第4話 恋人未満友達以上


 

 私、不破ふわ 美月みつきには小学生の頃から逃げ癖と、その延長線で放浪癖がある。きっかけは多分母親だ。


 私の母は日常生活の中突然ヒステリックになり、金切り声を上げては手当たり次第に近くにある物を投げてくる。きっかけは様々で、私がごちそうさまと言わなかったからだとか、家を歩く足音が煩いだとか、極めつけは母への感謝が足りないなどと理不尽な理由を並べてきては、私に八つ当たりしてくる。


 母がこうなったのは私の父……正確には元父が私が小学生になる直前、母を捨てて蒸発してしまったからだ。


 まぁ高校生になった今、数少ない記憶を思い返してみればあの元父親は悪い人ではなかったと思う。少なくとも私は元父親に対して不快な記憶はない。


 ただ母親の束縛が酷かったのだろう。たった数分。会社から家にかかる時間を過ぎただけで、母は父を怒鳴り散らしていたし、休日は必ず家族三人でお出かけという決まりがあった。


 父も一人で居たい時だってあっただろうし、私も三人で出かける割には母が私のことはガン無視だったので、結局父も私も母の都合に振り回され続けているだけだった。


 私も父のようにどこかに逃げてしまいたい。けれど一人暮らし出来るだけの経済力もない私にはとてもじゃないが無理だった。


 申し訳なさからなのか父が蒸発した後、学費や家賃諸々の生活費を払ってくれている父方の祖父母に頼めば、もしかしたら一人暮らしが可能なのかもしれない。けれどそこまでしてしまうと私は自分のがめつさに自己嫌悪に陥ってしまうに違いなかった。


 だからなんとか一人立ち出来る目処が立つまで、私は今の家に母と一緒に住むしかなかない。


 まぁだからと言ってずっと家に居なければならないわけではないので、逃げと放浪を兼ねて今日も今日とてお買い物。


 大体週末私はこのアニャメイトに来ている。学校帰りに毎日寄ろうと思えば寄れるけど、漫画や小説の発売日は大抵5の倍数の日にちなので、一週間毎にくれば良い感じに品揃えが変わっているのだ。


「ふぉお!! 『もちうさ』の新刊出てるじゃんっ! あっ! 『オールドゲーム』の新刊も!! そうか。今日はきらきら漫画MIXの新刊発売日か!!」


 大好きなきらきら漫画の新刊たちに悶えながら、積まれた本の上から二番目に指を滑り込ませ引き抜いていく。

 なんとなくいつも一番上を取るのを避けてしまう……なんでとは言えないが昔からの癖だった。たまーに同じことしてる人を見るので、分かる人には分かってくれると思う。


 あと私は新刊の発売日を調べたりしない。決して調べるのが面倒くさいのではなく、こう……刹那的な出会いの喜びを楽しみたいからだ。

……嘘です。昔は全部把握してたんだけど、読む漫画が絞られていくにつれて面倒くさくなったからです……


 それはさておき、最終的に五冊ほど本を抱えてレジに向かう。すると途中に百合漫画コーナーを見つけて、なんとなく足を止めてしまった。


「百合漫画……百合漫画ねぇ……」


 一応今手に持っているきらきら漫画たちも百合といえば百合なのだが、ここに並べられている本たちの百合はもっと濃い。女の子同士の、時には男の子も入り混じったドロドロの恋愛劇が繰り広げられるタイプの作品だ。


 私の中での百合のイメージはどっちかというとフレッシュでキュートな女の子たちが、ワヤワヤと緩ーい感じでいちゃいちゃするといった感じ……って我ながら凄く頭の悪そうなイメージだ……


 それに私は修羅場とか、感動的な展開とかそういう感情の起伏が激しくなるような作品は苦手だ。感情を動かすというのは私的にはとても体力のいることで、そういう作品を見ると心がドッと疲れてしまう。


