序章 「古き記憶、始まりの前譚」part2
追いかけっこも何時間経っただろうか。
陽の落ちた森林の中、大木の根元にある洞に身を隠していた少年は虚ろ気に、自身でも無意味だと思えるようなことを頭に浮かべた。
何故なら何時間経とうが援軍が来ない限りこの追いかけっこは終わらない。もしくは自身の命が潰えるか、そのどちらかだからだ。
「まあ、俺が死ぬ方が早いか」
ボソッと、震えの治まらない右手を見つめて少年は呟く。
失血と寒さでもう肉体は限界に達していた。脚も上がらず、これ以上の逃亡も不可能。
武器もサバイバルナイフと通常弾三発だけの銃が一丁。異形に一撃を与えてやった魔法刻印の施された特殊弾も森林での逃亡戦で使い切った。……かすり傷さえ与えられずに。
次、異形に見つかれば確実に死が待っている。そうじゃなくとも、再び陽が上がる頃には凍死しているだろうが。
「……本当、無様だな」
洞内の幹に身体を預け、自嘲した。
なんせ、今のこの絶望的な状況を作り出したのは他ならぬ自分だ。
異形による突然の襲撃に、「俺ひとりでやれる。あんたらは先に町の住人を避難させてやってくれ。援軍はその後でいい」などと、一回り二回りも歳上の同業者達がいる中で声を上げたのは自分だ。いま思えば随分と生意気なことをぬかしている。
ただその時は間違ったことを言っているつもりはなかった。
今日この日、この辺境の町で十人もいない駆除屋の中で誰よりも実力があったことは間違いない。相手が一匹なら尚更自身の技術が光る。あの異形相手に二人も三人も必要ない。それに魔獣はあの異形だけじゃない。この世界は外、つまり人の生活圏から少しでも離れれば当たり前のように魔獣が闊歩している。だから住民の避難に人を割いた方が得策だと思った。
だが今にしてようやく気付いた。それは驕りだということに。
同業者との話が終わり、各々行動に移すとき、その場にいた最年長者の言葉を思い出す。
――本当にひとりでやれるんだな?
――別にお前さんの実力を疑ってるわけじゃねぇ。評判もよく耳にしている。
――だからだ。俺達はお前さんをガキ扱いはしない。いっぱしの駆除屋としてみている。
――これはただの最終確認だ。お前さんがやれるというのなら俺達はそれに頷くだけさ。
白髭を蓄えた中老の含みのある言葉。それを「何度も言わせるな」と突っぱねた。
実に浅はかだと思う。もしこの忠告に耳を貸し、自身の無謀さに気付き、作戦を仕切り直して全員で知恵を出し合えばもっと確実な案があったかもしれない。
だけどもう過ぎたことでもある。どれだけ〝たられば〟の話をしようが自身の発言と行動は変わらず結果として表れている。仮定通りになることはまずないことも自覚している。そもそも信じていなかったのだ、同業者達の実力を。異形の力量さえも推し量れずに。
何もかもひとりでやれると驕ったのだ。
同業者が腹を立てて援軍に来なくても何も文句は言えない。
そして数時間経っても援軍が来ないということは、やはりそういうことなんだろう。
少年はそうやって自身の愚かさに気付くと、ははっ……と力無く笑う。
「死に瀕して己が愚行を省みる……か」
それから、いつだったか誰かが言った言葉を口にした。
それは二年前に逝ってしまった少年の良く知る誰かの言葉。駆除屋としての仕事を教えてくれた人物であり、血の繋がらない育ての親でもある人物の言葉。
仕事が終わった晩は必ず酒場で酔っぱらって自身の武勇伝を少年に語り、最後にはそれをよく口にしていた。殆ど少年は聞き流していたが。
「忘れてたよ。あの時の、あんたの言葉。あんだけ酒臭い口で何度も聞かされてたのにな」
きっとこういった状況にならないように伝えてくれてたんだろう。だが結局無下にしてしまった。その後悔と自身に対する怒りで少年は弱弱しく地面を殴った。
「クソ……駆除屋としてあんたを超えてやろうと思ってたのにな。どうやらダメらしい……」
悔しさを滲ませた沈み消えるような声で少年は言う。
時間切れだった。さっきから眠気が酷く、意識を保つのも限界に近付いていた。
だが、いまさら抗う気もない。
もう死は受け入れていた。
正直、生き永らえる理由がないのだ。
生きたところで片腕を失った者に駆除屋の仕事なんて出来るわけがないのだから。
出来ないのであれば、駆除屋以外の生き方を知らない少年にとってそれは死と同然だ。
