多分、一番大切なこと
軽音学部夏合宿ライブが終わり、時刻は22時半過ぎ。
自分と月無先輩は、飲み物を物色しに宴会場におもむいた。
「あ、ほら無限にあるよ。ボーナスステージ」
「おぉ。助かりますね」
少し前はライブの喧騒が広がっていた宴会場も、人はまばらだ。
聞こえてくる話し声は、ライブの余韻を携えて穏やかに響き渡っている。
「あ、やっぱり皆お酒飲むんですね」
「お楽しみライブは酒入れてやるもんだって去年ヒビキさんが言ってた!」
「ハハ、それはそれで楽しいんでしょうね」
お楽しみライブは、順位なども関係ない、ただ音楽を楽しむだけの時間。
酔っぱらって演奏できないなんて本末転倒にさえならなければ、楽しみ方としてはそれも一つの正解だろう。
「あ、紅先輩たちいるよ」
そんな会場の一角に、殺人狂時代の三年生三人がいた。
最後の合宿ライブを終えて、三年生だけで話す時間ということだろう。
邪魔しちゃ悪いかと思ったけど、あちらの方から手招きしてくれた。
「お疲れ様です! 紅先輩めっちゃカッコよかったです!」
「弾き語り憧れました!」
「ありがと。アンタらに言われるとちょっと自信つくよ」
挨拶とともにライブの労いをすると、桜井先輩がふと言った。
「ふふ、今日の鍵盤全員揃ったね」
「いやアタシは本職じゃないし」
夏合宿ライブで鍵盤を弾いたのは自分と月無先輩と草野先輩。
謙遜のようにしているが、草野先輩も本当に見事なものだった。
「じゃぁ本職二人から見て草野はどうだったか詳しく聞いておくか」
「それマジでやだ」
「あはは、いじわる~」
細野先輩の提案は速攻で拒否。
確かに逆の立場だったら誰だってそうする。自分もそーする。
「まぁまぁ。よければ二人とも座りなよ」
促されるままに合流して、話を続けた。
「でも実際褒めるとこしかないというか……唯一無二でした」
「あたしもそう思います! あれ、紅先輩だからこそだなって!」
今ライブで輝いた人は沢山いた。
三女勢を筆頭に、三年男子や二年女子勢と、観客を魅了した人となれば枚挙に暇がない。
「よかったじゃん草野。実際やりきったしな」
「まぁね」
「あれです、グラフェスの時みたいにMVP投票あれば必ず票入るんじゃないかと思うくらいでした」
「確かに……白井君いいこと言う!」
ベストパフォーマンスとなれば草野先輩も名前が挙がるだろう。
グラフェスを目指して磨きぬいた弾き語りスタイルは、他の誰もが及ばない個性だった。
「アハハ、お世辞でも嬉しいよ」
「いやお世辞では……」
世辞のつもりではなく、本気でそう思ったのだが……もしかしたら草野先輩の中で、この人が一番だったというのが決まっているのかもしれない。
バンドメンバーの意気込みを他人事のように言っていたし、プレッシャーや緊張をわざと口にしたりと、色々と複雑な感情を抱いているんだろうか。
「まぁでも、曲譲ってもらった分、あんくらいしないとね」
それでもライブには納得がいっている、そんな表情でそう言った。
少し気を遣う場面かと思っただけに安心した。
しかし、曲を譲ってもらったとは何のことだろうか。
「曲譲るって……つまりどういうことです?」
「あー、夏バンの初めにね。曲かぶりしないように話し合ってね」
「今のバンドだと~、ヤッシーとうちと
「あ、女性ボーカルでホーンバンドってことですね」
それぞれ個性にあった選曲ではあったけど、確かにそれはそうだ。
部内で被るのは避けたいところだろうし、主要メンバーで会議してその辺りは調整しているということか。
「ちなみに『ボーイフレンド』はうちが譲ってもらった!」
「あ、そうなんですね。マジか……」
「え、ゴメン、やりたかった?」
「あ、いや、児相こそやるべき曲って思えましたし、勿論それは全然いいんですけど……」
「けど?」
「……単純に聴きたかった」
是非巴先輩バージョンで……というか選曲で自分もaikoの曲出したんだよなぁ。
巴先輩が代案で別の曲を言わなかったのも、あの時にはもう児相が『ボーイフレンド』をやることが決まっていたからなんだろう。
それに実際のところ、巴先輩の歌と月無先輩のピアノで聴きたいという腹の内も看破されていた。
「フフー、あたし聴いたことあるよ! カラオケで! いいだろー」
「うらやま……!」
「アタシもあんね」