 なので私はオタクという人種の、その中で更にゆるふわ日常四コマ系を愛するオタクだと自分では思っている。

 だから普段はこういう本は買わないのだが……


 先日、後輩ちゃんと生徒会室に行ったときに、最後の最後で生徒会長に言われたことを思いだす。



『不良娘、まさか気づいていながら未だにその態度を取ってるのか?』


 生徒会長は出ていく前、私を後輩ちゃんから引き剥がし、がっちりとホールドすると、耳元でそう訝しんできた。


『な、何がですか?』


『白壁のことだ』


 その言葉に、ドクンッと心臓が跳ねる。前々から思ってはいたがこの人はあらゆる意味で凄い。やっぱり私とはまるで違う。


『あー……あははは……流石会長。ご慧眼』


『ふんっ。茶化すのは構わんが、いつまでもこのままでいると後悔することになるぞ?お前も、白壁もな』


『……………………』


『……まあいい。これはお前たち二人の問題なのだからな。だが、から一つ助言をやろう』


『助言……?』


『不良娘、お前は感情に一定以上の動きをさせようとしない。それ故人に必要以上に近付こうとしないようにしているのは分かる。だがな、もし少しでも、自分の中に近付いてみたいと思う人間がいるなら、一歩踏み出してみろ。それは大きな痛みを伴うかもしれないが、お前にとって必ずプラスになる』



 なんてことを言われた後、私が誤魔化すように「生徒会長が真面目なこと言ってる」って更におどけてみたら腹パンされた。当然の結果である。それにしても……



「一歩踏み出す……ね……」


 私自身、この百合漫画たちの登場人物のように後輩ちゃんに恋愛感情を抱いてはいない。どちらかというときらきら漫画のような一番仲の良い友達……親友みたいな感じだ。


 ただ二年前、私のせいで後輩ちゃんとの間にできてしまった壁がある。私はその壁を取り除きたい。傲慢と思われるかもしれないが、やはりどこか引っかかりのある今の関係を、中学時代の屈託のない関係に戻したかった。


 もしかしたらそのためのヒントが、この目の前にある百合漫画たちにあるかもしれない。浮き沈みのある物語がある漫画だけれど、都合の良い解釈をするなら、苦難を乗り越えて更に女の子たちが仲良くなるストーリーなのだから。


 だから……と数ある本の中から一番気に入った表紙の一冊の本に手を伸ばす。なんとなく、私と後輩ちゃんに似ていたから。


『禁断の果実』


 この本は私にとっての毒リンゴとなるのか、それとも……


 ─────────────────────────────────


 翌日の放課後、家に帰りたくないので後輩ちゃんとどこかへ行こうと思いラインしてみると、今日は休んでいると連絡があった。


『大丈夫?』と送ってみると『病気じゃないんで大丈夫です』と返ってくる。


『じゃあ家行っていい?』と送ると、少し間があった後『部屋片付けるんでゆっくりきてください』と返ってきた。


 後輩ちゃんの家にはそれなりに行ったことがある。多いときで週五ぐらいで通っていたぐらいだ。その間一度も後輩ちゃんの部屋が散らかってたということはなかったけど……


 ストレスでも溜まって散らかしてしまったんだろうか?と余計な思考が過ぎる。後輩ちゃんに限ってそんなことはない……と思う。

 自分の母の行動を後輩ちゃんに重ねてしまったことに、自己嫌悪してしまい少し気分が沈んだ。


 でもとりあえずお許しが出たので後輩ちゃんの家に向かう。私の家と後輩ちゃんの家は一駅離れていて、小学校は違うが中学校では同じ校区内だったので一緒だった。


 なのでいつもより一駅先で降りて、ゆっくり来てと後輩ちゃんに言われたので、少し考えごとをしながら歩いていく。


 考えるのは当然、昨日購入した本のことだった。

 ストーリーは片想いしている後輩の女の子が、同じ高校の先輩に想いを寄せていて、仲の良い友達のままで今までは満足していたけれどある日先輩が他の女の子と仲良くしているのを見て、他の人に取られるぐらいならと後輩の女の子が告白する。という感じだった。


