1-6 お父さんも
お父さんの会社のビルは、大きな通りの角にあった。
店舗の出入り口になっているところとは直角になった別の面が、いくつかの区切りとなっていて、一つ一つが、別々の会社の出入り口のようになっていた。
で、角部分は店舗になっているが、店舗に一番近いところの、幅の広いひとつの区切りが、お父さんの会社の玄関だった。
車はビルの裏の通りでとまり、おれとあやかさんは、そこで車を降りた。
デンさんは、そのまま、家に戻っていった。
車を降りる前に、あやかさん、『適当に帰るので、迎えの心配はしないで下さいね』と、デンさんに話していた。
美枝ちゃんには、そのこと、伝えてあったけれど、まあ、念のため、と言うか、ひとつの儀式のようなものなのかもしれないな。
あやかさんが玄関に近付くと、正面の受付のところから、すぐに女性が玄関近くまで出てきて、ドアーが開くなり挨拶された。
いつか、一人で来ることになったときのために、受付で、あやかさん、どのように話すんだろうと思っていたおれは、何か、肩透かしを食ったような感じ。
おれ一人で来たとき、どうすればいいんだろう。
その女性、お父さんの秘書の一人で絹田弘美さん、あやかさんとは顔見知り。
おれのこと『主人の櫻谷龍平です』と紹介してくれた。
おれ、あやかさんの『主人』だってさ。
何か、くすぐったくって、恥ずかしいような気持ち。
で、すぐに、社長室に通された。
12階建てのビルだけれど、上の半分は貸していて、社長室は6階にあった。
お決まり通りに、大きな窓に、大きな机。
でも、窓からは、正面に、道路をはさんで向かい合ってるビルが見え、端の方でビルが切れ、向こうに行く道路と空が少し見える。
そのせいか、窓には、やや厚手のレースのカーテンがしてあった。
机の手前に応接セットがある。
そのソファーに、あやかさんと並んで座る。
一通りの挨拶をしていると、絹田さんがコーヒーを持ってきてくれた。
そのコーヒーを飲みながら、少し雑談タイム。
お父さん、おれに、
「そうだ、あやかから聞いたんだけれど、櫻谷に決めてくれたそうだね。
ありがとう」
もちろん、名字のことだ。
そう言えば、あやかさん、お父さんにはメールしたと言っていた。
「いえ、うちはどうでもかまわないようだし、ぼくも同じなもので…」
「そう言えば、龍平君のご両親へのご挨拶は?」
「今度の土曜日に行くつもりでいます。
結構、みんな、あやかさんに会うのを楽しみにしてくれているようで…」
さらに、お袋が、あやかさんに会うのと同じように、家から少し離れた料理屋での鰻会席を食べるのも楽しみにしていることなど、余計なことまで話してしまった。
なんと、お父さん、その店には2度ほど行ったことがあるとのことだった。
「近く…と言うか、まあ、ちょっと離れてはいるんだけれど、工場で会議があったときに、昼に連れて行ってもらったんだよ。
でも、2回とも、うな重だったな…、うまかったけれどね。
そうか、鰻会席というのもあったのか…」
と、ちょっと残念そう。
でも、連れて行ってもらったんじゃ、あれ食いたいこれ食いたいと言うわけにもいかないんだろうな。
今度、機会があったら、一緒に行きましょうということになった。
で、そんな話から、おれも、ちょっと調子に乗ってきて、あやかさんに会うの、義兄さんが興味を持っていることや、その前に、本当に、あの櫻谷泰蔵のお孫さんなのかって、何度も聞いてきたことまでも話しちゃった。
まあ、あやかさんも、ニコニコしながら聞いていたんで、別にかまわなかったんだろうけれど…。
そうしたら、お父さん、笑いながら、昔の話になった。
「いや、実はね、私のときもそうだったんだよね…。
会社に入って数年したときに、社長…あっ、義父、今の会長だけれどね、そのお嬢さまがお店にみえるって言うときに、社長に大事なお客様が来ちゃって、しばらく、お前が相手をしていろ、となってね。
まあ、玲子さん、私が言うのも変なんだけれど、当時、ものすごくきれいでね…。
それで、何か、ぽーっとしちゃって、あまり話さずにいたようなんだよね。
そうしたら、それが鬱陶しくなかったのでよかったんだか、それからは、何かあると名指しで呼ばれて、お相手は私の係のようになってね…。
で、いつの間にか、結婚しようとなったんだけれど、誰よりも、うちの両親が驚いちゃってね…」
それから、おれのお義兄さんが心配したようなことを、お父さんのご両親が、やはり同じように心配していたことなどを、楽しそうに話してくれた。
でも、そこでひと区切りが付いたとき、あやかさんに、『雑談が長すぎる』と遮断され、お父さん、『やれやれ…』と、本題に入ることになった。
お父さんも、おじいさん同様、あやかさんにはかなわない感じ。
あやかさんが、櫻谷家で最強なのかもしれない…。
うん?いや、なにげに、最強は、玲子さんかも…。
そして、妖結晶の鑑定についての話となった。
今ある妖結晶は、基本的には、アヤさんが地中から取り出し(?)、由之助さんが加工等を指示しながら、それなりに整えて商品化したもの。
それが、第2次大戦のときに、やや乱れたらしいが、とりあえずはそのまま。