「私も~」
「……いや俺らの代皆あんだろ」
結構マジで羨ましい……。
三年生と一年生は部活で過ごす時間も半年とちょっとだし、そういう機会の差はあるだろう。
「でも巴とめぐるでお楽しみやるんでしょ?」
「やりますよ!」
「ちなみに何やんの?」
「それは~……内緒です!」
月無先輩のピアノと巴先輩の歌声のデュオは後で見れるし、自分の夢は一つ叶うようなもの。
大人な感じのバラードが予感されるが、今からそれが楽しみで仕方がなかったりする。
「そういやホーンバンドでゲーム音楽やるんでしょ月無達」
「え」
「あ」
「「バレてる……」」
細野先輩がふとそう言った。
草野先輩と桜井先輩も、噂には聞いていたのか、特に驚きもしなかった。
情報漏洩には細心の注意を払っていたが……まぁ漏れるものは漏れるか。
「あ、内緒だったのかすまん」
「いえいえ、大々的に知られてなければ!」
「ハハ、まぁ三年は皆知ってると思うけど、下はどうだろうね」
わざわざネタバレするような人もいなそうだし、飽くまで噂くらいだろう。
「でも多分、知られててもむしろ期待強まるんじゃないでしょうか。めぐるさんの夏バン聴いたらもっとってなるかと」
「え、そ、そう?」
「俺が聴く側だったらの話ですけど……多分」
シンギュラリティで演奏したゲーム音楽は実際に大反響だった。
「それにもう一年の間ではめぐるさんのゲーム音楽って大人気コンテンツ状態ですよ。さっき一年ズでめっちゃ話題になってました」
「ほんと!?」
そのパフォーマンスの再来となれば誰もが喜ぶ。
「ありゃあ他のも聴いてみたいって思うよね」
「アハハ、まぁアンタはゲーマーだしね」
「いやいやゲーマー関係ないって」
サプライズにしたい気持ちもあるけど、
「ふふ、私もそう思うなぁ。吹達もやるんでしょ? すごい楽しみ」
「桜井だけハブだな」
「アンタ性格歪んでんね」
……ツッコミづらいことを。
ホーンは何人いてもいいが、桜井先輩は夏バンドも違うし、普段からそれほど多く接しない。
要するに、違うコミュニティの人といった感覚だ。
誘わない理由はないだろうけど、誘っていないことは不思議ではない。
月無先輩は結構気を遣う人だし、ちょっと困っている。
いやシャツの裾掴まれても。
そして耳打ち……
「し、白井君ごめん……こんな時どういうこと言えばいいのかわからなくて」
「……誘えばいいと思うよ」
次回は学園祭の野外ステージが目標だし、広い舞台なら人が増えても収まる。
折角ならもっと派手にとも思ったが……桜井先輩としては参加したいとかそういう気はないみたいだ。
「ふふ、私は観る側が良いし~……観る人だって多い方がいいでしょ?」
「お~珍しくヨミがいい感じなこと言ってる」
「令和の喜劇王が言うとなんか演劇論みたいだな」
「やめて誤解される」
……すいません、もう誤解はないです。
っと、冗談はさておき、観たいと思ってくれる人がいるのは本当に嬉しいことだ。
「ヨミ先輩が観客側にいてくれると心強いです!」
「ホーンの方々も嬉しいんじゃないでしょうか」
「ふふ、一番前で応援するよ」
それが実力者達ならなおさらで、そんな人たちに楽しんでもらえれば、こちらもより自信につながる。
和気あいあいとした空気に、月無先輩がどんな見所があるかなどを話していると、
「……俺は正直やりたい側だった」
「アンタ空気読みなよ」
細野先輩がポツり。
「……ゲーマーで楽器やってりゃ、やってみたいの一曲くらいあるもんなのよ」
「ふーん。そういうもんなん? めぐる」
「……そういうもんですね。な、なんかごめんなさい細野さん」
「ハハ、いいんだけどね。軽音そういうのばっかでしょ」
まぁこれもコミュニティ違いによるものか。
この曲なら自分がやりたかった、そんな場面はいくらでもあるんだろう。
今回はたまたま細野先輩がそれに当たっただけと。
「あ、でもそういえば」
ふと思い出す。
「前に部長がゲーム音楽でゴリゴリのロックやりたいって言ってました。機会あれば……絶対ギター二本欲しいですし」
戦闘曲をメインにしたセットリストで、なんて話が出ていた。
細野先輩は元々はロック寄りの人で、そのジャンルなら氷上先輩以上とも聞く。
正に適任だし……というか自分も欲が出ているのか、心ゆくまでゲーム音楽をやってみたい。
