幕間 「血よりも朱く、陽よりも熱く、滾らせる思いは誰が為に」


 ――同日、ロスティア共和国サンジョヴェーゼ州レドラゴ連峰。


 すっかりと、蒼を蝕んでは己の色に染め上げた黄昏の下。

 州を跨いで延びるレドラゴ連峰はいま、草木少ない嶮峻けんしゅんな山肌を一面朱く染めている。

 一見、燃えているとさえ思えてしまうほどに、鮮烈に、美しく。

 まさに絶景。そう呼ぶに相応しい景色を、嘗て太古の時代に遠方から眺めた此の地の人々は、「まるで我が物顔で横たわる朱き巨竜だ」と言い表し心を熱く揺さぶった。

 同じく、その山肌は朱き巨竜の棘鱗きょくりんとも呼ばれているが。その所以は、風雨に曝され溶け崩れた石灰岩から成る自然の石塔をなぞらえたところにる。

 故に、沈む陽の光を受けたそれは炎の揺らぎのようであった。

 しかし、それほどまでに美しいと言われる絶景は、多くの人間を魅了し、狂わせる。

「これだけ絶景なのだ。頂へ至れば、そこから眺める景色はさぞかしもっと美しいのだろう」

 と、そう言っては無謀な登頂を臨む者が後を絶たず。足を滑らせてはその身を石塔に捧げる者は多かった。それどころか、石塔にも臨めず魔獣に喰われる者の方が多かったが……。

 だが、それも今は昔の話。人間の技術が進み、空を自由に翔けるようになってからは、そんな無謀を冒す者は誰もいなくなった。

 であるからこそ、未だこのレドラゴ連峰の山巓さんてんは人の足が踏み入れられたことはなかった。

 そう、なかったのだが――。


「あぁ、やっぱりこんな付け焼刃な奇襲じゃあ、一隻も墜とすことは出来ないか」


 現在その山巓にて、ひとりの男が嗤って佇んでいた。

 暑さすら覚える景色の印象とは裏腹に、厳寒を越えたばかりの冷風が男の黒と銀の髪を強く吹き流し、顔に掛かるのを鬱陶しそうに掻き上げている。そんな男の姿が。

「所詮は人の真似事、本物の人間相手に使ってもそれほど通用しないわな」

 男は嗤い続けたまま黄昏の向こう、遠い地平線をその紅い双眸でひたと見据えている。

 そこに消えて行く魔動空船の数々を。独り言のように呟いてからフッと笑みを消した。

 それから羽織った薄手のコートの懐からワイン瓶を取り出して、直に呷る。

 渇きを潤すために喉を鳴らし、半分ほど中身を飲み減らせば、ふぅっ……と一息。

「まあいい、元々人間と駆除屋共を仮初めの安心に静める為の負け戦だ。ここであの蠅共を全機墜としでもしたら、それはそれで困っちまう。本当の目的はこのあとだからな。……そうだろ、?」

 誰に向けての言葉か。しかし、男が風にでも問うように虚空へとそう語りかければ――。

「キュイエェアアアァアアアァアアア――ッ!!」

 ひとつ、嫌に耳に響く金切り声が天より鳴り。風を伴って、それは男の傍らへと降りたった。

 細長い首をうねらせながらもたげ、夕陽で蒼鱗を煌めかせる姿。

 つまり飛竜。男はこの飛竜に語りかけていたのだ。

 けれど男の友好的な態度に対してその飛竜とはいうと、威嚇的に喉を鳴らし牙を剥いているあたり、どうやら男の一方的な好意だと窺えた。

「……なにをそんなに怒ってるんだ? どっちにしろお前達だけじゃ、あの殺戮兵器に全部殺されてただろ。お前も、今生きているこの後ろの同胞もな」

 挑発するように口の端を持ち上げながら、男は後ろ――陽が当たらず暗く翳った河谷かこくへと振り返る。

 そして底を覗けば数多に生え出る石塔。その一本一本の頂きにいる飛竜達を指して言う。

「俺がいなきゃ、お前達は例年の如くことわりに従って全滅してた。だが、そうならなかったのはいったい誰のおかげだ? 俺がお前達の自我を保ってやることが出来るからだろ?」

 大袈裟に男が大手を広げて言うさまは、さながら民を騙くらかす為政者の演説かのようだが。

 論ずる言葉は真理であると飛竜は理解できるからか、腑に落ちないとはいえ徐々にその怒りを、喉の鳴りを鎮めていった。

「そうそう、それでいい。まあ、同胞を目の前で殺されてゆくのも、その指示をした俺に怒りを向ける気持ちも分かるが。それは俺達の、未来の、自由の為の必要な犠牲だといまは考えてくれ。目的さえ果たされれば必ず、その犠牲以上の結果が得られるからさ。だから今は怒りを向けるべき相手を違えるな。本当に向けるべき相手はこのクソッたれな世界と人間だ。そう、話してお前達も納得したはずだよな?」

 飛竜は首肯する。

「なら――同胞同士いがみ合うのはこれっきりにしよう。此処での用も果たしたし、約束の日までもう間もなくだ。準備の為、次の場所に向かおうとしようぜ。な、兄弟?」

 男は饒舌な口ぶりで飛竜の傍まで歩くと、ぽんっと、その背を叩いた。

 すると、飛竜は仕方がないといった様子で渋々背を低い位置へ下げる。

「そんな嫌うなよ。どうせあと2陽の関係だろ?」

 軽々しく言いながら男がその背に乗れば、飛竜は鼻を鳴らして翼を羽ばたかせて、地から飛び立つ。石塔にいた数々の飛竜達も伴うその光景は圧巻だった。

「あらら、完全に気を損ねちまった。ま、別にお互い目的さえ果たせればいいだけだしな。こんな関係でも構わないか」

 なにを納得したのか。

 男はひとり機嫌良くして、飛竜の背中を器用に寝そべりながら黄昏を仰いだ。

 広がる朱を、しかし端からすでに黒が侵食してきている様子を。

「だが結局、自由を手に入れる為とはいえ、奴の思惑に自ら乗らなきゃいけないのはなんとも皮肉なことだがな。……ほんと、どうしようもねぇクソッたれな世界だ」

 挑むように眺めながら、最後の一言は世界そのものが唾棄すべきものとでも言いたげに吐き捨てた。

 それから男は、懐から懐中時計型のペンダントを取り出し、チャームを開閉する。

 中の時計は壊れていて秒針が時を刻んでいない。が、男にとって見るものはそれではなく、蓋の内側にこそそれはあった。

 写真。映っている姿は男と、その傍らで微笑む美しい女性。……人間との、二人のショット。

 男は写真を見ると、一瞬、それまで険しかった表情を和らげた。

 愛すべきものを前にして笑みが零れるといった様子だろうか。

 しかし、それもすぐに終わる。再び険しく、眉を顰めて。


「待ってろ……必ず、必ずこの呪縛から解き放たれてお前の元に帰るから。だから、お前ひとりが全てを背負うような早まった真似、すんじゃねぇぞ」


 男は心の底から願うと、ペンダントを大事に懐へと戻した。

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