼女は振り返って見てしまった。

 その男性を見て、悲鳴を上げて腰を抜かす。

 同時に、同席していた2人が立ち上がった。

「うおっ!」「なんだなんだ?」「食中毒か?」

 周りのお客さんもざわつき始める。

 あまりに急な状況に私も理解が追いつかず、ただ立って見ていることしか出来なかった。何せこの店で食中毒なんて見たことない。

 でも今は、すぐに頭を回転させ今すべき行動を模索もさくしなくては。

「と、とにかく、食中毒なら救急車を呼ばないと!」

 そう判断し、ポケットからスマホを取り出して119番を押す。

 うつむいて、脳内で響き渡る心音をどうにか無視しながら、コール音に耳を傾けていると、


「警察も呼びなさい」


 その声は急に流れ込んできた。

 驚いて顔を上げると、目の前のカウンター1つを挟んだ向こう側に女の子がもたれ掛かっていた。

 まばゆい漆黒が映えるロングを添えた美しい目鼻立ちは、見間違えようもないさっきの3人組の1人だ。

 胸に赤い校章を付けた色沢高校の制服を着たその子は、倒れた男性客の方を見ながら話す。その眼は努めて冷静だった。

「これは殺人事件よ……あ、まだ未遂だったわね」

 つい私も彼女の視線の先、つまり男性客の方を見る。

 するとそこには、色沢高校の制服を着た男の子が片膝をいていた。

 また、さっきの3人の……。

 その男の子は男性客を見ながら顔や体を触り、

「牛乳をコップ1杯持ってきてください」

 優しい口調で小倉さんに声をかける。

 小倉さんはすぐに「わ、分かりました!」と返事し、ドリンクバーへ走る。

 救急車と警察に一通ひととおり情報を伝え、私も男性客のもとへ走る。

 私がそこに着くのと同時に、小倉さんがコップに牛乳を入れて走ってきた。

「持ってきました!」と言って男の子にコップを渡すが、なぜか反応しない。

「ど、どうかしました……?」

 私は恐る恐るくと、その男の子は立ち上がり、


「……もう手遅れだ」


 そう言って首を振った。

 しばらく腕時計を見つめた彼は、また座り込むと、

「……毒殺だな。おそらくアルカリ性薬品……漂白剤とかだろう」

  変わらず落ち着いた様子で言葉を続けた。


 ……もう手遅れ?毒殺?

 ……てことは、その人は死んでる……?


 外では近づいてくるサイレンの音が、頭の中で遠ざかっていく気がした。それでも意識が飛ばなかったのは不幸中の幸いだろう。




 ※※※




 その後、警察と救急隊員が来て様々な対処が行われた。

 今日いた店の関係者は全員2つの空席に集められた。

 今は平日の夕方前ということもあり、いたのは私を含めて5人しかいなかった。

 しばらくして、1人の男性がこちらに来た。

「私、警視庁捜査一課刑事部の飯間いいま あゆむと言います。この中に責任者の方はいますか?」

「あ、はい。私が店長ですが……」

 どうやら刑事らしい方に尋ねられ、店長が立ち上がる。

「監視カメラの映像など色々調べたいことがあるので、ご同行願いたいのですが……」

 店長は多少オドオドしながら「も、もちろんです」と言ってついていった。

「何か大変なことになってきたね……」

「え、ええ……」

 隣の小倉さんに声をかけられ、店長と刑事さんの背中を見つめて答える。

 この空気で何を話せばいいのか分からず考えていると、ふとさっきの言葉を思い出した。

「さっき、ウチの高校の男の子が倒れた男性を見ながら『アルカリ性の薬品』って言ってましたけど……あれって、そんなかんじの薬品を飲んだってことですよね?本当なんでしょうか?」

 私の何気なにげない疑問に小倉さんが「さぁ」と答えた直後、


「本当です。根拠もあります」


 私の背後から聞き覚えのない声がして、肩が跳ねてしまった。

 ゆっくり振り返ると、そこには色沢高校の制服に青い校章が付いた女の子が立っていた。

 こちらも唯一無二の流麗さを持つ黒髪を肩のあたりまで伸ばし、幼く可愛げのある顔立ちも相まって中学生とも見て取れる雰囲気を携えている。私の1つ下なのにずっとずっと子供のような少女だ。