「……それマジアツいな」
「ですよね。ヒビキさんが男だけでって言ってたので、今度はめぐるさんがハブです」
「ハハ、本人の前で言うことか? それ」
「フフ、知ってるんで大丈夫です! というかあたしそれ本当にやってくれないかなって思ってました!」
ゲーム音楽女のお墨付きだし、機会を見つけてなんとしても実現させたい。
「セットリスト候補も考えてるんです!」
「「準備が早い」」
展開が急すぎるが、月無先輩的にはずっと考えていたことのようだ。
愛するゲーム音楽を、参加しない形でも楽しみたい。
いや、観る側としても参加したいのか。
自分に対するこれ以上ない信頼の形でもあると思う。
そしてこういう時に月無先輩が一番喜ぶ返しも、当たり前にわかってる。
「どんな曲があるんですか?」
「ふふー! まずはこれ! これだけは絶対にやってほしい!」
嬉々とした表情で、スマホでそれを流す。
「……これぞって感じだね」
「……これぞって感じですよね」
曲名は……『Beat The Diamonds』。
メダロットの曲のようだ。
イントロからラスボス感マックス、特徴的な
「うわ。サビメッチャカッコいいですねこれ」
「ね! 一気にくるよね」
「しかもユニゾンかこれ。ギタリストほいほいだ」
ハードロッカーなら絶対に弾きたくなってしまうようなギターユニゾンによるメロディ。
これぞ戦闘曲というアガらざるを得ないゲーム音楽らしさだ。
メダロットの曲がいいのは知っていたが、ライブでやったら超楽しそうだ。
「へ~すごい。こんなちゃんとしたのもゲームで流れるんだ」
「あ、これアレンジ版なんですよ! 記念作品で、本当にバンドで演奏してるんです!」
草野先輩も興味を持ってくれたようだ。
「アタシこれ好きかも。これやってよ」
「草野は攻撃的な性格してっからこういうの好きだもんな」
「うるせ」
「アーッ痛いィィン!!! こ、ここは全人類の弱点だぞ……」
……二の腕の裏を容赦なくつねったぞ。
左腕を破壊された細野先輩だったが、誰も心配することなくむしろ笑いが生じているあたり、部内でのポジションが安定していることに外ならない。
「しっかしいいなこれ。俺めっちゃやりたいわ」
「フフ、こういう曲なら細野さんしかいないです!」
「よかったね必要とされてて」
「な、月無に言われると嬉しいわ。ギタリストとしての価値見出せたの久々だ」
素の会話で惨めキャラが板についてるのはどうかと思う。
「ふふ、よくロックやりてーって叫んでたもんね」
「いや実際ブラックマジキツいからね」
細野先輩にしたら、殺人狂時代の選曲は本職とはいえなかったのかもしれない。
ライブでは本当に見事にブラック音楽を弾き切っていたけど、そこに達するまでに我慢やストレスもあったんだろう。
「ロックインストとかギタリストからすれば夢だし。それにこういう曲ゲーム音楽しかないからね。実際マジでやりたいわ。やるぞ白井」
「え? あ、はい是非。俺もこれ超やりたいです」
抑圧したものを開放する機会と、細野先輩がそれをゲーム音楽に求めてくれる。
すごく嬉しいことだし、そんな意気込みでやるライブもまた格別だろう。
「やるならこういう古き良きゲーム音楽っていうのやりたいですよね」
「フフ! さすがあたしの弟子だ! よくわかってる!」
「おーじゃぁ師弟でもっと教えてくれよ。俺あんまし古いのは知らないからさ」
「もちろんです! じゃぁ~、これ!」
もう色んな曲を聴かせたくて仕方がないといった感じだ。
草野先輩達もそんな月無先輩に微笑ましい表情を向けている。
「よしこれもやるぞ白井」
「これもギタリスト大歓喜ですね……これは……英雄伝説?」
「うん、『ルード城』て曲のアレンジ版!」
ゴリッゴリのハードロックでありつつ四つ打ちでノリノリなナンバー。
ヤバい、これも本当にカッコいい。
「気に入った!?」
「これ最強に盛り上がるし絶対超楽しいヤツじゃないですか……」
どちらかと言えばバラード寄りが好きだったけど、バンドでやるとなればこういうのこそやりたくなる。
「鍵盤もがっつり前に出れるのも嬉しいですよね」
「フフ、ゲーム音楽だからこそだよ!」
以前だったら、鍵盤が前に出る曲は引け目を感じたかもしれない。
でも今は、これをライブでやれたらなんて想像が膨らんでいる。