 結果としては上手くんだけど、基本的に後輩の子の心情がメインで、しかも私は後輩ちゃんと恋人になりたいわけではないので、私としてはあんまり参考にはならなかった。


 でもやっぱり物語の主人公っていうのはどこかで一歩踏み出している。現実でもそうである通り、自分に都合の良い展開が突然降って沸いてくるなんてことはそうそうないのだ。


 だから私もどこかで一歩踏み出す必要がある。今まで人に対して引いていたラインを自分から乗り越えなきゃいけない。

 今日、もし言えるような状況が来るなら、その時に言ってみよう。また彼女のことをむくと呼べるように……



────────────────────────────────────



 我ながららしくもないセンチメンタルな気持ちになりながら、決意を固めて後輩ちゃんの家の前に立つ。後輩ちゃんの家は住宅街に並ぶ、二階建ての一軒家だ。


 インターホンを押すと『ぴーん』と音が鳴る。そして『ぽーん』と鳴る前に扉が開いた。この早さ……もしかして後輩ちゃんずっと玄関いたんだろうか。


「あっ……えっと……いらっしゃい先輩」


 扉を開けたは良いがどうやら言葉が出てこなかったらしく、ぎこちない様子で後輩ちゃんが挨拶をしてくれる。いや、まだ体調が優れないんだろうか?


「はろはろ!具合はどう?」


 一応聞いてみる。


「だいぶ元気になりました。明日にはちゃんと学校に行けます。あっ! こんなところじゃなんなんで先入って下さい!」


「ありがとー! じゃあ遠慮無くお邪魔しまーす!」


 そう言って、私と後輩ちゃんは階段を上り二階にある後輩ちゃんの部屋に入る。中に入ると部屋は後輩ちゃんの匂いで満ちていた。


「後輩ちゃんの良い匂いがする……」


「変態ですか!」


「いや冗談冗談!」


 本当に良い匂いするから冗談じゃないんだけど、後輩ちゃんが怒りそうなのでそう言っておく。


「でも後輩ちゃん元気そうで良かったよ。普段あんまり学校休まないし」


「先輩のサボりに付き合って休むことは結構ありましたけどね」


「あーいや、あははは……」


 痛いところを突かれてしまった。でも毎回私の身勝手な行動に付いてきてくれる後輩ちゃんには、本当に心の底から感謝している。

 けど、気恥ずかしさからか後輩ちゃんに感謝を伝えようとした口は、誤魔化すように笑いを溢すだけだった。


「それに今回だって、熱とかじゃなくてまんぐぁうっ……!」


 勢いよく喋っていた後輩ちゃんの口が唐突に紡がれる。


「まんぐぁぅ?」


 後輩ちゃんの顔がみるみる赤くなっていく。ちょっと面白い。


「いやっ!これは……えっと……そう! 万華鏡! 万華鏡にどハマリャしちゃって!しょ……それで寝不足にゃにゃっちゃって!」


 いやいや……それは流石に無理があるよ後輩ちゃん……しかも途中噛んじゃってるし……


 そう思うもあまりの後輩ちゃんの焦り具合を見て口には出さない。けど……「まんぐぁぅ!!」って感じの止め方から察するに……漫画? いや、マンゴーの可能性も捨てがたい……違うか。マンゴーで学校は休まないだろう。となるとおそらく漫画で合ってると思うんだけど……けどなんで漫画を読んでいたことを隠すんだろう……


 わざわざ隠す必要がある漫画……BL漫画とか? 確かに後輩ちゃんが腐女子だったら驚くけど、たまに一緒に行くアニャメイトでの行動を見るにそれはなさそうだ。ならあと思いつくのは……まさか……えっちな本!?