だから……これ以上生きる必要はなかった。
少年はゆっくりと瞼を閉じていく。その時――。
「……?」
ふと何かを気配取って、少年は俯けていた顔を持ちあげた。
洞の外に虚ろな双眸をやれば、いつの間にか雪が音もなくしんしんと降り始めている。
そのうえ今日は満月日。手が届きそうなほど近い月から放たれる青光りが暗い森林の間を抜け落ち、雪が照らされることで幻想的な景色が洞の前で生まれていた。
死に際の景色にしては上等だなと素直に思う。けれど気配の正体はまた別のものだ。とも気付いていた少年は、視線を幻想の中心に寄せる。
その只中にそれはいた。
烈火の如く憎悪を滾らせた紅き双眸。
脇腹の傷から滴り落ちた血で濡れた灰色の体毛。
人のそれとは規格が違う牙と爪。
されど、顔も立ち姿もより人に近付いたその存在。
――間違いない、異形だった。
葉擦れさえない静寂の中、奴の唸り声だけがこちらまで聞こえてくる。
「……やっぱり来やがったか」
やつれた顔に苦笑を浮かべて、ため息混じりに少年は吐き捨てた。
それから内心でも――あと少しであの世に逝けるところだったってのに、執念深い化物だ。とも心底から呆れ果てる。
だが、それで少年は良かった。
駆除屋として魔獣を狩って生きるなら、死ぬ時は魔獣に狩られるときだ。決してのたれ死ぬときではない。と、かような信条が根底にあったから。
「いいぜ、そんなに俺と遊びたいなら最後まで付き合ってやるよ」
だから、どっちみち死ぬならばと狂ったように笑みさえ零して、少年は気力だけで身体を持ち上げる。立ち上がってしまえば、いよいよあらゆる身体機能がぶっ壊れたのか、不思議とそれまでの気怠さも寒さも嘘のように感じない。脚だけは鉛のように重たいが……もう逃げ回る必要はないのだから何の問題もない。
――腹は括った。
虚ろだった瞳に再度光を宿して、少年は右手に自動式拳銃を携えた。
何故だか律儀に少年が動き出すのを待ち続けた異形もそれで身構える。
少年は大きく息を吸った。そして、
「うおおおおぉおおああぁあぁああああ――」
喊声を上げ、ふらふらな足取りで死出の旅路へと洞から躍り出る。
「来いよこのクソ犬っころ! テメェの眉間に鉛玉ブチ込んでやらぁ!!」
どうせ最後だと、これまでの冷静さは捨てて、なりふり構わず腹の底から怒号を上げた。
呼応して、異形も夜天の月へと哮り立つ。
互いの咆哮で大気が揺れ、森がさざめいた。
その中、少年は右手を突き出し銃口を異形へと向け、引鉄を引く。
狙いは宣言通り異形の眉間。銃声と共に、たった三発の銃弾のうち一発が火薬の燃焼によって押し出された。
だが、弾丸は狙った位置には真っ直ぐ飛ばず。異形の足元、それも随分と離れた位置に着弾した。
「クソッ!!」
少年は苛立ちを隠さず声を荒げた。
右腕に力が入らない所為で照準どころか反動すらまともに抑えることが出来ないのだ。
だがそれでも。と、構わず再度拳銃を片手で構える。
頭さえブチ抜けばこの化物だってそれで終わる。と、今度は反動によるブレも考慮して照準を定める。
しかし当然、異形もただ棒立ちのままでいるわけじゃない。少年の初撃後に動き出していた異形は、四足ではなく二足で、少年を喰らうべく雪上を駆け抜けてきている。器用に照準から外れながら廻り込んでくる。そこに獣性は既に感じられない。襲撃時の頃とは姿形だけじゃなく知性すらも人に近付いているようだった。
長く異形と対峙している少年が一番そのことを実感している。
こいつは魔獣なんかじゃない、人間でもないと確信している。
けれど――。
じゃあ、何か? なんて深く考えたりしない。そんなことは今更どうでもよかった。
何であろうと人を襲うのであれば、それは魔獣と変わらず等しく人の敵だからだ。
だったら駆除屋である自分は――と言ってもまあ、今日で自分が如何に驕りにまみれた未熟な駆除屋だったか見事に痛感させられたけど。でもだからこそ、ライセンスを持つ駆除屋として自分は発言含め責任を負わなければいけない。これ以上の恥は晒せない。だから――命を賭して最後まで迎え撃つ。その為に、眠ってくたばればいいのにわざわざ洞から出てきた。勝てる勝てないの問題じゃなく、打つ手を全て打って駆除屋らしく死ぬことを選んだ。
――意地を徹しに来た。
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