「あとあたし、これもやって欲しいんだよね! 『Astarte』!」
「ほう……メルルのアトリエ。正直これは俺もやらなきゃいけないと思っていました」
思い出も交えて、話はいくらでも弾んでいく。
「そういえばこの曲発症歴ありましたね」
「あ~、あの梅雨の時か! フフ、でもわかるでしょ? ウズウズするの!」
「ハハ、俺は暴走しないですけどね」
月無先輩にしても、思いっきりゲーム音楽する欲を開放したかのように。
いや、自分にしても同じだ。
夏ライブを終えて、音楽人としての自分、そしてまたステージ上に立つ未来に胸を躍らせている。
話が弾まないわけがな……
「細野結局ハブじゃん」
「二人の世界だね」
「こいつらたまに周り見えなくなると噂には聞いていた」
……やめてそういうの。
月無先輩一瞬にして紅に染まるっていう。
「ま、まぁ月無先輩はアレですから、ゲーム音楽できたり聞けたりするのが嬉しくてしょうがないので」
「そ、そうですよ! 皆が……そう、ライブで! ライブで皆に見てもらえるって思うと盛り上がっちゃって!」
いや言いたいこと大体わかるけど言い方。
「月無は見られて興奮するタイプ、と」
悪意ある歪曲やめたげて。
いや自分も思ったけど。変態みたいだなって。
「……?」
……あぁよかった。わかってない。
その後も、やっぱり月無先輩は愛されているのか、三人とも慈愛の目を向けて話を聞いてくれた。
今日の経験を経て、大好きなものをより胸を張って語る。
そんな純度100%の月無先輩の言葉は、どんなものよりも心地の良い響きだった。
「あ、そうそう、白井」
「はい? なんでしょう」
話の折に、草野先輩が自分に話を振る。
「川添がめっちゃ褒めてたよ。なんだっけ、ヨミ、何か言ってたよね」
「今日は白井の方が凄かったって言ってたよ」
「嬉しいですけど……あいつさっきわざとらしく巴さんとか八代先輩のことばっか言ってきたのに」
「ハハ、でも嫌味じゃないのはわかるだろ」
素直に認めつつも、素直に言葉にはしづらい、同輩なんてのはそういうものだ。
でも、色眼鏡をかけずにちゃんと見てくれたのは、同輩ながらに感謝している。
やっかんでいるようでやっかみとは無縁な、素晴らしい仲間達だ。
「お前も何か言ってたよな」
「……言ったっけ?」
「ふふ、言ってたよ。ライブ終わってすぐに、白井でもよかったじゃーん! って」
「……あ~言った」
「ハハ、どんだけ鍵盤弾きたくなかったんだよコイツって思ったわ」
……これは、三年生の方々からの、最大級の評価だと思う。
本人達にそんな気はなくても、後輩からしたら認めてもらえた証に他ならない。
あまり関わりがなかった人達だからこその公平な評価は、また一つ自信をつけてくれた。
「フフ、よかったね、白井君」
「……はい」
褒めちぎられたりはしないし、飽くまでちょっと話題にしただけ。
それでも、音楽人として対等に見てくれる言葉は本当に嬉しかった。
自分は軽音学部の鍵盤パートであると、胸を張っていいんだと、そう思えた。
――
「そろそろか~お楽しみ」
「本当に楽しみですね。ゲーム音楽バンド」
「フフ、結構期待してもらえてるっぽいね!」
一旦部屋に戻る中、ロビーで少し足を止めてそんな話をしていた。
ゲーム音楽をやること自体はともかく、自分達が派手な編成で何かをやるというのは、そこそこに知られている。
「あたしね……夏合宿ライブ終わってから、前よりもっと楽しみになっちゃってて」
「それは俺も同じですよ。多分、皆も」
「フフ、もうオーバーキルって感じだね!」
シンギュラリティのライブでの反響、そしてさっきの細野先輩達の言葉。
もうすでに最高の結果を手にしたというのに、まだ先がある。
そんなの、楽しみになるどころじゃない。
「好きなものを好きって、ただそれだけなのにね……フフ、こんなに嬉しいんだね」
ただそれだけのことが、出来なかった過去があった。
半生を注ぐほどに強く想うものを、内に留めるだけの長い時間があった。
それでも信じて、愛し続けた。
この言葉を月無先輩自身が言えることは、本当に大きな意味を持っている。
「めぐるさんが好きなもの突き通して、皆が喜んでくれるって、俺からしたら一番嬉しいです」