 いやいや、それこそまさかのまさかだろう。確かに後輩ちゃんそういうのに疎いしちょっと見ちゃってハマったとかありえないでもないけど……ヤバい。これは本当にそうかもしれない。


「せ、せんぱーい? おーい。せんぱーい!」


「はっ! 私的には全然大丈夫だよ!」


 ズブズブと疑問の渦に飲まれていた思考が、後輩ちゃんの声で我に返る。


「なにまた訳の分からないこと言ってるんですか……ちょっと私飲み物入れて来ますね。リンゴジュースで良いですか?」


「も、もちのろん!」


 とんでもない答えに辿り着いてしまい、若干声が裏返りながらそう答えると後輩ちゃんは「ふぅーっ」と大きく息を吐きながら部屋を出ていった……と思ったら閉まった扉が再び勢いよく開いて、後輩ちゃんがジト目でこちらを見ていた。


「部屋の中荒らさないでくださいよ」


「大丈夫大丈夫! いままでそんなことしたことないでしょ?」


 すると後輩ちゃんはまだ信用してくれていないのか怪しげにこちらを見つめながら、また扉の奥へスーッとドアノブを引いて消えていった。


 事実、私は後輩ちゃんの机の中やクローゼットの中を見たりしたことはない。後輩ちゃんのバストが一体どこまで大きくなっているのか、そこのクローゼット下の棚からブラを引っ張り出して知りたい気持ちはないでもないが、なんとなく私も自分の部屋の中を好き勝手見られたりするのは嫌なので、私も人にそういうことはしない。


 と、思ってはいたのだけれど、後輩ちゃんが出ていったあと手持ち無沙汰だったので部屋を見回していると、なにやらクローゼットの隙間から三角形のものがはみ出していた。


「?」


 興味本位で近付いてみる。すると覗いていた三角形の正体はどうやら漫画の角の部分のようだった。けれどタイトルが書いてある方が奥に行ってしまっているため、本の名称が分からない。

 もしかして、これが後輩ちゃんが休んだ原因の本なんだろうか。


 それが一体どんな本なのかとても興味をそそられる。これが分かれば後輩ちゃんに一歩踏み出すきっかけになるかもしれない。

 けれどもしこれがよっぽど見られたくないもので、それを勝手に見てしまったことがバレれば更に溝が深まってしまうだろう。


「うーん……どうしたものか……」


 後輩ちゃんが帰ってくるまでの時間がない中、先っちょだけ出てる漫画とにらめっこしながら最終的に私が決めたのは『見なかったことにする』だった。


 ここで無理に見て後輩ちゃんとの仲が悪化するリスクを取る必要は無いと思う。それに後輩ちゃんはこの本を本当に見られたくないものかもしれないし、逆にこの後普通に見せてくれるかもしれない。


 だからそっと漫画の角に指を添えて、奥に押し込む。そしてまたはみ出さない内ににクローゼットを素早く閉めた……はずだった。

 漫画が私の予想より早く再び倒れてきてしまい、私が反射的にクローゼットを左手で押さえると、本が再びクローゼットに挟まった。


 これはまずい……と感覚で察する。おそらくさっきまではみ出ていた漫画は何かに引っかかっている状態だったのだ。なのにさっき私が押したせいで引っかかっていたものが取れ、今度は支えるものがなく重力に負けて落ちてこようとしている状態になっている。


 けれどよくよく考えると焦る必要はなく、今度はちゃんと本を抑えたまま扉を閉めればいいのだ。最後に指だけスッと抜けばいい。

 なのでもう一度本の角に指を添え、奥に押し込んでいく。その時だった──


 部屋のドアが開く音がした。


「先輩……何してるんですか……?」


 か細い声が私に向かって放たれる。


「いや……これはちがっ!」


 驚いた私は必至に否定しようと、手を振る。


 すると今度は横からボトッと重たい音がした。先程まで挟まっていた本が表床に落ちたのだ。

 しまった。と思ったときにはもう遅く、私の目は自動的にその本に吸い込まれてしまう。


『禁断の果実』


「……っ!」


 後輩ちゃんの大好きな綺麗な水色をしたカーペットの上。そこには見覚えのある本が落ちていたのだった。


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