宝石の大小に関係なく数えると、現在、それが192個残っている。
ただし、そのうちの28個は、粗い砂のような妖結晶が少量ずつケースに入っているのだとか。
この砂のようなものは、もともとは紙に包んであったらしいが、今では小さく透明なシャーレのようなケースに入れてあるそうだ。
大きな結晶で、宝石としてもかなり高価なものは17個、そのうち、『湖底の貴婦人』を初めとする特に大きな4個の原石は、厳重に保管されているらしい。
その4個を除いた13個は、概ね良質の妖結晶らしいが、2,3個、やや質の落ちるのが混ざっている可能性があるらしい。
まず、そこから見ていってもらいたいと言われた。
ただ、全体的に、どういうものがあるのかわからないと、ランクを付けられないと思ったので、ざっとでいいから、初めに、全部見せてもらうことにした。
で、それらを、おれが、質がいいと思った順番に並べて、区切りを付けてランクわけすればいいのかと考えていた。
なのに、
まだ、完成していないが、砂状のもの28個を除いた大小の妖結晶164個、さらに、特に大きな4つを除いて160個、それを写真に撮って、それをもとに、宝石の輪郭となる図を作っているとのこと。
正確な、10倍の拡大図だ。
カットされているものは、そのカット面もわかるようになっているとのこと。
その図に…、宝石を、真上から見た図になるんだけれど、おれに見えたそのままの色合いで、色付けをして欲しいと頼まれた。
なるほどですよね。
そうしておけば、誰が見ても、質がわかるんだろうから…。
でも、それは、ちょっと、大変な作業量なんじゃないだろうか…、と思う。
正確さの程度にもよるだろうが、160個、今日明日で終わるというようなわけにはいかなそうな雰囲気だ。
しかも、最悪なことに、おれって、こう言うことが大好きで、かなり凝ってやってしまいそうだ。
あまり時間をかけすぎてもまずいかな…なんて考えていたら、これ『できうる限り正確に』描いて欲しいと、重ねてお願いされて、なんだか、喜んでいるおれがいる。
しかも、普通の拡大鏡のほか、実体顕微鏡というのだろうか、拡大鏡の親分のようなものや、1ミリが10等分されているレベルの定規のようなものまで用意してあるとのこと。
なんか、ジ~ンとくる、うれしさ。
要するに、それで正確に測りながら、10倍に拡大して、一つ一つ、色塗りをしていかなくてはならない。
色塗りは、色鉛筆でいいといわれたが、それも、100色のものが用意されているとのこと。
そんな中、おれ、自然と、
「上から見ただけじゃなくて、例えば横から見たときに、なんか特徴があったときには、その横に略図を描いて、メモのような形で書き込んでおけばいいですかねぇ?」
なんてこと言って、お父さんを喜ばせている。
ただ、不安もあることは…あるんだよな…。
妖結晶を見るためには、緊張して、目の色が深いセピア色になった状態にしておかなくてはならない。
そのように、目の色を、どのくらいの時間、変えていられるかがわからない…。
前に、引き寄せるの、ずっとやっていたら、クラクラして気分が悪くなった記憶があるから…、1日に、そんなに長い時間やってはいられないだろうとも思う。
もう、これは、どうやっても今週中には終わりそうにない感じがしてきた。
それで、意見を聞くような感じで、隣のあやかさんを見ると、おれの方を、ちょっと心配そうに見て、
「想像以上に、大変そうな仕事だね」 と言った。
と言うことは、お父さんに、この人に、そんな大変な仕事をさせちゃダメだよ、とか言うのではなくて、おれに、その仕事、ちゃんとやってね、と言う、そんな意味あいなんだろう。
いくら時間をかけてもいいということだ。
まあ、この鑑定は、あやかさんも、ここの事業の根幹に関わる重要なことと捉えているから、あたりまえと言えばあたりまえなんだろう。
来たからには、やらなくてはならない仕事、ということだ。
フフフ…、まあ、じっくりとやってみようじゃないですか。
と言うことで、おれが作業する部屋に案内された。
金庫室の前にある、警戒厳重な部屋。
特別に管理されている4つの宝石は別だが、とりあえず、そのほかの宝石、今は、すべて、この金庫室にあるのだとか。
これ、おれが作業するために、日曜日と月曜日の二日間で、急きょ集めたらしい。
土曜日に、お父さんたちと食事をしたが、おれとあやかさんが帰るとすぐそのあとに、お父さん、方針を決めて指令を出したらしい。
神戸の支店においてあったものまで、日曜日の午後にはここに届いていたらしい。
それで、整理番号を振り直し、ひとつひとつ写真を撮って、その輪郭を描いて、と、結構すごい仕事を短時間でやっていたのだ。
そんな話を聞いちゃうと、こっちとしても真面目にやらないわけにはいかない。
もっとも、いい加減にやろうなどとは思っていなかった。
いや、好みのままにやれば、お父さんがビックリするほど、しっかりと、凝ってやることになるだろう。
ただ、やったことのない作業…、どこにどんな伏兵が潜んでいるのか、まったく見当もつかないんだけれど…。
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