月無先輩にとって、そして自分にとっても、これ以上望むべくもない今が訪れているんだ。
「白井君ってさ……あたしのこと結構何でもわかっちゃうよね」
「……わかりたいと思ってます」
一番の理解者でありたいと思っている。
至らない点はあるかもしれないけど、誰よりも月無先輩のことを考えている。
「じゃぁさじゃぁさ」
「なんでしょう」
何か言いたいことがあるように、言葉を続けた。
「今日あたしは、大好きなものが皆に認めてもらえて、本気で嬉しかった! 人生で一番かは決められないけど、それくらい!」
「ハハ、そりゃそうでしょう」
満面の笑みに自然と釣られて、自分も笑みがこぼれた。
愛するゲーム音楽で大反響を受けて、更に期待をしてもらえることが、よほど嬉しかったんだろう。
そして感慨深さと愛情を込めた目で、今度は少し静かに……
「一つだけだと思う?」
「……え?」
完全に思考が停止した。
ハッとなるような突然の言葉だった。
……でも、思考なんか必要なく、それはわかっている。
ただ、言葉が出なかった。
「あたしも白井君と同じだよ。ゲーム音楽のことだってそうだけど……」
脳を再起動させる暇もなく、月無先輩はそう続けた。
目の前で最愛の人が、一番言いたかったであろうことを言っている。
「白井君のこと、認めてない人なんて、一人もいなかった。それが一番嬉しい」
「あ……」
ダメだ、嬉しいなんて通り越してる。
「フフ、あんなに大成功しちゃうんだもん。嬉しいなんてもんじゃなかったよ」
多分、月無先輩もそうだ。
それ以上の言葉が見つからないから、その言葉に当てはめてるだけ。
「ゲーム音楽バンド、オールスターだからって、ちょっと引け目? 感じてたの知ってる」
「……巴さんから聞いたんですか?」
「うん。……でも、もう誰も、場違いみたいに思う人いないよ! 白井君の演奏も期待してくれてるし、白井君がいて当然だって、思ってる!」
ダメだ、込み上げてしまって、本当に溢れ出る。
「この人があたしの好きな人なんだって、自慢したくなったくらい!」
想いを返すよりも先に、それを見つめる自分の眼が、勝手に反応を示した。
「「あ」」
それが恥ずかしくて背を向けた。
「フフ、やっぱり嬉しいね」
好きなものを好きと伝える、ただそれだけ。
「ちょっと勇気いるけどね」
お互い何度も確かめ合ったし、実際に口にしたことだってある。
それでも……今ほど決定的だったことはない。
「……素直に受け取っていいんですよね?」
月無先輩がこれまで人生を費やした
こんなに愛の強い人に、こんなに愛を注がれるなんて、と。
「フフ、素直に受け取ってくれなきゃヤダ」
対象が移ったとか、どっちかを選んだとか、そういうわけじゃないと思う。
でも月無先輩にとって、既に自分はそういう存在なんだとハッキリと伝わってしまった。
「今度はあたしから、ちゃんと言わなきゃって」
働き始めた頭は、意味もなくぐるぐる回った。
こんな場面、男子勢に見られたら嫉妬で拷問に合うとか、秋風先輩に見られたら目を開かれるとか、清田先輩なら全力で煽ってきたりするだろうし、巴先輩や八代先輩にはこの先ずっとイジられる。
部長はリアルに嫌な罰を与えてきそうだし、春原先輩や夏井なんかは逆に何も言わず凝視してきたりするかもしれない。
でもそんなしょうもないことばかり浮かんでしまうのは……
「今までで一番嬉しいです」
今がそんな瞬間だからなんだろうと思う。
言葉にならない愛しさは、ありふれた言葉に、それでも伝わるように全て詰め込んだ。
「フフ、あの時のあたしの気持ちわかった?」
「……わかりました」
「……こっち向けよ~」
「……それはムリ」
もう向いても大丈夫な状態に目は戻ったけど、それはマジで無理。
「むー……じゃぁこうしてやる」
「……え……ちょっ」
「ふふーんだ」
……向けた背中が暖かさに包まれた。
一気に頭が茹で上がって、口の中が一瞬でカラカラになる。
過敏な背筋の感覚に全身が強張って、身動き一つ取れやしない。
「あ、あの~」
「ん~?」
……ってかさっき風呂入ったばかりでなんか熱いくらいだし匂いめっちゃいいし……いや白井健よ、邪な考えは捨て……いや何この柔らか……いやマジで。
「見られたら俺が死……」
「フフ、今日はいいよ見られても!」
くっそう見られて興奮するタイプめぇ……!