 彼女は人差し指をピンと立てると、饒舌に解説を展開し始める。


「呻き声、嘔吐おうと、チアノーゼ、呼吸困難に血圧低下……どれもアルカリ性薬品を誤飲した時に見られる症状です。まぁ、チアノーゼや呼吸困難は重症時に見られるので、かなりの量を摂取したと思われます。ちなみに、チアノーゼっていうのは、簡単に言うと血液中の酸素濃度低下によりくちびる皮膚ひふが青紫色に変色することです。まぁ、ただの高校2年生のあなたは知らなくて当然ですけど」


 ……。

 あまりに丁寧な解説に、ただ黙って目を丸くするしかなかった。

 この子、本当に1年生なのか……?

 疑問に思っていると、その子の後ろから飯間刑事が歩いてきた。

「驚いているところ失礼しますが、彼女の言う通り、死因は塩素系漂白剤、つまりアルカリ性薬品誤飲後の呼吸困難による窒息死です。また、彼女の的確な判断と行動により事件発生時に店内にいた人は誰も出ていません。なので、我々は監視カメラの映像をしっかり吟味ぎんみできます」

 的確な判断と行動?

「別にあれは私の判断じゃないですよ。部長に『これは事故じゃなく、何者かが意図して起こした事件だ。そして、その犯人はこの店にいる。だから店から1人も出すな』って言われたから、扉を封鎖したの」

 部長?

 彼女が喋るたびに新たな疑問が生まれる。


 ……って、あれ?

 さっき私のこと『2』って言った……?


「まぁ、それはともかく、我々が監視カメラを解析したところ容疑者になりうる人物は2人でした。よって、それ以外のお客さんには身体検査を受けてもらった後に帰ってもらいますが……申し訳ないですが、店員の皆さんには残ってもらいます」

 容疑者2人というのは、亡くなった男性と同席していた男性たちだという。

 また、店のことを始め様々な瞬間の状況を確認するため、私たち店員から証言が欲しいとのこと。

 当然スタッフ陣からの拒否はなく、刑事さんは一旦どこかに去っていった。

 やっぱ警察の人と話すのはドキドキするなぁ……。

 そんな感慨かんがいふけっていると、再び後ろから声をかけられた。

「すいません、もし良かったらこっち来ませんか?」

 さっきまで大人びた話をしていた1年生ちゃんが、いたずらっ子の雰囲気をただよわせながら提案してきた。

「こっちって、どっち?」

「もちろん、事件現場ですよ?そこの仲良しな先輩さんも一緒にどうでしょう?」

 その提案には、何やら言外に裏側がある気がした。

 拒否しようと思い口を開いた瞬間、

「その質問に答える前に……ひとつ訊いていいかな?」

 小倉さんの冷静な声に口が止まった。

「あなたに、私たちをそこへ連れて行く権利はあるのかな?私にはただの高校生にしか見えないんだけど」

 小倉さんの強気な問いに、彼女は挑発的な笑みを浮かべる。

「私の答えは『半分は正解、半分は不正解』ですね」

 そして、丁寧に説明してくれる。

「書類上や口約束で私にそれをする権利は与えられていません。だけど、私は『探偵部』の人間なので……詳しいことは言えませんが、警察相手なら多少の融通ゆうずうが利きます」

 ……え?

 とても長く感じられる3秒の後、私は彼女の言葉を理解した。

 いよいよこの子のことが分からなくなってきた……。

 正体が気になってしょうがない!

「私、着いて行きたいです!先輩も行きましょうよ!」

 そして、ついつい言ってしまった。

「え?まぁ、私はいいけど……」

 その返事に「よしっ」とガッツポーズをする。心の声がれてしまった。

 とりあえず手を差し出して、自己紹介をする。

「私は赤崎 真希って言います。あなたの名前は?」

「……緑橋みどりばし こうです。分かっているでしょうが、色沢高校1年生です」

 そう言って柔らかく繊細な手と握手を交わした。


 この事件を通して、この子を始め謎の3人組の正体を暴かないと!

 私の硬い決意の側で、その少女が微笑ほほえみを漏らしていたことに、誰も気づかなかった。


「…………成功」




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