「せめてもうちょっと厚着してるときに……!」
「今こうしたいんだもーん」
背中に頭をぐりぐりするんじゃない!
「フフ、ご褒美になった?」
「……これ以上なく」
「フフ、あたしも! 自分にご褒美!」
まぁ今は誰もいないし来ても一瞬で引きはがせば……だがどうやって引きはがせば……
「「あ」」
……階段から降りて来た部長と目があってしまう。
「ヒ、ヒビキさんこれはですね」
「違うんですよ! ね、ね!? 白井君!」
「さっきまで見られてもいいとか言ってたくせにやっぱダメじゃないですかあなた!」
案の定月無先輩も速攻で羞恥心の限界へ到達し、
「だって違……いや違わないんですけど違くって!」
「語彙が!」
「ちが……いや何も違わないね。はい。違わないです」
「うわぁいきなり落ち着くな!」
オーバーフローした結果やたら冷静になる。
「っかしいな。この時間ここ通れねぇんだったか」
……何も見なかったかのように部長は踵を返した。
「……俺東京戻れるのかな」
「……搬送はしてくれるんじゃない?」
「ブフッ。……反省して?」
「する」
そして……
「ぶっ殺す!!!」
部長の魂の叫びがホテル内にこだました。
逆にわざとこうしてネタに終わらせてくれるのはありがたいが、よりによって部長とは。
「あ、大丈夫だよ。ヒビキさんなら」
「まぁ今の叫びが冗談なのはわかりますが」
「いや、そうじゃなくて。あの人も実はちょっといい感じだから」
「……マジ? ……あ、わかったかも……寺?」
「フフ、寺!」
……なるほどね、寺。
でも今は無性に色んなものを応援したくなる。
少し気が大きくなってるのかもしれない。
「ハハ、上手く行くといいですね」
「フフ、舞ちゃんも結構遠慮しちゃうからね。相手部長だし」
「そういうの気にするもんですかね……いや俺もしてたか。ってかめっちゃしてた」
自分も立場とか迷惑じゃないかとか、そんなことを結構考えていた。
気持ちを伝えるだけなのに、色々なものが引っかかっていた。
「ね。好きなものは好きって、言っていいのにね! フフッ!」
「……ハハ、そうですね」
好きなものを好きだと言えること。
それこそが……たったそれだけのことこそが、自分と月無先輩にとって、多分、一番大切なこと。
簡単そうで簡単じゃないのもよく知っている。
そう言えた先にどれだけ素敵なものが待っているかも、自分達にはよくわかる。
月無先輩の言葉は、慰めや励ましとも少し違う。
皆そうであればいいという、ただひたすらに純粋な想いの表れだった。
「……ちなみに清は?」
「ソロでやっていくって言ってた」
「ブフッ」
隠しトラック
――多分、一番どうでもいいこと ~合宿場階段にて~
「ヒビキさ~ん?」
「お? なんだ終わったか」
「いやはやお見苦しいものを……」
「ハッハッハ、合宿らしくていいじゃねぇか。あいつはぶっ殺すけど」
「アハハ。お手柔らかにです」
「まぁ鍵盤を弾ける機能だけは残してやる」
「フフ。でもそのキャラいつまで続ける気です~?」
「……代わりが見つかるまでだな」
「……引継ぎって大事ですね」
「部長としての責務よ……ってか何だ。何でお前こっち来たん」
「あ、ちょっとヒビキさんに話あって」
「オ、オイラにかい? ……ごくり」
「三女いない時にそういうのやっても面白くないですよ」
「キモいくらい言ってくれてもいいじゃねぇか。大切なことだぞ」
「相手にするなって言われてます」
「……つれぇ」
「で、そうそう、お楽しみってスケジュールどうなってます?」
「あぁ、今丁度それ貼りに行くとこだったんだよ。出順表、ほれ。ちゃんと要望通り曲名伏せてあんぞ」
「あ、そうだったんですねお疲れ様です……結構多いですね……あの、もしいけそうならなんですけど」
「あ、飛び入りか?」
「ですです」
「別にいいぞ。こんくらいなら多分時間余る」
「じゃ、じゃぁ! かくかくしかじか」
「ほう……そいつぁ俺も聴きてぇな。皆喜ぶだろうし、いいだろ」
「本当ですか!? やった!」
「ハッハ、やりてぇもん好きなだけやりゃいい」
「あ、ちなみに巴さんには内緒で。サプライズ!」
「あん? まぁいいけどよ。それで巴いけんの?」
「ふふ、大丈夫です!」
「他にはどんなバンドが~。あ、小沢岸田バンドって、これ白井君鍵盤のヤツですよね?」
「そうそう。あいつ一発で仕上げてきたらしいぞ」
「フフ、さすがあたしの弟子だ!」
「ハッハ、皆そう言ってたぞ」
「ほんとですか? 嬉しいなぁ。……フフ、でも、白井君なら当然です!」
「ハッハッハ。……だがぶっちゃけよぉ」
「ぶっちゃけ?」
「白井が足引っ張るって思ってた奴の方が多かったろ、夏バン」
「あたしは信じてましたよ?」
「仲良い奴以外はそうじゃねぇって。それに信じる信じないとは別じゃねぇか?」
「……まぁそうかもです」
「ってかあいつ自身がそう思ってたろ。引っ張っちゃいけねぇとか。最初は」
「……そうかもです」
「俺も八代も、ZENZAの方はそんなん前提で考えてたぞ。サポートだから全曲弾かせないにしても、どっかで一回はキャパ超えんだろって」
「え、あ……それが普通ですよね。掛け持ちだし一年だしで」
「でも結局全曲ガッツリ弾くし、あいつなりに全力で仕上げてきたかんな」
「……多分白井君、サポートの意味わかってないですよね」
「というかサポートメンバーとしてやるって話自体速攻で忘れてんだよな」
「フフ、白井君らしい!」
「あいつの負担考えて鍵盤要らない曲も提案したら「……これって鍵盤なくないです?」だぞ。後で八代と笑っちまったよ」
「アハハ、本当にわかってない」
「ハッハッハ、それがあいつらしさってヤツなんだろうな」
「フフ、でもいいとこだなって思ってます」
「ま、話戻るとよ、よくやったよなぁってな」
「フフ、本当にそう思います。……本当に」
「……しかしよ」
「何ですか?」
「何で俺、白井の嫁と白井のこと褒め合ってんだろ」
「よ、嫁!? 嫁だなんて」
「それ、その感じ! もうアレだわ! キッツいわ!」
「え、急に壊れた」
「白井! 白井―!! 軽音学部一年生の白井健くーん!」
「白井君巻き込む……あ、来た」
「……何です?」
「キッツいわ! 月無キッツい! お前の嫁キッツい!」
「いや何事……ってか嫁って……ね、ねぇ?」
「……いやごめんあたしちょっと嬉しい」
「ア゛ァァァァァァアアア!! これだもんなー!? この感じよ!」
「「ヤバい人じゃん」」
「……何したんです?」
「いやあたしは何にも」
「怖いよ……青春の波動が……イヤだよこんな部活」
「用事終わったなら行きましょうか。多分関わらない方がいい」
「うん、何か気持ち悪いね」
「ハハ、めっちゃキモいですね」
「それそれぇ! そういうの! クゥーー!!! もっと頂戴!」
「まだこういうキャラやってたいみたい」
「……小寺先輩も苦労しますね」
「ヒビキさんにとっては大切なことなんだよ」
「わかってもらえるといいですね」
他人事。
*作中で紹介した曲は曲名とゲームタイトルを記載します
『Beat The Diamonds』
―メダロット5(原曲)
―MEDAROCK~起動~vol.2(アレンジ版)
『ルード城』
―英雄伝説 白き魔女(原曲)
―イースvs空の軌跡 オルタナティブ・サーガ(アレンジ版)
『Astarte』―メルルのアトリエ(二回目の登場)
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